寒すぎてほかにブログネタがないので今回も城攻め記事でおま。

 

 

篠ノ丸城(ささのまるじょう)攻略に向かいます。

 

長水城と同じ宍粟市の山崎町横須にあります。

 

比高220mの宍粟市中心部にある山城です。

 

その前に王将でやや遅めの昼餉を済ます。

 

王将は手頃な値段でたらふく食えるので、ちょっとぐるじい~顔

 

 

 

最上山公園とやらから登城道があり、そこの駐車場を使用。

最上山公園の後方北側の山が篠ノ丸城がある城山。

 

ここで1つの間違いを犯すあせる 現在右下の最上山公園🅿。

 

良く見ると中央やや左の山腹にも🅿あるやんけ~ビックリマーク

 

いつものように詰めが甘いろくもんであったあせる

 

 

 

駐車場にあった新しそうな石碑。

そうなんですビックリマーク ここは黒田熊之助ゆかりの地←熊之助、ご存知ない人多いかな。つまり黒田官兵衛の次男。つまり黒田長政の弟熊之助である。

なんで熊之助ゆかりの地であるのかというと、豊前・中津と、この山崎にも滞在してた期間があったからやと思う。

 

 

 

石碑の裏に詳細あり。

説明にあるように天正12年(1584)黒田官兵衛が秀吉より宍粟郡一職を与えられ、同15年豊前に移るまでの居城が篠ノ丸城になります。大河「軍師・官兵衛」でもやってたらしいけど、あまり記憶にないにゃ

居城というてもこの頃の官兵衛は秀吉の天下獲りの為に多忙な日々を送っていたと思われる。城でゆっくりしてる暇はなかったであろう。城代を置いていたに違いなし。

 

その熊之助であるが、この場面大河でもやってましたね。

朝鮮出兵の慶長の役兄・長政は朝鮮へと出陣した。

 

真田幸村兄じゃに置いてけぼりにされた~あせる 

 

真田幸村わしもしゅちゅじんしたいのに~泣く 兄じゃはやっぱしあほボンじゃ~ビックリマーク

 

真田幸村こうなったらわしは兄じゃを追っかけるのじゃ者どもわしにちゅじゅけ~ビックリマーク

 

熊之助はこっそり中津城を抜け出し、数名の家来を連れ兄・長政の後を追って、船で朝鮮へ渡ることにした。

 

玄界灘で嵐に遭う。

 

船は転覆。

 

熊之助と数名の家来達は溺死した。(同道した母里太兵衛の嫡男も溺死)

 

黒田熊之助 享年 16。

 

官兵衛と妻・光は嘆き悲しんだと云う。

 

 

 

わしは城跡を目指す。

 

 

 

その前に・・・

 

山崎八幡神社があったので初詣を済ませておく。

祈る人今年もお城にようさん行けますように~

 

 

 

 

八幡神社の横に登城道。城跡まで1200mて書いてある、こりゃさっきの長水城より距離あるぞ!? 予想だにしない長距離で心折れかけるが、比高が低い分坂道道が緩やかやと信じることにする武士

 

 

 

 

 

この一帯をひょうご森林浴場(風呂場ではない)という。

 

 

 

 

 

 

腹満タンでちょっとぐるじいあせる 

 

 

 

 

 

まだまだこれから。

 

 

 

 

 

 

着いたか!?

 

 

 

 

 

郭かと思ったけど、ただの広場。

 

 

 

 

 

広場を抜けたら舗装道路。この近くに登城用駐車場があるらしい(ムカつくので未確認)

 

 

 

 

 

 

ホンマもんの登城口。

 

 

 

 

 

鳥居があるのは頂上に妙見宮跡がある。

 

 

 

 

 

石ゴロゴロ道ではないので、そこそこ歩きやすいが、山なのでやっぱり急坂あせる

 

 

 

 

 

 

官兵衛ここで1万石。その後は豊前で12万石。

 

官兵衛は嘆いてたに違いない・・・

 

武士羽柴どのはわし如きに何を恐れておる。もっとくれてもええんちゃうんビックリマーク

 

秀吉は官兵衛の才覚に恐れていて大禄を与えなかったと云う・・・

 

 

 

 

時々下界が望める場所がある。

篠ノ丸城は先の宇野氏の居城・長水城の支城でした。宇野氏は毛利氏に付き、中国進出の織田家に抵抗したんですね。その織田家中国方面軍総司令官・羽柴禿ねずみ秀吉の侵攻によって長水城と篠ノ丸城は攻め落とされてしまいました。

揖保川の向こうの山。右下のちょっとハゲてる山ね。そこが聖山城というて、秀吉が本陣を置いた城山ですわ。今回は未訪問です。

 

 

 

 

100mごとに道標があるんですが、彫ってある字が読み難くて、二百米から字のとこを白く塗ってあってようやく字が分かるようになった。横の字は達筆でわからんがにゃ

 

 

 

 

 

まぁ焦らずゆっくり行きますわあせるあせるあせる

 

 

 

 

 

 

 

あとひゃくこめビックリマーク

 

 

 

 

 

腰郭的な削平地。

 

 

 

 

 

 

パネルは聖山城秀吉本陣の説明。

 

 

 

 

 

 

最後の難関であろう急坂を最後の力を振り絞って・・・こうゆう場所は階段を登るか、階段横の土をならしてあるとこを歩くか悩むにゃ 実際歩いてみると登りの場合は階段横を歩く方が楽やと思う。下りは階段の方が楽やと思うんですが、あなたならどちらを歩むはてなマーク(別にどうでもええけど)

 

 

 

 

篠ノ丸城、(通称・一本松)へ辿り着いた土の城やね~、土の城って感じありありやね。

正面の凹んでるとこが主郭虎口。

 

一本松が生えてたことからその名が付いたようですが、因みに三代目・一本松までありました。一代目、二代目は枯れたようです。

 

 

 

 

主郭の虎口平入虎口で両脇は土塁

 

 

 

 

 

虎口右側の土塁。

 

 

 

 

虎口左側の土塁。土塁手前は空堀ですが、だいぶ埋まっちゃってるよう。

 

 

 

 

 

土塁上に城址碑

 

 

 

 

 

主郭に入った。

正面の灯篭があるところが妙見宮跡。手前の石碑は御百度石です。

 

そして・・・

 

播磨・篠ノ丸城 撮ったどービックリマークビックリマークビックリマーク

 

 

 

 

 

 

虎口から見た左側の土塁と城址碑。右に見えてる小屋はトイレです。

 

 

 

 

 

虎口右側の土塁。手前のデカ石はなんかの記念石。

 

 

 

 

主郭にある説明板と縄張図。字が細かいので詳しく知りたい方は現地で読んでください。

主郭はほぼ正方形で南西側が土塁で形成されてます。主郭から北側に尾根を使用した段郭群が、西側には方形郭があり、その先に堀切があるようです。なんちゅうても北側の斜面に畝状竪堀群の表示が!? 山城での激目玉商品!畝状竪堀わくわく 

この篠ノ丸城では長水城のような石垣の遺構が確認されてないって書かれてるちゅうことは、長水城で見た石垣は往時の遺構ということやったんや~ビックリマーク

 

 

 

 

主郭西側の土塁。

 

 

 

 

 

主郭西側の土塁の向うの郭に空堀

 

 

 

 

 

主郭西側の空堀。

 

 

 

 

枯木をどけてみた。

 

 

 

 

反対側から見た空堀。右側が主郭。

 

 

 

 

 

主郭を奥(北側)の妙見宮跡から見たとこ。

 

 

 

 

 

主郭の三代目一本松。どうも一本松にこだわりがあるようです。

 

 

 

そうゆう事で続いてしまいますひこにゃん

 

【後編】では主郭の北側と西側へ行きます敬礼

 

 

 

 

皆既月食撮ろうとしたが、月が雲で隠れてもた泣く

 

 

 

 

18/01/07