すしをテーブルから落した娘
納豆巻きが好きなので昨日買ったのだけれども、私がキッチンで何かしている間にテーブルから落した。
5歳の子供では、注意しきれない周辺の位置関係など、察っすれというのは土台無理。
冷静な大人は、それがわかるなら怒ったりしない。
イライラしている大人は、対処できずにいきなり怒鳴る。
よくあると思う。
私がこんなことを長々と書いているのは、自分が養父母にされてきたことを、反芻するためなんだけれども、本当に育児をする覚悟があるなら、怒りか叱りか自分の態度に気付くことが必要だと思うからで。
気付くだけで90%解決だと思う。
うまいこと手を回して手際よく片付けてしまい、自分の心にイライラをつのらせてはいけないんじゃないかと思う。
自分の心がどこら辺で停滞しているのか知るいい機会だ。
私は、ラッキーなことに、イライラじゃなく不安が先に来た。
多分自分がされてきたことを思い出し、投影されたからじゃないか。
うざいことをまた書いてるなと思う。
が、なんていうか、夫婦で取り決めている連携が、発揮される場面だった昨日。
一応記録しておこうと思う。
気付いたから何だ?だよね。
自分が、反復脅迫しないためなの。
昨日娘が納豆巻きを3個程テーブルから落した。
娘「落しちゃった」
夫「端っこに置いといたんでしょ、そりゃ落ちるわ どれよこしなさい、あ、いい、どけて」
娘「・・・」(悪いと思ってるね)
私「落ちたんかい?」
夫「父ちゃんが拾ってあげるから」
長男「俺にちょうだい。食べる」
夫「落ちたんだよ」
長男「いいもん」
と言って、夫と長男で落ちた納豆巻きを食べた。
なんてこと無いんだけど、余裕の無い大人と比べることをして、自分が子供に何をして上げれるか自分に答えを見つけさせる。
夫とは、虐待されて育った私の親としての生き方を話し合って、力不足の私を見守ってもらっているし、知恵を貸してもらっている。
自分だけでは、偏見のある見方も、夫が力添えしてくれると100通りもの解決方法が編み出される。
それを見ている長男も、妹の失敗を冷静な目で見て判断できるようになっている。
余裕の無い大人が、取る行動をご紹介しよう。
テーブルからお箸を落した娘。
普段の生活から、父親の手が飛んでくる構えでいるので、とっさに言葉が出ない。
そのかわり、自分でお箸の落下を防ごうと自分の手で必死に押さえる。
が、間に合わない。
娘「!」(背中に冷や汗を感じる娘)
すぐに、父親のビンタが来る。娘は顔を思い切りぶたれて飛ぶ。
父「何やってんだっまーた落したのか!」(怒りをぶつける下準備ができているんじゃないかと思うほどのすばやさ)
娘はすぐ拾って食べようとするけど、震える手元がしっかりしない。
うまくお箸を持てないその手元に、父はさらにイライラをつのらせる。
父「何度言ったらわかるんだ。箸の持つ練習しなさいっ」(と、言って再びすばやいビンタ)
最初からおびえきっている娘は、心から落ち着けずいつまでたっても恐怖で冷静にお箸が持てないでいる。
母「何をやってもだめな子ね。・・・泣くなっ泣く時は親の死んだ時だっ」
おびえきっているところに追い討ちをかけるような脅迫を言う。
いくら虐待が激しい両親でも、死んでほしいとこの年齢から望んだりまずしない。
さびしいから、泣くほどの別れは子供にとって恐怖。
娘は涙と一緒にご飯を、できるだけ静かに食べなくてはいけない。
ご飯は涙の味しかしない。
こんな感じ。
これを、私は子供たちに受け継がせないために、自分と対峙する。
でも、私の養父母のように、子供を殴りたいという気持ちは感じられない。
子供にこういう気持ちでいる大人が不幸じゃないかな。
私は、別な意味で不幸を背負ったけど、子供には恵まれた。
私の不幸は、実の親が誰だかわからないこと、養父母が育児で不幸になるタイプの人間だったということなんだけれど。
5歳の子供が今できないことは、来年にはできるようになったりする。
積み上げていく毎日の生活のなかで、一緒に暮らす人の生活の態度や知恵なんかで子供も身につけていくといい。
今日明日に成果を上げるというんじゃなく。
成長を望めない子供も存在するこの世で、もし五体満足で生まれてくれたなら、急がず毎日を楽しむ育児を見出すことはできないだろうか。
それこそ、五体満足で生きてきた親の立場である私たちの知恵や可能性を生かして。
偉そうに書いているな。
どうしたら、虐待をしなくてすんだのかな。
毎日セクハラと受け入れてくれない親の背中なんて私は感じ取りたくないんだけど、そういうものばかり私のアンテナにひっかかる。
いやだな。
そんな精神的に不安定な私が、子供の育児に虐待を加えないで生きていけるのは、人間が壊れるのを少なくとも経験しているから。
いろいろあって不思議無いのよ。
みんないろいろ背負っている。
私は、こういう風に生きているけど、他の人はまた違った感性で生きている。
娘は笑う。
ものすごくかわいく。
私がもし、虐待されず性的いたずたもされず普通に平凡に生きてこれたならと、女々しく考えるけど、私にもこういう笑顔が備わっていたかもと思うと生まれてよかったと思う。
それが、不幸にも今発揮されなくても、娘が目の前で実現してくれていると、幸せだ。
本当はこうやって笑えたんだね私。