『こうもり』 | Jさんちの舞踏会

Jさんちの舞踏会

 長崎で細々と、サルサとかタンゴとかやってます。ダンスに関する話題を、つれづれに書いていきます。

 情熱と 生の喜びが
 真のハンガリー人の胸を ふくらませる
 ヘイ! さあ 早く踊れ!
 チャールダッシュが 鳴り響く

 (ヨハン・シュトラウスⅡ『こうもり』音楽之友社版より)

 1年の始まりは毎年NHKで放映される、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートを楽しみにしている。
 ヨハン・シュトラウス・ファミリーなどが作曲した、ウィンナ・ワルツや、ポルカなどがオーケストラで演奏される模様を、日本にいながらテレビで見れる環境は、とても素晴らしいことだ。

 ヨハン・シュトラウスⅠ世とⅡ世の親子は、19世紀にウィーンから世界にウィンナ・ワルツを広めた、現代的に言えば、ダンス・ミュージックの世界的ヒットメーカーで、彼らがいなければ、今もワルツが踊られることは、無かったかもしれない。

 ヨハン・シュトラウスⅡ世は「美しく青きドナウ」という大ヒットナンバーを成功させて後、オペラ/オペレッタの作曲も手掛けるようになり、中でも最も有名なのが、1874年に作曲したオペレッタ『こうもり(Die Fledermaus)』である(ちなみに喜劇的なオペラをオペレッタという)。

 音楽之友社から有名なオペラの台本と楽譜が掲載された「オペラ対訳ライブラリー」というシリーズが出ていて『こうもり』も出版されている、のを市立図書館で見かけて借りて読んでみた。
 詳しい内容はウィキペディアやYouTubeにも出ているので、それを見てもらえばわかる通りで、メインが仮面舞踏会の中で起こる喜劇になっているので、19世紀の舞踏会の雰囲気を見ることができる。

 読んでる中で私が気になったのは、主人公アイゼンシュタイン伯爵の妻ロザリンデが、仮面舞踏会でハンガリー人の仮装をしていた為に、第2幕第10曲目で、「チャールダッシュ」を見事に歌い上げる場面だ。

 「チャールダッシュ」は、イタリアの作曲家ヴィットーリオ・モンティが1904年に作曲したものが有名だが、それよりも先にヨハン・シュトラウスⅡ世が「チャールダッシュ」を世に出していたことになる。
 もっとも、ハンガリーのダンス音楽自体は、1869年にヨハネス・ブラームスが「ハンガリー舞曲集」の第1、2集をリリースし、ヒットしていたので、1874年ころには「チャールダッシュ」も舞踏会で踊られていたのかもしれない。

 ネットで検索してみると、もともと「チャールダッシュ」はハンガリー語で酒場を意味する「チャールダ」という言葉から来ているようだ。
 元来ハンガリーには、ヴェルブンクとヴェルブンコシュというダンスがあり、兵士募集の宣伝活動の一環として、酒場で兵士たちが、それを酒場で踊っていたらしい。
 それをモチーフにして、ロージャヴェルジ・マールクというユダヤ系のハンガリーの作曲家が「チャールダッシュ」という曲を作曲した事が、「チャールダッシュ」の始まりのようだ。
 もともと兵士が踊っていたダンスなので、本来は男踊りだったのではないかと考えられているが、その後農民に広がっていったか、舞踏会で踊られるようになったからか、Youtubeで検索してみると、現在では、ほとんどが男女がペアで踊るペアダンスになっている。

↓現在も踊られるチャールダッシュ

 

↓これなんかカッコいい!


 ちなみにオペレッタ『こうもり』の上演がYoutubeにアップされてた。
 夫人が歌う「チャールダッシュ」で、舞踏会の客たちが踊る場面も、出てくる。

 


 この当時の時代背景を少し見ると、1867年から1918年まで、オーストリアもハンガリーも、ハプスブルク家の君主によって統治されてた、「オーストリア=ハンガリー帝国」の時代になるんだなあ。
 ブラームスが「ハンガリー舞曲」を作曲したのが1869年、つまり「オーストリア=ハンガリー帝国」の成立直後だから、ヨーロッパでちょっとしたハンガリー・ブームが起きて、「チャールダッシュ」がウィーンに広まった事には、そういう時代背景が、あったのかもしれない。