幸せスパイラル、こまりん回でした。


アニメで見ると、あのほわほわしたこまりんがほわほわと動いてて、ほわほわしてました。ニコニコで見ているので、コメントでは「きm」とか「池沼」とか言われてましたが、こまりんはこまりんです。ああいう子は見ていて本当に心がほかほかしてきますね。かわいい。


BGMも相変わらずゲームと同じだし。こまりん専用BGMが流れたときは「きたあああ」ってなりましたね。


あと、鈴が猫たちと戯れるシーンが出てきましたが、その姿・・・まさにゲームそのまま!CG回収!ってガッツポーズしちゃいました。


目をつぶったらゲーム画面が浮かんでくるくらいゲーム要素たくさんあって、リトバスゲームファンとしてはとっても楽しいアニメですね。うん、好き、大好き。


最後にこまりんと鈴が戯れてる(って言ったら語弊がありますな)シーンとか、恭介の笑みとか真人の爆笑とか、もうもうもう、リトバス好きだ、大好きだ!ってなりました。


真人はかっこよかったですね。鈴に投げつけられた靴をすかさずこまりんに渡して、追いかける口実を作るとか、あいつ案外馬鹿じゃないかも。・・・いや、馬鹿だよね。だけどやっぱり、愛すべき馬鹿。


次は姉御回らしいですね。わたしはもう始まる前からはるちんを楽しみにしていたので、はるちんはるちんはるちん!!はるちん大好きですよ!


という支離滅裂な感じで明るく終わります。まる。

わたしはすごくなんかないのです。いろんなことを「やります」って言っちゃうのは、「やらないです」と言えないから。他の人がやらないんならやるし、他の人がやるんならやる。その結果、やりたいことをやれないことだってたくさんだし、やりたくないことをやってることもたくさん。だけどそんなのもすべて些末事。わたしには、わたしがない。わたしはわたしがわからない。何をやりたいのか、何をやりたくないのか、何が好きなのか、何が嫌いなのか。わたしの感情はわたしが決めることではなく、わたしと他の誰かを比べたときにすべてが決定する。わたしが抱えている問題すべても、例えばあの人よりは忙しくないからまだ頑張れると、そう考えてすべて動いている。だから大変じゃろ、無理しないでと言われても、それは他の人の基準によってしか考えることができず、そして他の人の基準を知ることもできないから、結果わたしは無理をしているのか無理をしていないのかたださぼっているだけなのか甘えているだけなのかがわかんなくなる。自分に自分がないから、空っぽ。努力の過程を問われるようになった昨今だけど、努力は何をどうすれば努力になるのかがわかんない。人と比較するのは好きじゃないなんて言いつつも、いつだってわたしは他の人と比べっこしながら生きている。わたしが他の人よりあの人と仲良くなれていないのは、他の人より顔が劣っているからだ、顔が劣っているからなんて考える心が悪いからだ、そんな風に考えて考えられることすごいだろわたし大人だよなんて思っている頭が悪いからだ、とかとかとか、他の人を基準にして生きている。わたしは一人じゃ生きられない。一人になったら、わたしを決定づけるものが何もなくなって、ゼロになっちゃう。想像もつかない。一人で生きるなんて。わたしは一人じゃ生きられない。だけど他人と一緒じゃもっと生き辛い。そんな辛さを抱えてどうせみんな生きているんだろうなわたしだけじゃないんだろうな。わたしは何も特別なんかじゃない。だけど特別って考え方も他の人が存在しているからであって、わたしはやっぱり他の人に依存して生きていて、そう考えてしまうから、他の人と生きることは辛いんだ。甘えんな、きっと世界のみんなはわたしよりも頑張っている。わたしより辛い思いをしている。そう考えたら、わたしなんて極小矮小ミジンコみたいな存在で、だったらもういっそのこと○んでしまえばいいのかなとか考えて、いつだってわたしなんて○んでしまえと呪っているけど、痛いのは嫌だから、○のはいやかなあと思ったり、だけどそんなのはエゴだから、やっぱり○んでしまえよと考えています。


比較したり、されたり、忙しいね。

だけどわたしは、こうして生きることしかできないんだ。

そうやって、生きてきたんだ。