自由の女神 | 愛菜っ葉AinaのHawaiiマウイ島暮らし

愛菜っ葉AinaのHawaiiマウイ島暮らし

ハワイのマウイ島に2013年から家族で移住
男の子4人の母
アメリカ人の旦那さんとオーストラリアで出会い2000年に結婚
フュージングの制作、販売
ステンド硝子講師
ガラスフュージング作家

自由の女神
あなたはどんなふうに感じるでしょうか?

友達がお土産で買ってきてくれました〜

私は小学生の頃よく読んでた『CIPHER』
という本でアメリカや海外の暮らしや
人間性が伝わる心理的な意味などが大好きで
中学、高校、大学、社会人、お母さんになった今でもまだまだ継続の連載の漫画本は買ってて、集めた本はマウイ島にもほとんど全て持って来てます。😆🎶


この漫画本を描いた成田 美名子は、
代表作は、『エイリアン通り』『CIPHER』など。登場人物の前向きな姿の描写へのこだわりで知られる。

私が今大切にしてるクリスタルも
サイファという名前をつけて日々外出するときに連れて行ってます。

成田 美名子の描くサイファは双子の片割れの芸名ですが、意味合いとしては0(ゼロ)



亡くなった娘のミドルネームもこの本に
登場する人物の名前つけたくらい大好き❣️

本にも登場するNY の暮らしは小学生だった
私には憧れの存在であり、自由の女神のある
マンハッタンはいつか行ってみたい場所の1つ✨✨

最近NHK の教育テレビで自由の女神のできるまでの波乱万丈の秘話予告が流れてて
昨日見てました〜

パリで作られ
NY で組み立てられた
世界遺産の自由の女神

世界一有名なモニュメント。

年間400万人が訪れる
世界中の人びとに愛されてる。
まさに自由の象徴ともいえる建造物✨


全ては0からのスタート


2万7千トンものコンクリートを使っている。

発案設計はフランス人

1869年
ナポレオン3世から
当時は野心的なプロジェクトでした。

アメリカは王がいないのに安定的な経済
フランスはアメリカと仲良くなりたかった。

1871年にアメリカに来て建てる場所を探す。
当時軍事基地だった島に決めました。
今は(リバティ島)が、
いろいろあったけど、
1875年にスタート(パリで制作開始)

段階を進んで上に積んで行く
12のパーツを作る。

高さは46m当時はこの高さは挑戦だった!!

青銅だけだと重くなる
数ミリのあつさの板にする。
銅の薄い板から石膏で作っていく作業
気の遠くなる時間と労力。

1876年のフィラデルフィアexpo で間に合うようにした。
ここでは手の部分を披露して資金を確保。

万博は世界でも国によっての技術の競い合い

当時は写真の技術を使って世界中に広めた。

これによって多額の資金を得た。

1877年はアメリカ政府の承認も得れた。

最大の難題もあったけど

砂を入れて重さと変形を解決。
でもまた資金がなくなった💦

パリの万博で顔を披露して
またまた資金確保。

しかし!!!
携わってた設計士がなくなってしまった!

次の人を探した

その名はエッフェル氏

鉄を使う新しい建築法を見つけて
内部構造に鉄を使うという発想。
パーツによって組み立てる。
柔軟性を持たせる。

鉄は軽いので安定が悪い。

鉄骨を3かくけいにして骨組みを組み込んで
エッフェルが考案して6年の歳月を得て
パズルのように組み立てて行った、、、


1880年代の世間に知らしめる建築物。

1884年に土台が完成。
その後鉄の複雑なパイプで台座を作り
その後に厳しい作業の中4ヶ月で完成

1886年10月28日ついに完成。

アメリカ人の人もフランスからの贈り物を
すんなり最初から受け入れ
自由の女神はアメリカの
自由と独立象徴になっていった。


足元には引きちぎられた楔
一歩前に女神の足
炎は純金
右手は独占ややみの光を照らしている。

長年愛された自由の女神も
歳月で劣化してきたので、2年かけて
リニューアル。鉄は銅と相性悪いにので腐食がすごくて、ステンレスを使ったり
今の最新技術で生まれ変わった自由の女神。

多くの試練を乗り越えてきたモニュメント
多くの情熱をそそいだ著名人によって
今もなお堂々とした姿。

私はいつかかならず見に行く!

私のクリスタルのサイファと一緒に❤️🌠