前記事で暖かくなるといろんなモノが出てくると申しましたが、5月に入ってからの美濃攻めで汗が出たのと同時にヘビがお出ましになりました。それも2匹。冷汗も出た![]()
後に判明したそのヘビの名は、マムシとアオダイショウでやんの
やばいやばいやばい!
その美濃攻めの記事(ヘビ画像付き)は順番が来るまでだいぶお待ちください。
前の五箇城から適度に移動しました。
京都府宮津市宮村身船
丹後・八幡山城(はちまんやまじょう)別名 宮津八幡山城、猪の岡山城、猪の岡城
八幡山城と言うても関白秀次の近江・八幡山城ではありません。
こちらはロープウェイはありませんし、八幡掘もありません。
こちら丹後の八幡山城は建部山城主・一色左京大夫義道(丹後守護)の子である一色五郎満信(義定)の居城と伝わる。細川藤孝が丹波に侵攻すると、天正7年(1579)義道が中山城で自刃して果てると、満信は弓木城へ退いて細川氏と戦い和睦した。
一色満信は細川氏と和睦した後は弓木城を居城として二万石を領した。天正8年(1580)丹後に入部した細川藤孝・忠興父子は勝龍寺城からこの八幡山城に入城した。
この八幡神社(猪岡八幡宮)鳥居が登城口となります。本陣は神社駐車場に敷かせていただき、一礼して連続してある一の鳥居、二の鳥居を潜って攻城開始![]()
鳥居横に説明板。よくお読みください。
細川藤孝が八幡山城に入城したのが天正七年。翌天正八年に宮津城を築いてるので、細川親子が八幡山城に居たのは数年だけであるかと。
ちなみに 細川氏と和睦して弓木城を居城とし、丹後北半国を統治した一色満信は、本能寺の変後の山崎の戦いで惟任光秀に味方した。同じ丹後を統治してた細川親子は光秀に味方せず頭を丸めた(友達なのに)。戦後、たぶん秀吉の差し金かと思うが、細川忠興が宮津城内で満信を謀殺し、丹後における一色氏は滅亡した。
説明板の縄張図に加筆。
標高165m(比高155m)の山頂に築かれた五箇城に並び丹後国でも最大規模の山城で、八幡神社後方から山頂までの尾根に段々と曲輪を連ねています。
鳥居を潜るとすぐに獣害フェンス。開放厳禁なので、入ったらちゃんと閉めておきましょう。
五箇城での疲労が抜けてません。足が重い![]()
まだある。
参道なのに山道かよ![]()
まだかよ![]()
登ること10分弱で八幡神社。 この猪岡八幡宮は、長和五年(1016)に、丹後国司の藤原保昌が、京都の石清水八幡宮から祭神を勧進したとされる古社であるとのことです。
八幡宮の「八」の字が鳩です。石清水八幡宮もそうであるように、八幡さんにとって鳩は道案内した神の使いであるよ。
こちらは守護神である獅子さん。向かって右にいてはる阿形なんですが、口閉じてはりますんで吽形さんか。小獅子ちゃんしがみついてますし。
向かって左の狛犬さん。両方共口閉じてますんで両方共吽形のようです。
大正十四年製でした。
八幡さんなので武運をお祈りいたしまして、拝殿前から境内を見返す。元はここも曲輪であったのかどうかは分からない。
拝殿右奥から本丸まで登山道が続いています。
ここから本丸まで尾根上に段々と曲輪が築かれています。500mは本丸までの距離。意外と遠いな![]()
看板から間もなく八幡宮後方に位置する最初の曲輪。
その曲輪の八幡宮方向。曲輪外側に土塁は盛られてないようす。
こんな感じで曲輪の右側に付けられた通路を通り、段々と配された曲輪を撃破しながら本丸を目指すって感じです。本丸までずっと登りなので、すでに五箇城で足に来てるので、追い打ち掛けられるが如し![]()
分かれ道。右下は別コースか? 未確認。
八幡宮から50mも進んだ。
二段目の曲輪。ここも右下(南)へ道がある。
右下の方に目をやると、先にモリモリ土塁が見える。縄張図で確認すると南にチョコッと突き出た腰曲輪のよう。
腰曲輪先端に櫓台を盛りっているようです。
櫓台の横はグイーンとカーブする道。外側に土塁盛られてるし虎口なの![]()
虎口外は西にある谷間で砂防提がありました。さてこの城外からの坂道は、櫓から横矢が掛かる虎口なのか
縄張図に描かれてないので、後世に改変されてるかも知れないが、櫓と土塁により構成された虎口であるというわしの見解。
なかなか立派な櫓台です。
櫓台を観察してると側面に穴っ
なんか砂をかき出した痕あるし
獣の巣穴ちゃうん
おそらくアナグマ、ハクビシン、タヌキ、イタチ。それかラスカルかロッキーチャックの巣穴に違いない
退け~![]()
腰曲輪を探索してたらまた穴っ
二つ。これは塹壕跡かも知れんが、詳細は不明。
尾根筋に戻って進む。
三段目の曲輪。北方向。
上に同じく。南方向。
東側の切岸を覗き見る。
先に進む。
四段目の曲輪。
四段目の曲輪。北方向。
段差があり、段差の部分に怪しき苔石が。
段差部は土留されていたものと推測。
約半分か。
五段目の曲輪から見る六段目の切岸。かと思ったが、これは土塁でした(正確には切岸と土塁が合体しているものかと) その土塁上に巨大なキノコがっ![]()
六段目の曲輪に突入して見る土塁上の巨大キノコ。キノコではなく石で組んだキノコ形の・・・何ですの
その横には石で組まれた何か。
なんじゃこりゃ
わしには分かりません![]()
石で組まれた中には小さな祠が。中は空っぽ。
謎の石キノコ土塁がある曲輪から次の曲輪の緩い切岸。
その横を進む。
次の曲輪。もう幾つ目か分からんくなった。縄張図を拝見した感じですと、八幡宮裏からの主尾根には本丸まで約10段の曲輪が連なっているようす。ちなみに その尾根から派生する支尾根にも幾つも小曲輪がありますが、そちらへは侵攻しておりません。
初めて現る巨石ゴロゴロエリア。
石材調達場であったのかとか想像する。
次に進むと通路脇に石っ! 石材調達場から石材を使用したという確信を得る![]()
これは通路脇に土留として積んでいたようですね。
曲輪の側面には積んだのか露岩が割れたのか判断に悩む石。
次の曲輪へ突入するのに、初めて虎口っぽい形状が現れた。石がチラホラ覗いてるのは虎口を形成していた石積が崩落を逃れて頑張って張り付いているものと推測。
長細い石段跡かと思しき石も捕捉
落葉を払いのけて見えやすくしました![]()
虎口から突入した曲輪。
曲輪内から虎口を見返す。右方向が登ってきた道です。
その曲輪から見る切岸。
だいぶぐるじぐなっでぎまじだ~![]()
曲輪と切岸。
その曲輪の北方向。
登って曲輪、登って曲輪。
曲輪切岸、曲輪切岸。
登って曲輪、振り返って曲輪。間伐に感謝。
同じような構図ばっかで飽きてきたことでしょう。
次の虎口が見えてきたとこで、どうぞご自由に休憩してください。
後半戦に続いてしまいます。
狛ちゃんアップでほなまた。
26/03/06































































