お早うございます。こんにちは。今晩は。
「サクラ」1st シングル表題曲3部作のMVが揃い踏み致しました❗。「ノバフォ」が表題曲でしょ❗ってわかっていても3曲ともに優越つけがたくて自分は3曲とも表題曲扱いです。三名のセンターで違う方向性の3曲を出す。どれかが「当たれ」ば良い「保険」をかけた体制とも考えられるとも思いましたが、3曲ともに「当り」の表題曲レベルの曲作りが(MV作りかもしれないですが😅)なされていることから3曲表題曲扱いです。あとの発表曲もどんなものか⁉まだ「当り」かも知れない⁉と、まだ楽しみは続いております。
 個々の曲の存在意義やパフォーマンスの見どころ等は皆さんにかないませんので、皆さんにお任せいたします(でも「Buddies」での「ふーちゃん」は嬉しいです😂なかなかMVやTVでは抜かれないですが「誰鐘」から抜かれ出して嬉しいです)。そして以前に紹介しました「ぱくゆう」さんもYouTubeを速攻であげております。

「Buddies」についてはさらっと流す程度とありましたがあまり使われることのない「引用元」からどれだけ風呂敷を広げるんだ⁉それでも力技で坂道曲にもっていき、最後にmeだ❗って終わらせる。とあるのですが、この「引用元」が分からなくて、お恥ずかしながら、さ迷っております。う~ん行進曲ぽいからクラッシック?歌劇とか舞踏会とか?YOの連発からヒップホップ?はたまた映画主題歌とか?現在?????です。
あとは自分も「サクラ」はセンターはもちろんですが、メンバーひとりひとりにバランス良く丁寧にスポットライトが当たっていると感じていますが、3曲の総括で話されている部分で、言及されております。


最後におっしゃられていますが最初の一年は熱量が高い(良い楽曲)が続くが、その後どうなるのかはファンの戦いにかかっている。「サクラ」立ち上げは(「秋元康」とも「運営」とも言及していませんが)「圧勝」との事。うなづいてしまいました🙇。

 前置きが長くてすみません😢⤵⤵。個人的に、さらに言いたいのが、「サクラ」でパフォーマンスの扱いが変わったと思います。
 「ケヤキ」では楽曲のメッセージや内容、物語をパフォーマンスでも表現していましたが「サクラ」になって楽曲のリズム、メロディーに乗せた、パフォーマンスでも視覚的にリズム、メロディーを感じさせる「為」のパフォーマンスへと役割が変わったと思います。
 こう捉えるとラストライブの「ノバフォ」に自分が何も感じなかった理由がこれだったのかも知れません。歌詞がよくわからない時点で、今までのようにパフォーマンスで感じようとしても、もともと無いのに感じられる訳がないのです❗❗。その後の「なぜ恋?」「Buddies」もパフォーマンス自体に楽曲の「中身」はありません。いや「なぜ恋?」は、かろうじてありますが、「ケヤキ」に比べたら無いに等しいです。MVになって、パフォーマンス以外のカメラワークも含めた、様々なシチュエーションで「中身」を感じられるようになり、ようやく初めて「あっ、この曲はこういった中身なんだ⁉」と理解できるのです。
 では、なぜ、そのように変化したのか⁉あくまで個人的考えですが、「TV」対策なのかもしれません。自分が今まで言ってますがパフォーマンスをさんざんぶち壊されてきています。全体で表現しているのに画面に収めていない。決めるショットを決めていない。そのくせ意味のないアップの多用。グチャグチャにしてるだけの初心者か?状態から変わりませんし、配信ライブでも同様です😥😰😫😢😠。
 もう「TV」に期待するのはヤメて、決めるショットだけに絞りこみそこだけ決めてくれれば、その他は撮影していればリズム、メロディーを刻んでいるに過ぎないので影響は最小限で済むはず。こういう作戦変更がなされたのかもしれません。
 本当に、こうなら問題点は、「中身」がわかっていないと「薄っぺらい」ものになる事です。「中身」がわかっていれば、メンバーがちゃんとやっていて、決めるショットが決まれば合格点が出ると思います。少なくともグチャグチャよりはスッキリするはず(にもならないなら初心者以下の論外👎)。
 しかし、全く「サクラ」も知らない、または知ってても「中身」も知らない方々が視聴する場合は、私の「ノバフォ」の「何にもない」状態にならないか⁉。私自身がTVを見ないですし、回りも「サクラ」を見ない人間ばかりで、判断が出来ないのですが、ネットで引っ掛かるのはMVで新たに入ってくる人は見ますがTVから入ってきた人はまだ見てないのが・・・。
 嬉しくもあり、怖くもありです。棘の道、まだまだ安心は禁物です。
 それでは、また、いつか、どこかで。