ブランドコンサル『ダンディパパ』長谷部信道
(どん底から這い上がった田舎オヤジ)
今日は【夢の企画書】を書きましたので
皆様とシェアしたいと思います。
なぜ『助け愛の架け橋』を都会と田舎に結びたいのか?
これを語る前に、まず私の自己紹介をしたいと思います。
私は北海道最南の街、福島町で生まれ育ちました。横綱千代の富士と同じ故郷です。
5歳の頃、父の会社が倒産しました。超貧乏!ど貧乏!貧乏が当たり前の生活習慣の中、小中学校時代は野球大好き、水泳も得意で活発な少年時代を過ごしました。
…普通の少年時代
工業高校土木科へ進学、タバコ、酒、シンナー、万引き、喧嘩、不純異性交遊、暴走行為etc俗に言う不良の道に進み、恐喝によって小遣いを稼いでいた時期もありました。
…不良の青春時代
しかし、何とか無事卒業することができ、父が勤務する中堅ゼネコンへ就職、大学へは行けませんでしたが、なぜか勉強は好きでしたから色々と独学で学びました。
26年間のサラリーマン生活で必要な国家資格は、全て取得し、先輩達を追い越して40歳の若さで本社の工事部長に大抜擢されました。
…現場たたき上げエリートサラリーマン時代
しかし、その3年後、突然私は、辞表を提出しました。よく「なぜ辞めたの?」と理由を聞かれます。
恰好つける訳ではありませんが、自分の使命感が他にあるように思いました。
丁度区切り良く、部長として達成したプロジェクトがあり、独立するには、今のタイミングが一番いいと思ったからです。その時は、43歳、まだ20年は勝負できると思いました。
夢と希望に胸を膨らませて独立起業…しかし、成りあがったプライドが邪魔をして、何をやっても美味くいかず、退職金を使い果たし、家2軒も、マイカー2台も失い、挙句の果てに離婚…家族も失いました。
自殺を何度も考え、自暴自棄にさえ成りかけていた私にとって唯一の希望は息子達の存在でした。
息子達の前で「こんな情けない父ちゃんでごめんな!」と泣き崩れ、ボロボロの姿を息子達に見せてしまったことで、プライドも何も無くなりました。
「父ちゃん頑張れ!」その一言が希望の光となり、再起することができたのです。ここから2年、自分の使命を探し求めるように我武者羅に働き、コンサル業を続ける傍ら、沢山のクリエイターや会社経営者の方々との楽しい出会いを築くことができました。
そして遂に見つけました!私の使命を!私の本当の夢を!
その夢を真っ先に伝えたのは、別れた妻です。実家へ行き、実現可能な戦略と経済的な構想を妻に解り易く伝えました。一番この夢を共有したかった妻に語った結果…もう一度やり直す為、復縁することができたのです。最高のパートナー獲得に成功しました。もう、ぶれません!
能書きが長くなりましたが、北海道の田舎には、沢山の素晴らしい素材をもったクリエイターがいます。しかし、仕事がありませんのでお金になりません。彼らは、勤めながら趣味のように、その特技を持っているだけ…
北海道、東京、名古屋、大阪と全国的に拡大していた私のコンサル事業に加えて、彼らに必要とする仕事のマッチングができないか?文化芸術を創造するクリエイター達の育成こそが明日の日本を創る! これこそが私の夢であり私の使命だと思ったのです。
函館を中心に『創楽』というクリエイター集団があります。腕も技術もピカイチです。そんな彼らに日本一安いコストで都会の仕事を発注します!!!
都会のクリエイター達へも企業とのマッチングを推進していきます。何より、クリエイター同士がFacebookを通して交流ができますので、お互いの触発や技術の向上にもなっていくと思います。
必要とする企業と必要とされるクリエイター、時間枠を超える利便性をFacebookで共有しながら日本全国を結んでいきたいと思います。
これが『助け愛の架け橋』という私の夢です。
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