現実(リアル)と仮想現実(バーチャル)があふれる現代社会で、自分自身、というか自分自身の行動が、どこまでリアルなものなのかという問いに悩まされるここ数日。

今日は現代社会の中でも、日本の経済を握るもっともリアルな世界、『証券取引所』で研修をしてきました。
お金には縁のない仕事してるだけにとても楽しみでした。いろいろ勉強になりましたが、コンピュータの中での証券取引が経済を動かしている、資本主義社会も、なんだかバーチャルだな、と思いました。目に見えないお金に人間が支配されているなんて、おかしいですね。そして、お金のやりくりが上手い人が社会の支配者であるのも、悲しいですね。

バーチャルやフェイクで溢れているこんな時代だからこそ、長い休みには旅に出ることにしています。この夏も、リアルな何かを探しに行きたいな、と思います。

第1回目で、硬い話をするのもどうかと思うのですが。


参議院って不思議な言葉ですね。参議って平安時代に作られた職業で、明治のはじめには大臣のような仕事をしていました。西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、大隈重信などが参議と呼ばれていました。


それが今では衆議院とペアになって国の法律を作る機関を指す言葉に使われています。


参議院は、戦前は貴族院といっていました。貴族院は文字通り、貴族や、お金持ちが推薦されて議員になっていました。貴族だからという理由で、親の後を継いで議員になれる人がいたわけです。


今の時代からすると不平等な仕組みですよね。


ですが、貴族院議員の中には、自らが宿命や使命を感じ、一生懸命政治に取り組んだ人もいたはずです。


目先の生活を超然とした立場から国の方向性を導く立場の人がいることも必要だと思うのです。


戦後の参議院は、国民が選挙で議員を選ぶようになりました。誰を選ぶかの基準のひとつには上記のようなものが入っているべきだと思うのですが・・・。


はたして、私たちはそんな人を選べるでしょうか。タレント候補者ばかりで、自らの使命感を運命の中に感じ取れるような候補者がどれだけいるでしょうか。


参議院は「良識の府」と呼ばれていますが、衆議院と同じような選び方をしていて、はたして目的は達成できるのでしょうか。参議院の存在意義は薄れています。経費ばかりかかって形骸化していく参議院を捨てて、一院制にしたらよいのでしょうか。


私はそうは思いません。

すべてのものには存在意義があると思うのです。伝統に基づく高潔な志操と誇りを体現する場所としての参議院。今回当選した候補者には、そんな場所で国政を論ずる参議院議員であってほしいと願います。