このところある女性の伝記の執筆に追われています。

アメリカのミネソタ州ミネアポリスに住む日本人女性なんですが、静岡の裕福な家に生まれ育った十九歳のときに、ホームステイのアメリカ青年と恋に落ち、家出をして独りでアメリカに渡りました。結婚生活6年で夫は麻薬に溺れ離婚。その後マフィアの男に殺されそうになったり、新しい夫と始めた事業も騙されて倒産。50歳の半ばの今は成功してミネトンカの湖畔に豪邸を、フロリダやモンタナ州にも別荘を持つ身分ですが、その波乱の40年にわたるアメリカでの人生を綴っています。

春には、といってももう暦では春ですが、完成の予定です。出版の節は是非読んでみてください。

ところで、この物語を書いていくうちに「失敗したな」と感じることがあるのです。

というのは、最近の習慣でワープロを使って書き始めたんですが、どうもワープロで書いた文章は、読み返してみるとどこか「よそよそしい」のです。

本書きというのは、自分が書こうとする世界に自分自身を置きます。書いているうちにストーリの中の人物になって喋ったり行動したりして、それがごく自然にペン先を走らせてしまうのです。

ところがワープロで文章を作るとなかなかストーリーの中に自分を没入させることが出来ないのです。大きな原因のひとつは私の技術の拙さゆえなんですが、ブラインドタッチが出来ないものですから、文章よりもキーボードを見ている時間のほうが長いのです。

もうひとつは漢字変換です。変換のたびに幾つか並んだ漢字のなかから正しい漢字を選び出す作業をしないといけません。そのたびに「我に返ってしまう」のです。物語の世界から、単に機械を操作するという現実に引き戻されるのです。

こうして出来上がった物語の中には、作者である自分の存在が非常に希薄になっているのです。

ある人は「ワープロで打った文章は流れてしまう」といいますが、私の場合は「途切れてしまう」のであります。

パソコン使用は事務的な文章か、せいぜいこのブログ程度のものに限りますな。