私が「みの源」を継いで二十年足らずの間に売上も右肩上がりを続けました。

途中からは弟も商売に参加するようになりました。この弟とのことについては後ほどお話しますが、彼の協力を得て宝塚の中山に支店も開店、船場の店との両店あわせて十億の年商になりました。当初の目標の十倍です。

のちに私が「ビル建設のために借金しても」という気になったのもこれだけの売り上げを経験したからでしょう。

その売り上げをさらに伸ばすために私自身もシャカリキに働きました

といっても私はべつに石部金吉の働くことだけが趣味の男でもありません。

付き合いもふくめて遊びごとも決して嫌いではありません。一時はゴルフにも熱中して「みの源杯」といったゴルフコンペなども主催して毎年大勢のお得意さんなどを招待したりもしました。

嵩じて幾つものゴルフ場の会員にもなりました。

半ば投機目的の助平心もあってめったに行くこともないオーストラリアのゴルフ場の会員権まで買ったりもしました

業績の良さから来た多少のおごりと気のゆるみだったかもしれません

けど、それ以上に働くことが大好きで楽しかったといえます。

商売は順調、私も自分のやりかたに自信をもち得意にもなっていました。親父も殆ど口を出さず、すべてを任せてくれていました。

けどある時一度だけ真顔でいわれたことがあります。「氏重、商売の調子がええのはよろしいが、ちょっと慢心してまへんか」

「なにいわはりますねん、私はお父さんの教えどおり、実るほど頭をたれる稲穂・・・」と言うのをさえぎって親父が言いました。

「それや、私の一言にすぐそうやって理屈で口答えしょうとするのは自分に思い上がりの心があるさかいや。まず素直に人の意見を聞いてから、ということが出来んでどこが頭たれてますねん。自分では真面目にやってるつもりでも他人さんはどう思ってるかわからん。まして商売というのはいつ、どこで、誰に、どんな形で足すくわれるか分からんのやで、常に謙虚に世の中、世の人と接して居んとあきまへん」。

「いつ、どこで、誰に、どんな形で足すくわれるか分からん」、親父のこの言葉を思い知らされる日がいつのまにか忍び寄っていたんです。