本日、44歳を迎えることができました。 誰しもが毎年迎える誕生日ですが、位置づけや向き合いかたは人によって大きく違います。
 ここ十数年は「いい年をして、なにがお誕生日なものか」と思っていたものの、今年は少し捉えかたを改めました。歴史上の人物の生き様をみると、若くして亡くなったかたは少なくありません。名を残すような生き方をすれば生命を脅かされるリスクにさらされるのかもしれませんが、30代40代で終わったような経歴をみると何とも言えない気持ちになります。そのことを思えば、44歳になることができたのは、やはりめでたいことなのです。純粋に、ひとつ年を重ねた喜びを味わっています。
 自分という人間と、これまでイメージしていた44歳がまだ結びつきません。なにしろ44歳になったのが初めてなものですから仕方ないでしょう。少しずつ理想の形に近づけていけば良いのです。人格穏やかで、周囲からの信頼厚く、それでいて成長するための自己研鑽は惜しまない。さらに後進の育成にも積極的で、公私共に充実した・・・とハナから実現する気がないことはスラスラ言えます。
 せいぜい、「44か・・・ゾロ目やな、バースやな」くらいの所感です。

 改めてエラい年になったものです。
 「二十歳を過ぎると早い」
 誰もが年上の人から一度は聞いたことのある言葉ですが、僕もこの場を借りて自分より年下の43歳以下にささやいておきたいと思います。
 「40を過ぎるとさらに加速するで」
 「10年ひと昔」ではありませんが、さらに倍、20年前の24歳のときですら昨日のことのよう・・・などと言えば、さすがに厚かましいでしょうか。
 つい数年前・・・数年も前のことを「つい」とつけてしまうところに加齢具合が垣間見えますが、そのつい数年前に24歳の自分と向き合う、タイムスリップしたような出来事がありました。
 当時働いていた会社にいまだ在籍していると思いこんだ電話が掛かってきたのです。「〇〇の営業の神田さんですか?」とうの昔に辞めていますし、なんなら働いていたことすら忘れかけていました。どう対応したものか混乱していると、先方は「あ、間違えました」と電話を切りました。人名として間違えてはないのですが、僕個人に用事があるわけではなく、その会社への用件でしょうから間違い電話だったと言えるでしょう。「営業の神田さん」20年経ってもそのひとのなかで僕は出世していないことが引っかかりましたが、受け流しておくことにします。
 個人の携帯番号を知っているということで思い当たることがありました。その頃、作品に入っている期間以外は社会勉強の一環として映像業界に関係のない業種で働いていました。そのなかのひとつとしてインターネットのプロバイダ営業をしていたのです。2004年ごろといえば、いまのように誰でも簡単にWi-Fiが使えたような時代ではありません。自宅でインターネットを楽しむためには端末装置をパソコンに繋げ、パソコン側にも煩雑な設定が必要でした。
 「契約したら繋げてくれる?」ある老夫婦から、そのような申し出を受けました。「電器屋で勧められて買ったはいいものの、ぜんぜん使い方がわからなくて・・・」客の端末を触ることはご法度でしたが、目の前にぶら下がった契約には勝てません。こっそり連絡先を交換し、回線工事が終わった知らせを受けてから、仕事終わりに老夫婦のお宅へ寄りました。
 通された居間には買ったばかりのような真新しいパソコンが設置されていました。僕が設定しているあいだ、ご主人は興味津々で覗いてきます。「写真つきメールも送れるの?」「どうやって?」「新聞が読めると聞いたけど?」はやく済ませて帰りたいのに、いちいち答えていると作業がまったく進みません。そのうち質問に対する答えが雑になってきました。
 「この離れたところにあるボタンはなにに使うの?」キーボードの左上にあるエスケープキーです。パソコン初心者のおじいさんは使うことがないでしょう。「あ、触らないでくださいね。爆発しますから」もちろん冗談です。それから質問が止まったのは、僕から軽くいなされたのが雰囲気で伝わったのでしょう。ようやく作業を済ませると、出されたお茶を一気に飲み干して辞去しました。
 僕の偉いところは、わずかながらの責任感があるところです。ちゃんと使えているか気になったので、後日再訪問してみました。老夫婦はごきげんで、問題なくインターネットを楽しんでいる様子です。おばあさんは「主人は一日中パソコンの前にいて・・・」などと嬉しそうに報告してくれました。「いくら使ってもらっても定額で料金は変わりませんから」お愛想を言ってパソコンの方をみると、すすっていたお茶を吹き出しそうになりました。エスケープキーにボール紙で作られたカバーが被されており、「バクハツ」と太マジックで書かれていたのです。

 24歳が昨日のことのよう・・・はさすがに無理があったみたいです。むしろ実際に振り返ってみるといまの生活とはかけ離れていて、まるで前世の記憶のようでした。しかし10年前の34歳ならば、もう少しいまの自分に近いはずです。僕の好きな映画のひとつに「キング・オブ・コメディ」がありますが、34歳の誕生日前にも観ていたようです。
「ドン底で終わるより、”一夜の王”になりたい」
 当時の僕は劇中のセリフにいたく感銘を受けていました。そこには堅実さや謙虚さのかけらもありません。「一発当てたい」とギラギラした欲望を感じます。当時のトガり具合に衝撃を受けました。「理想の44歳」を思い描いているいまの自分とはエラい違いです。
 生きていくなかで自分という存在は絶対的であり、日々の変化には気づきにくいものですが、やはり人間は時間の経過によって変化していくのです。34歳の自分が言っています。
「いまがドン底であると認識することが成長につながる、つまり34歳ではなく、24歳と120ヶ月だと思えばいい」なにをいうとんねん、です。
 ただ、このような月数換算は時間を俯瞰的に感じることができて面白いかもしれません。

 本日のお誕生日で成立した44歳は月数で表すと528ヶ月であり、週では2296週です。さらに日数にすれば16072日になります。「これだけ積み重ねたか」と感じるか、「意外と短い。こんなものか」と感じるかは人それぞれでしょう。
 34歳の自分をすぐに振り返ることができたのは、このブログの存在によるものでした。
 30歳だった2010年6月30日から昨年2024年10月29日まで1日も欠かさず毎日記事を更新していたからです。内容は日常にまつわる日記的性格のものです。もちろんすべてが事実ではなく、多少の脚色をいれた部分もありましたが、その根幹は日々の生活について書いたものでした。
 ネットには簡単に日数計算をしてくれるサイトがあります。起点と終点の日付を入力すると期間の長さを算出してくれるのです。ブログを連続更新していた期間は14年と4ヶ月でした。日数にすると5236日です。我ながら「よう続いたなぁ」と呆れました。44年の人生を日数にすれば16072日ですから、およそ3分の1近い期間、毎日なんらかのことを書いてアップしていたのです。
 いまのブログの主流といえば、情報をからめたものです。ファッションやグルメ、あらゆる雑貨など、生活と身近にあるものを紹介する記事が人気です。また、ビジネスの広報目的で利用している人もいるでしょう。僕の場合はまったく役に立つ情報のない雑文を14年以上続けていたのですから、「ちょっとこの人、大丈夫やろか?」と我がことながら心配になります。
「おたくの長所は?」
「根気強いことです」
「そら結構なことですなぁ。たとえば、どう根気強いんですか?」
「はい、しょうもない文章を14年以上にわたって毎日書いていました」
「・・・」
 僕が面接する立場でも目を伏せてしまいそうです。

 連続更新が途絶えてから4ヶ月以上が経ちました。毎日更新しないのは、なんとラクなものか。誰に頼まれたわけでもないのに、知らぬ間に義務のように感じていたのかもしれません。そうそう毎日ネタになるようなことが起こるわけでもないですし、自分に課せたルールのようなものもありました。グルメ紹介など他でやっていそうな題材は避ける、下ネタ禁止、悪口を書かないことは当然として、観た映画や本がイマイチで感想が批判的な視点になってしまった場合はタイトルを明かさない、文字数は多くても1000文字程度、などです。
 ラクに感じていたのも1~2ヶ月くらいでしょうか。昨年末くらいから違和感のようなものを覚えるようになってきました。日常で欲しているなにかが欠損しているような気持ちです。数日考えたのち、その正体に気づきました。消えかけていたのは、しょうもないことを言う場所です。
 ブログを休止したことで、つい思ってしまったしょうもないことを言う場所がなくなってしまったのです。場所がなくなったことと連動して、呼吸するようにしょうもないことを考えていた習慣すら失ってしまったようでした。社会的な立場は、信頼を命綱とする零細企業の経営者です。生活のなかでそうそうしょうもないことを発表できるタイミングがありません。このままでは、しょうもないことを考えることのない、しょうもないおじさんになってしまいそうです。
 若かりしころのように「気軽なバクハツ」を発動できる余裕を取り戻したい。そこでお誕生日を良い機会と捉えて、数カ月ぶりのブログ再開のために愛用の一太郎を開きました。(ちなみにこれまでのブログもすべて一太郎で書いて、それをコピペして貼り付けていました。アメブロを始めた2005年ごろは書いている途中にサーバー切断されることが多かったので、そのころからの名残です。)

 以前のように毎日書くつもりはありません。まったくの不定期であり、更新頻度は減るでしょう。一月に一度も更新しないかもしれません。
 いま考えているのは、ブログの存在を以前より自由に捉えようということです。別に「マイルール撤廃!下ネタ書くぞぅ!」というわけではなく、捉えかたとしての自由です。不定期もそうですし、これまで通りのフォーマットに縛られることなく、こどものころに持ち歩いていた「じゆう帳」のようなイメージでしょうか。いいスマホに買い替えたので写真だけをアップしても楽しそうです。
 立場や責任とはまた違う話としての自由を求めています。それは、思考的自由です。世間に流布しているような固定観念にがんじがらめになったしょうもない考えからの解放です。同じしょうもないことならば、自分ならではのしょうもないことを考えていきたいのです。とりあえず再開一発目は、少し前に話題になった「マルハラ」に対して、「マルハラ上等!」の気分で長文形式にしてみました。マルがいっぱい、世間的な潮流からかけ離れている分量でしょう。
 なにか決断しなければならない選択肢の前に立ったとき、どちらが面白い道なのか、自分が本当に求めている満足が得られる選択をすることで、若さを手に入れることはできそうです。外見的なものではなく、思考的な若さです。そうすれば40代なかばも活き活きと過ごせることでしょう。
 「若い気持ちでいることとは、自分の未熟さを認め、“ドン底”であることを恐れないということです。」
誰の言葉かと思えば、10年前の僕が言ったことでした。
 「気が若いとドン底でも気にならないよ」若かりし自分からのメッセージに対して、44歳になったいまの自分から湧き上がってくる想いがありました。
 「いつまでドン底のままやねん」
  年を重ねたことを機に変化を追ってきましたが、10年前といま、変わらない部分もあったようです。

 ドン底であろうと、元気に毎日を過ごせることがなによりです。