どうも、だんだつです。
今日はチェーンソーマンを通して人生を語りたい。
てことで、まあ私だんだつはチェーンソーマンが結構好きなわけです。
デンジのあの単純さと健気さに憧れて、あんな風に生きれたら最高の人生なんだろうなと思います。
ここでもう完結しちゃったチェーンソーマンですが、わたし的にはこの物語はデンジが最高な人生を掴み取るまでを著すお話なのかなと考えてます。(それでいうならまあまああの終わり方はバッドエンドだけど)
とするならこの物語は私の今を変えるための教科書では無いでしょうか?
実際「チェーンソーマン」は現代社会を生きる私たちの苦しみをなかなか如実に表しています。
例えばアサちゃんです。
人との関わるのが苦手で無愛想になってしまったり、歩み寄ろうとしたら失敗したり…。なかなか等身大な感じでよくいる思春期の女の子です。
アサは賢い女の子のように思えます。自分の限界をよく知り、はなから他人には期待しない。開き直って心が傷つかない準備をしているわけです。
ただこれはやはり愚者の選択でしょう。
かつて精神科医であるフロイトはこういった行動を合理化という防衛機制として定めました。
失敗や不安、不満に言い訳をして、もしくは自分自身にさえ期待しないことでこれ以上傷つくことはない。
そんな合理化には弱点があります。それはこの思考が自身に虚無感しか生まないことです。
何にも期待せず、全ての負の出来事にそれらしい理由をつけることはなんの成長も、なんの希望も生みません。それどころか楽しかった出来事でさえ、期待しても無駄だといずれ起こりうる負の出来事チラつき心から楽しいと思えなくなります。
最近のZ世代にもこの傾向は大きく見られるようになりました。個人主義が台頭し「自己責任」の風潮が高まった現代、SNSの普及による社会的比較から自身に求められるもののレベルが前時代より急激に跳ね上がり、多くの若者は自身を「凡人」として認識しています。
自身に特別を見出だせず愛せずにいる。
凡人な自分を何度も否定し心が傷つく。
何度も傷つくことで疲弊した心はこれ以上傷つかないよう防衛機制を働かせるのです。
アサはそうした葛藤を抱えた「ごく普通の」女子高生なのです。
しかしそんな自身に最も対比的な存在が劇中、現れることになります。
それがデンジです。
自身の一切を肯定し、何にも縛られず好きなままに生きる。
そんな彼はアサがそうであったように、多くの読者の憧れとなりました。
憂鬱とは過去から学んだ未来への不安。虚無とは憂鬱を何度も経験し乗り越えられなかったために起こる自身への諦め。
そうした感情をアサは常に抱えていた。
一方デンジは過去に一切縛られない。
これは私たちが生きる上でも大きなヒントになるでしょう。
私たちは今という時間しか生きることはできない。だからこそ過去に怯えるのではなく、過去を乗り越え未来を変えなければならない。
なんてことは考えなくていい。
もっとバカになればいいんだ。何度同じ過ちを繰り返しても、何度も他人に裏切られても、怒り、泣き、笑い、楽しもう。喜怒哀楽な生き方はとても疲れるし、苦しい生き方だが、綺麗事野郎やニヒリストな野郎よりよっぽど人間らしく、美しい生き方だ。
そしてただ1つでいいから目先の目標を作ろう。それさえあればどんな苦しみをも耐えれるような。
デンジは胸を揉むことやS〇Xをその目標にしていた。
それが無ければそれを見つけることを今の目標にすればいい。
宇宙規模で考えればたった100年という時間しか生きれない私たちがなせることなんてほぼ無に等しいだろう。
だからこそ、その儚い時間で何かを求めようと藻掻く私たちの魂は高潔であり美しいんだ。
生という無意味に意味を求め抗うことこそ、私たちが真に自由である何よりの証拠だからだ。
とぅーびーこんてにゅー
