まずは、おめでとう!

イチローが涙 祝福してくれたチームメイトに感謝「あんなに喜んでくれて…」
デイリースポーツ 8月8日(月)
 「ロッキーズ7-10マーリンズ」(7日、デンバー)

 マーリンズのイチロー外野手(42)がロッキーズ戦でメジャー史上30人目の通算3000安打を達成した。
大台まで1本としていたイチローは「6番・中堅」で8試合ぶりに先発で出場し、七回の第4打席で右越え三塁打。
メジャー16年目、通算2452試合目でアジア出身選手では初となる偉業を成し遂げた。

 敵地ファンはイチローをスタンディグオベーションで祝福。
さらに、マーリンズの三塁側ベンチからは仲間たちが走り寄り、祝福のハグ。
イチローは感激の表情を見せた後、ヘルメットを取って球場全体を見渡しながら感謝の意を表した。
イチローも感極まったのか、サングラスの奥には涙が光っていた。

 「達成した瞬間、あんなにチームメイトが喜んでくれて…」と仲間に感謝。
「3000という数字より、僕が何かすることによって、僕以外の人が喜んでくれることが、今の僕にとって何より大切なことだと改めて認識した」と語った。

 さすがのイチローも産みの苦しみを味わった。
7月28日のカージナルス戦で2998安打目を放ったが、以来7試合無安打。
12打席目となる6日のロッキーズ戦で2999安打を放ち、8試合ぶりの先発となるこの日、ようやく3000安打を決めた。
「これだけ長い時間、特別な時間は僕にとってのプレゼント。考えてみれば、この時間の使われ方はよかった」と振り返った。

 また打球が上がった瞬間は「超えて欲しいと思った」と素直な気持ちを吐露。
三塁打での大台到達はポール・モリター(ブルワーズ)が96年9月16日にロイヤルズ戦で達成して以来の史上2人目。
「三塁打で決められたのは、2人だけだからね。その方がよかった」と喜んだ。

 さらに福本豊の持つ三塁打の日本プロ野球記録も超えた。
「(福本さんには)ごめんなさいとしか言えない」とイチローらしい言葉で締めくくった。

彼にとっては、これでもまだ通過点なのでしょうが・・


次の記事は、ロシアや中国の行動原理がよくわかる卓見です!

ぜひ一読ください!

2016.8.8 産経新聞
【正論】
戦後71年に思う 
法を守る者は愚か者、リアリストを尊重…ロシアの本質を知り政策再考を 
新潟県立大学教授・袴田茂樹

 戦後71年にあたり、ロシア問題に関して単なる現象面ではなく本質から考えたい。

≪法律意識の根本的な違い≫

 今日のドーピング問題だが、世界反ドーピング機関(WADA)も、これは単なる選手個人ではなくロシア連邦保安局(FSB)など国ぐるみの問題だと指摘した。
メディア上では「ドーピング文化が国ぐるみで深く根付くロシア」「ドーピング問題は汚職と結びつき、賄賂と汚職がロシア文化となっている」「勝利のためには手段を選ばない文化がロシアには根付いている」といった、ロシアにとって不名誉な言葉が躍った。

 問題は規律とか法に対するロシア伝統の社会心理そのものに深く関係している。
したがって、それは政治や社会のあらゆる面に深刻な影響を及ぼしている。
「クリミア併合」とか北方領土問題などロシアの外交政策にも、この文化はもろに反映している。

 私はソ連時代数年間モスクワで生活し、日本とロシアにおける規律感覚、法意識の根本的な違いに気付いていた。
一言で説明すると、日本国民は規則や法を律義に守る。
しかしロシアでは「規則とか法律は潜(くぐ)り抜けるのが生活の知恵」と心得、それらを律義に守る者を愚か者扱いする。
この心理の背景だが、歴史的に帝政時代から今日に至るまで、規則や法律はお上が自分の都合で民衆に押し付けるものとみているからだ。

フランス人のトクヴィルが19世紀の米国を見て、「アメリカ民衆は法律を自分たちのものと信じ、喜んで従う」と述べたが、その正反対なのだ。
ロシアには法に関する民衆の諺(ことわざ)が次のように昔からたくさんある。
「法は馬車の長柄と同じ。御者が向けたい方向に勝手に向けられる」「法のあるところ侮辱あり」「法は蜘蛛(くも)の巣、クマバチは抜け蠅(はえ)はかかる」「神には蝋燭(ろうそく)を、裁判官には包みを」

≪帝政時代と変わらない心理≫

 「クリミア併合」は、当初は「自警団」と偽装してロシア軍を送り込み、軍事支配下で形式的に「住民投票」を実施し、「法に従った併合」にした。
ソ連時代の収容所に関して、このような「順法精神」の本質を示す話がある。
「収容所の規則では、逃亡囚に対しては2発空に向けて撃ち、3発目で狙うことになっていた。実際には1発目で狙い、あとの2発は空に向けて撃った」(マルチェンコ「わたしの供述」から)

今、ロシア指導部は世界に対し、ロシア民衆と同じ心理を有している。
つまり、世界の秩序は、支配者だった欧米が自分の都合で押し付けている、という見方だ。

 19世紀末の皇帝アレクサンドル3世は、「ロシアは敵に囲まれている。同盟国も必ず裏切る。最上の同盟者はロシア軍のみ」と述べた。
最近ロシアのラブロフ外相が記者会見でこの言葉を肯定して引用した。
対外政策に関しても、ロシア指導部の心理は帝政時代とほとんど変わっていない。

 ロシア指導部は、国際法とか国際機関などは、信用も尊重もしていない。
政治学者も公然と「国際法は各国が有利なように解釈しており、その権利もある」と言う。
だからロシア指導部は、「オリンピック規則も各国は潜り抜け、多かれ少なかれドーピングなどに手を染めている。重要なのは、いかに巧妙にそれを隠すかだ」と確信している。

 それゆえプーチン氏もドーピング問題を、欧米の反ロシア政治行動だと反発したのだ。
この件でロシアが反省しているとしたら、その行為自体ではなく隠蔽(いんぺい)失敗に関してである。
だからこそ、不正行為の情報を国外に漏らした者たちを「裏切り者」と非難するのだ。

≪甘い幻想を捨て対応せよ≫

 前述のようにロシアは国際法や国際機関は信用も尊重もせず、また主権侵害も行う。
ただ、これにはただし書きが必要だ。
というのは、利用可能と見たらとことんそれらを利用するからだ。

 ロシアのこの面でのシニカルさは、中国とともに徹底している。
例えば、ロシア指導部は「クリミア併合」問題で国連総会が非難決議を出しても、歯牙にもかけなかった。
しかし、安保理で拒否権を有しているので、国連は最大限利用する。
それ故、国連安保理決議を経ない有志連合の軍事行動は「主権侵害」と厳しく批判するし、そのため一見、国連重視のようにも見えるのである。

 北方領土問題で長年、対露交渉をした外務省高官が、ロシア側の交渉態度を「法匪(ほうひ)」と表現した。
クリミア問題など国際法を平気で蹂躙(じゅうりん)するロシアが、交渉の場では国際法や国連憲章の利用できる部分は徹底して利用するからだ。

 わが国も対露政策にあたっては、お人よし的な「気配り外交」や「期待外交」に終始しないで、ロシア政府のシニカルな側面を知悉(ちしつ)した上で、冷静なリアリストとして対応すべきである。
ロシアはむしろ、そのような甘い幻想を抱かないリアリストこそ、尊重もし尊敬もする。

ロシアでは「規則とか法律は潜(くぐ)り抜けるのが生活の知恵」と心得、それらを律義に守る者を愚か者扱いする。
ロシア国民のメンタリティが簡潔に表現されています。

国家ぐるみのドーピング問題が、不参加となった選手から政府批判に向かわないのは、こうした背景があったのですね。

となると、世界標準(?)からかなりずれているロシアンウエイを根本的に見直させるきっかけとするチャンスを見送ったという意味でもIOCの中途半端な判断は残念でした。

つまり、みんなが守るべき法を守らないと、国際社会ではそれ相応の対価を払わなければならなくなる、という強いメッセージです。

法を守らないこと(くぐりぬけること)が、普通に恥ずかしいことだという道徳観を、国連の常任理事国(ロシアと中国)に今更説かなければならない状態だというのもおそろしいことです。

外務省幹部は必読のコラムですが、是非ともこれを前提に「相手の裏をかく、もしくは常時先手がとれる外交」を構築して欲しいものです。

では、リオオリンピックの主な結果です。

柔道】銅メダル・中村美里「総合格闘技」転身?
東スポWeb 8月8日(月)

【ブラジル・リオデジャネイロ7日(日本時間8日)発】リオデジャネイロ五輪柔道競技2日目、女子52キロ級の中村美里(27=三井住友海上)が銅メダルを獲得した。
過去の五輪で金メダルを逃してきた中村は、今大会での雪辱を目指したもののかなわず。
それでも中村には新たな“野望”が芽生えている。
中村は総合格闘技への挑戦願望を本紙に告白した。

 2008年北京は銅メダル、12年ロンドンでは初戦敗退。
そして迎えたリオ五輪は“3度目の正直”となるはずだった。
ところが、準決勝のマイリンダ・ケルメンディ(25=コソボ)戦で指導をもらうと、そのまま逃げ切られ、金メダルの道は絶たれた。
あまりにもアッサリと終わった一戦に、しばらくぼうぜんとするしかなかった。

「取り返せる自信はありました。でも、相手も必死でした。力が強い選手だということは分かってはいたが、思っていた以上で、自分の組み手を生かせなかった」

 3位決定戦で何とか銅メダルを手にしたものの、悔しさは隠し切れない。
準決勝までは調子が良かっただけに、報道陣の前に現れたときには涙が止まらなかった。

「この4年間はいろいろな経験をした上で、人としての幅が広がった。
その上で勝てなかった悔しさは、北京やロンドンのときとは違う」。
その思いは今後、別の舞台で晴らすことになるかもしれない。

 かねて興味を抱く総合格闘技のリングだ。
「やれる自信は特にないんですけど、一回そういう試合に出てみたい願望はあります。
一回でいいので、どんなもんか。多分、一発殴られたら終了だと思うんですけど」と本紙に思いを打ち明けている。

 もともと中村が柔道を始めたのも、格闘家への憧れからだった。
小学校時代はK―1、PRIDEの全盛期。
元自衛官の父・一夫さん(53)とテレビ観戦していた中村は心を奪われた。
昨夏の世界選手権前には、元プロボクサーで総合格闘家のライカ(40)と合同練習を行い、パンチと蹴りを特訓。
中村の肉体に新鮮な感覚が刻まれた。

 格闘家デビューは4年前からの夢でもある。
ロンドン五輪後、左ヒザの手術を行ったが、リハビリ期間中に他競技の選手から背中を押され、リオを目指すことを決断。

 一方で、総合格闘技転向も選択肢の一つだったという。
「オファーだったり、ジムとか行って『試合出る?』みたいな感じで言われたりすれば、出ていたかもしれない」と振り返る。
今後もオファーがあれば、会場やファイトマネーも問わないという太っ腹ぶりだ。

「超ちっちゃい大会で全然いいです。ギャラ? 何でもいいです。ちょっとやってみたいな…ぐらいなので」

 ただ、全日本柔道連盟の規定では、柔道を続けながらプロのリングに上がることはできない。
「ちょっと出てみる」というわけにはいかず、大きな決断が必要になる。

 それでも、北京五輪柔道女子70キロ級銅メダリストのロンダ・ラウジー(29=米国)が活躍する米UFC、年末にビッグマッチを控える「RIZIN」など複数の団体による争奪戦に発展することは間違いなく、中村の今後の決断から目が離せない。

彼女の口から4年後の話がでてこなかったので、悔いが残らないようにやりたいことをやれるときにやればいいと思います。

五輪でメダルがとれる選手なら、違う格闘技の世界でも十分やっていけるはずです。

骨折や捻挫、脱臼など当たり前に我慢できる精神と肉体の強靭さや運動神経、厳しい練習で培った忍耐力や闘争心など格闘家に必要な条件はすべて備えていますので。

では、サッカーです。

日本、守備のミスで2失点。
攻撃陣奮闘で同点も勝ち点3逃す
【どこよりも早い採点/リオ五輪サッカー】
2016年08月08日(Mon)
【日本2-2コロンビア リオデジャネイロオリンピック1次リーグ】

中村航輔 6.0 失点シーンはノーチャンス。
出番は多くなかったものの、しっかりとシュートをセーブ。
守備に安定感をもたらした。
藤春廣輝 3.0 言い訳のできないオウンゴールを献上。
ヘディングやカウンターからのシュートどちらかは決めたかった。
塩谷司 6.0 コロンビアのカウンターを、スピードを生かして阻止。
室屋成 6.5 持ち味の攻撃力を発揮。矢島とのコンビネーションでサイドを崩すシーンを作った。
植田直通 6.0 初戦と異なり、クリアすべきところははっきりとしたプレーを徹底。
中島翔哉 6.5 左サイドから技術とアジリティでコロンビアDFを翻弄。
同点ゴールは中島の十八番の形だった。
遠藤航 6.0 ダブルボランチになったことで、攻撃にも積極的に参加。
矢島慎也 6.5 右サイドで室屋とともに攻撃を牽引。
サイドから中へとポジションを取り、積極的にゴール前へ。
井手口陽介 5.5 遠藤とともに中盤中央の守備を引き締めたが、失点シーンはスペースを空けてしまった。
興梠慎三 6.0 ファーストディフェンダーとして前線からの守備を見せた。
なかなかボールを受けることはできなかった。
浅野拓磨 6.5 落ち着いてネットを揺らした。
前でスピードを生かした裏への抜け出しを見せ、攻撃に厚みをもたらす。

大島僚太 7.0 さすがの技術力で縦パスを通して、攻撃にリズムをもたらす。
南野拓実 6.5 矢島と違ったテンポをもたらし、浅野のゴールをアシスト。
亀川諒史 – 出場時間短く採点不可。

手倉森誠 6.0 慣れ親しんだ4-4-2へとシステムを変更し、選手を入れ替えチームの活性化を図った。
守備面ではっきりしたプレーを徹底させ、交代策も当たった。
あとは勝ち点3が欲しかった。

へえ、強豪コロンビア相手に引き分けとは善戦でしたね!

最後は、スーパー高校生です。

史上最多7種目、日本新はいくつ?
16歳・池江璃花子はセンスの塊。
Number Web 8月8日(月)
 16歳の進撃が止まらない。

 女子100mバタフライ決勝で、池江璃花子が56秒86の日本新記録をマークして6位入賞を果たした。

 日本人には不向きとされてきたこの種目で6位という順位も立派だが、予選からの3レースすべてで日本記録を作り、ベストを0秒71も縮めるという驚異的な成長ぶりは圧巻だ。

 決勝レース前の集中タイムには「タッチした瞬間、ギリギリ3番くらいの位置にいるというイメージトレーニング」をしていたという。
準決勝で全体の3位になっていたのだから、メダルをイメージしていたのは当然のことだろう。

 結果的にメダルには届かなかったが、「悔しさよりも喜びの方が大きい」と素直な感想を口にした。
そして、「みんなに56秒台を出してねとも言われていたので、目標を達成できて良かった」と笑顔を見せた。

 プラン通りのレース運びだった。
前半の入りは準決勝と同様に控えめに泳ぎ、26秒81のタイムで7番手で折り返し、後半は勝負をかけてギアをアップさせた。

 すると、一時は3位に迫る勢い。
残り約10mからさすがに疲れが出たが、それでも日本人初の56秒台だ。

 「最後まで諦めないで泳げたので、6秒台が出たのではないかと思う」と冷静な自己分析もしてみせた池江は、「緊張はしていたが、泳ぎそのものはリラックスできていた」と胸を張った。

銀メダルは、同じ2000年生まれの16歳。

 一方で、悔しい思いもした。

 2コースを泳いで銀メダルに輝いたペニー・オレクシアク(カナダ)は池江と同じ2000年生まれの16歳だ。

 タイムは池江より0秒4速い56秒46で、これは世界ジュニア新記録だった。
これから先、常に勝負を争うことになるであろうライバルの出現である。

 「レース前は同い年の子には負けたくないと思っていたけれど、並んでみるとやっぱり体格差はあった」

 ここ1年で身長も体重もぐんぐん大きくなってきた池江ではあるが、海外勢と体格やパワーだけで伍していこうとするのはやはり難しい。

 「自分の身体がこれからさらに大きくなるかどうかは分からないけれど、技術面をしっかり磨いていって、4年後には勝てるようにしたい。
その子に勝たないと金メダルは見えてこない。
メダルは絶対に取るという自信をつけて、あとは金メダルを取る精神力を備えていきたい」

史上最多の7種目出場、どんな結末が?

 今回、100mバタフライは自身にとって「一番メインの種目」であり、相当な重圧があった。
だが、その種目を終えたことでプレッシャーからは解放された。

 「感じていたプレッシャーも少しは減ると思うので、この後のレースではリラックスして泳げるのではと思う」

 池江は、初日に出た4×100mリレー予選でも日本(内田美希、池江、山口美咲、松本弥生)の一員として日本記録を更新している。

 リオでは今後、50m、100m、200m自由形、4×200mリレー、メドレーリレーにも出るが、今の勢いがあれば、史上最多の7種目に出場する中でいくつの日本記録をつくるのだろうという期待は膨らんでいく。

身体をどう動かすか、というセンスが大きな武器。

 リオデジャネイロ五輪を目指し、国立スポーツ科学センターでナショナル合宿を行なったときのこと。
背泳ぎの選手が新たなスタートフォームを習得すべく、練習を繰り返していたが、なかなかマスターできずに苦しんでいたとき、横で見ていた池江が試しに挑戦してみるとすぐにできてしまった。

 このエピソードに象徴されるように、池江は身体の使い方が抜群にうまく、飲み込みが早い。
たぐいまれな上半身のパワーもさることながら、この運動センスが池江の大きな武器となっているのだ。

 リオデジャネイロ五輪で描くシンデレラストーリーがどれほどの輝きを放つものになるのか。
答えが出るのはすべての戦いが終わったとき。
誰もが想像していなかったような結果が待っているかもしれない。
(「リオ五輪PRESS」矢内由美子 = 文)

岩崎恭子は14歳で金メダルをとりましたが、才能では池江選手も負けてはいないようです。

あくまでも照準を東京オリンピックに合わせて、リオでは世界のライバルたちにどのくらい戦えるのかを見極めるためにも後先考えず全力で泳いで欲しいものです!


では、8-9生まれの有名人です。

1854年下田歌子(歌人,教育家,実践女学校(現在の実践女子学園)創立)、1914年トーベ・ヤンソン (フィンランド:童話作家『楽しいムーミン一家』,小説家)、1927年ダニエル・キイス (米:小説家『アルジャーノンに花束を』)、1927年マービン・ミンスキー (米:計算機科学者「人工知能の父」)、1933年黒柳徹子(女優,司会者)、1963年ホイットニー・ヒューストン (米:歌手)。

このメロディをつくれる才能はすごい!
Taeko Ohnuki - 都会
まずは、この話題ですが、このしたたかさを、日本外務省は見習うべき!かもしれません。

2016.7.27 産経新聞
【主張】
仲裁裁定と中国 「過去の話」にはならない

 ラオスでの東南アジア諸国連合(ASEAN)の外相会議で共同声明づくりが紛糾し、最終的には南シナ海での中国の主張を全面的に否定した、仲裁裁判所の裁定に触れないものが出された。

 これをもって中国の王毅外相は「ページはめくられた」と、すでに過去の話になったかのごとく強弁している。

 裁定は国連海洋法条約に基づき正当な手続きを経て下された司法判断である。
その順守を国際社会が求めるのは、いまも進行中の事態だ。
手前勝手な解釈で、軍事拠点化を続けようとするなど到底、受け入れられない。

 そもそも、ASEAN外相会議を紛糾させたのは、ほかならぬ中国である。
巨額の経済支援で味方に引きつけたカンボジアを通じ、仲裁裁判を共同声明に盛り込むことを拒否させた。

 王毅氏は早々と現地に乗り込み、他の加盟国にも裁定への言及を避けるよう働きかけていた。
「裁定は紙くず」と言いながら、ASEANという多国間の枠組みでこの問題が焦点になるのをよほど避けたかったのだろう。

 日中外相会談では、岸田文雄外相が裁定の受け入れを求めたのに対し、「日本は言動を慎むよう忠告する。過ちを繰り返すべきではない」と高圧的に反論した。

 南シナ海問題で日本は部外者であり、口を差し挟むなという意味だが、聞き入れられない。

日本にとっても重要な海上交通路(シーレーン)で、中国が一方的に軍事拠点化を進めることは、航行の自由を脅かし、国益を大きく損なう。

 東シナ海で中国が尖閣諸島の奪取をうかがおうとしている問題と一体的にとらえ、警戒を強めるのは当然だ。

 日本や米国が、豪州を含む3カ国外相会談の声明などを通じて、繰り返し中国に裁定の尊重を要求しているのも、これらの関係国にとって看過できない問題だからである。

 中国は今後も、ASEAN各国などへの切り崩しを続けるだろう。
だが、国際社会が注視する裁定問題について、中国は一方的な海洋進出をやめることでしか、事態の改善は図れない。

 中国に「共同体」としての立場を揺さぶられたASEANを、日米などがより強く支える努力も重要である。

中国自身に非があることがわかっているから、ASEANの結束を切りくずし経済協力を餌に味方を引き入れようとしています。

そして、「裁定は紙くず」、「ページはめくられた」、「日本は言動を慎むよう忠告する。過ちを繰り返すべきではない」とまさに云いたい放題。

これだけのことをしておきながら、自分は悪くないと強弁するこのしたたかさこそ日本外務省に欠落している交渉力と情報戦です。

もちろん、日本は悪いことをする必要もなければ、牽強付会する必要もありませんが、こうしたレトリックは外交交渉上学ぶべきかもしれません。(他国からは嫌われるでしょうが・・)

この問題に対処するにはまず、「国際法に従えない国家は国連の常任理事国の資格無し」と宣言すべきです。

過去には日本も国際連盟から脱退して戦争の道に進んだという歴史はありますが、今の中国の暴走を止められる取引材料として考えられるのが、常任理事国の権利剥奪ということくらいしか、残念ながら「ならず者国家」を止める手段が見当たりません。

中国を従来のように寛大な措置で自由主義国の仲間に引き込んでも、巨大な軍事力を背景にこうした悪さをするのであれば、国際社会から孤立させたほうがまだ白黒がはっきりするだけ対処のしようがあります。

腐ったリンゴはやはり分離すべきです。

続いては、この事件です。

2016.7.27 産経新聞
【主張】
相模原大量殺人 措置入院の徹底的検証を

 戦後最悪の大量殺人である。
相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で未明、元職員の男が次々と入所者をナイフなどで襲い、40人以上を殺傷した。

 就寝中の被害者らはほとんどが無抵抗のまま首などを刺され、傷の多くは骨に達していた。
悲惨で痛ましく、卑劣極まりない犯行である。

 神奈川県警に逮捕された男は、「障害者なんていなくなってしまえ」などと供述しているという。
男は今年2月にも施設の関係者に「障害者を殺す」と発言し、同県警津久井署が事情聴取した。

 同じ2月には、同趣旨で犯行を予告する手紙を衆院議長公邸に持参した。
今回の凶行の手口は手紙の内容に沿っていた。
この後、男は「他害の恐れがある」として精神保健福祉法に基づく措置入院となり、3月に退院していた。

 措置入院の解除、退院は指定医が判定し、自治体の判断を仰ぐ。
大量殺人を予告し、警察の聴取を受けた男が、措置入院を経て強い犯意を持続させ、実行に及んだのだ。
措置入院の期間や解除の判断は妥当だったか。
警察や「やまゆり園」は解除や退院後の男の動向について情報を得ていたのか。

 措置入院の経緯とあり方を徹底的に検証しなければ、再発防止の教訓とすることはできない。

 平成13年、大阪教育大学付属池田小学校に男が押し入り、次々と包丁で切りつけ、児童8人を殺害した。
男は犯行の2年前にも傷害容疑で逮捕されたが、「精神安定剤依存症」の診断で処分保留となり、措置入院となっていた。
この事件でも措置入院は、凶悪な犯行を防ぐことができなかった。

池田小事件をきっかけに17年には、裁判所が医師の鑑定をもとに指定医療機関への入院を命じることができる心神喪失者等医療観察法も施行されたが、精神保健福祉法と併せ、社会の安全を守るには多くの問題点を残す。

 池田小事件の被告に死刑を言い渡した大阪地裁の裁判長は、判決朗読の最後に、「子供たちの被害が不可避であったはずはない、との思いを禁じ得なかった。せめて、二度とこのような悲しい出来事が起きないよう、再発防止のための真剣な取り組みが社会全体でなされることを願ってやまない」と述べた。

 改めて反省を、強く社会で共有する必要がある。

この事件には多くの「なぜ」が存在しています。

1.殺害予告がされていたのにマークされなかったのはなぜ?

2.施設には警備員がいたのに、この騒ぎで仮眠を取っていて気づかなかったらしいのだが、なぜ?

殺害予告をしたことで、警察は事情聴取までしていました。

さらに措置入院で「すみません」で無罪放免だとすれば、誰でもとりあえずはそういいますよ!

そして、警備員はこの阿鼻叫喚の騒ぎで熟睡していたようだが、これで緊急時に対応できるの?

措置入院しても、大した効果も上がらず娑婆に戻ってこられる仕組みは少年刑務所と同じです。
(腐ったリンゴはやはり腐ったまま、なんですよ)

反省したフリさえしておけば、なかったことにしてもらえる!

寛大な社会は何度同じ轍を踏めば気が済むのでしょうか?

無実の被害者(家族)をやみくもに増やし、冒涜するのにも程があります。

まずは、法をわかりやすく見直すべきです。

家庭環境などの諸事情や犯行時の精神状態など、後付けでなんとでもなる理由を加害者だけに有利なように部外者が勝手に斟酌すべきではありません。

すべては結果責任、一人でも殺せば自分の命で償わせる、これしかありません。

それは、障害者であろうがなかろうが、殺された人にとっては関係ないわけですから。

2016.7.27 産経新聞
【相模原19人刺殺】
「私たち家族は全力でみなさんのことを守ります」 
「優生思想」と抗議 障害者団体、悲しみと怒り

 植松聖容疑者が供述しているとされる「障害者なんていなくなってしまえ」という言葉に、障害者支援を続ける団体からは悲しみと怒りが入り交じった反応が続いている。

 知的障害者と家族などの団体「全国手をつなぐ育成会連合会」は27日、久保厚子会長が障害者に向けてメッセージを公表した。
その中では、「私たち家族は全力でみなさんのことを守ります。ですから、安心して、堂々と生きてください」と寄り添った。
事件当日にも、「どのような障害があっても一人ひとりの命を大切に、懸命に生きています」と一般向けの声明を出している。

 全国の障害者団体でつくるDPI(障害者インターナショナル)日本会議も27日、「(供述が)事実だとすると、障害者を『あってはならない存在』とする優生思想に基づく行為」と抗議する声明を出した。

もちろん、障害者だということで差別されるべきではありません。

そうであるなら、万が一、(知的)障害者(広義で精神異常者も含む)が加害者になったときにはやはり結果責任を常人と同じようにとらせるべきです。

それが、法の下の平等ということです。


そして今回の事件の無念さは、このコラムが胸に迫ります。

2016.7.27
【産経抄】
犯行予告がありながら 

 山下清といえば、今も「放浪の画家」「裸の大将」として多くの人に親しまれている。
もっとも放浪の途中では、ほとんど絵を描かなかった。
緻密で色鮮やかな貼り絵や油絵の制作に取り組むのは、千葉県市川市の養護施設「八幡学園」に戻ってからである。

 ▼小学校でひどいいじめに遭った清は、12歳で学園に預けられた。
図画の時間に貼り絵と出合う。
ゴッホの研究家でもあった学園の顧問医師の指導を受けて、画才を開花させていく。
園児たちの貼り絵の展覧会が開かれると、清の作品は大反響を呼んだ。

 ▼相模原市にある障害者のための施設「津久井やまゆり園」には、149人が入所している。
清のように、創作活動に励んでいる人もいたかもしれない。
そんな山あいの静かな施設が、血まみれの地獄絵図と化してしまった。

 ▼26日未明、刃物を持って侵入した26歳の男によって、惨劇は引き起こされた。
入所者は首などを刺され、19歳から70歳まで男女19人が死亡、26人が重軽傷を負った。
犯行後に警察に出頭した男は元職員である。

▼「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」「職員の少ない夜勤に決行いたします」。
男は今年2月、施設名を明記したこんな内容の手紙を衆院議長に渡そうとしていた。
明確な犯行予告がありながら、なぜ未然に防げなかったのか。

 ▼清は昭和46年7月、脳出血のために49歳で亡くなった。
「今年の花火見物はどこに行こうかな」。
これが、直前に家族が聞いた最後の言葉だった。
ライフワークとなる貼り絵の「東海道五十三次」に取り組んでいた清にとって、「早すぎる死」であった。
まして凶刃によって突然未来を奪われた「やまゆり園」の入所者の無念は、察するに余りある。

一人のサイコ殺人者によって亡くなられた方や関係者の方にはお悔やみを申し上げます。

では、7-28生まれの有名人です。

1897年是川銀蔵(株投資家「最後の相場師」)、1939年マッド・アマノ (グラフィックデザイナー)、1943年リック・ライト(リチャード・ライト) (米:ミュージシャン(ピンクフロイド/キーボード))、1948年大瀧詠一(シンガーソングライター,ミュージシャン(はっぴいえんど[解散],ナイアガラ・トライアングル[解散]/ヴォーカル・ギター))、1958年サエキけんぞう(ミュージシャン(パール兄弟/ヴォーカル),音楽プロデューサー)、1960年岩明均(漫画家『寄生獣』)、1966年スガシカオ(シンガーソングライター)。

最強のアルバム「狂気」!
Pink Floyd - "Us And Them"
まずは、こんな話題から。

サブカルといえば、この人。

彼は修学旅行で買うペナントやカエルの置物など、「なんか面白いぞ」と思ったものをついつい収集してしまう変なコレクターでも有名ですね。

「一人電通」みうらじゅん
プロデュース業50年の「修行」
7月23日(土)

自らの職業を「イラストレーターなど」と名乗るみうらじゅんは、ひとつの職業を背負うのではなく、「など」と曖昧にすることを信条にしてきた。
「あの人、何やってるかわからない」と言われ続けて35年、数多の「など」を仕事に結びつけてきたみうらは、ネタ出し&ネーミング&デザイン&執筆&広報活動まで、全て一人で行なう稼業を「一人電通」と呼ぶ。
広く浸透した「マイブーム」「ゆるキャラ」の名づけ親は、誰からも頼まれていない「ない仕事」を無数に生み出してきた。
仕事術を尋ねたところで、返ってくるのは「最終的には自分を洗脳させてノイローゼ状態に持っていくんです」との返事。
先日、4年ぶりとなるトークイベント「ザ・スライドショー」を終えたばかりのみうらに“など”の仕事の今を聞いた。(武田砂鉄/Yahoo!ニュース編集部/文藝春秋)

「自分自身をプロデュース」して50年

今回の記事には「時代の『主役』」というシリーズタイトルがついているんです、と伝えると、みうらは「俺に最も似合わないタイトルだよ」と笑う。
ひところ、自分の仕事が“サブカル”との一言で括られると、「いや、大通りヘップバーンでしょ!」と勢い任せに切り返していた時期もあったが、“サブカル”とのカテゴリがあやふやになった現在、みうらは大通りの木陰を自由気ままに歩いている。
みうらはずっと、みうらのプロデューサーだ。
主役も脇役も監督も編集も全部みうら。
昨年、雑誌『ガロ』で漫画家デビューしてから35周年を迎えたが、実のところ、プロデュース業/執筆業は今年で50周年になる。
1966年、小学3年生の頃、友達と一緒に壁新聞「ケロリ新聞」を制作した。
編集長はみうら。
この頃から、切り抜きを使ったコラージュを駆使していた。

「やっていることはずっと一緒なんですよ。
新聞部でもないのに教室の後ろに新聞を貼り出すものだから、先生たちの間でちょっとした騒ぎになりましたね。
あの頃から、俺の仕事って、なくてもいい仕事ばかり。
あってもいいけど、なくてもいい、っていう。
ほら、この間のスライドショーなんて正にそう。
あんなこと、やらなくたっていいんだから」

台本なしのトークイベント「ザ・スライドショー」

6月28日、代々木第二体育館で開催された「みうらじゅん&いとうせいこう ザ・スライドショー13『みうらさん、体育館かよ!』」に集まった3600人もの観客。
みうらが数年かけて収集した写真やイラストなどをスライドで見せ、それをいとうが突っ込むだけのイベントだが、2時間もの間、始終笑いが止まらない。
打ち合わせは一切せずにいとうは何も知らされぬままステージに立たされる。
20年前に始まり、4年ぶりの開催となった第13回目の今回、映し出されたスライドを例示してみると、花に囲まれた美魔女みうら、迷わず購入したリアルな虎の頭のリュック、半日かけて描いた前都知事と思しきイラスト、今さら漁っているUFOキャッチャーの戦利品、土砂災害を防ぐための格子型コンクリが写り込んだ風景、街中にある「since」の連写……。
こうやって素材を並べたところで、恐らくその面白さは伝わらない。
ショーの最後には、みうらが作詞し、スチャダラパーのシンコに作曲を依頼したラップソングを流し、「since」愛を観客に押し付けた、と書けばますます混乱するだろう。

「なんでこんなことをやるか。
どうだ俺、美魔女になってみたぞ、って自慢したいわけじゃない。
どうやら俺、美魔女に近付いてきたんじゃないかな、って皆に報告したいんですよ。
ほら、小学校の時からプロデュース業を続けていると、自分が自分に『ここはちょっとイヤでも熟女やってもらわなきゃ』なんて命令し始めるんですよ。
『これやってもモテないけど、そこはちょっと我慢してちょうだい』なんて。
基本的には苦行だらけです。
蟹パンブーム(旅行代理店などに置かれている蟹を食べるツアーのパンフレットを集めるブーム)なんて、まだブーム来てないけど、当然2、3年目ぐらいでものすごく飽きてくる。
誰よりも俺が一番蟹パンに飽きていますから。
一人でやって、一人で飽きる。
でも、オマエはまだ飽きてないんだ、と自分に言い聞かせる。
修行ですね」

「ザ・スライドショー」のパートナー、いとうせいこうは25年来の相棒だ

修行の割には、スライドショーの前夜は興奮のあまり眠れず、相棒のいとうにショートメールを送り続けていたという。
「マイブーム」や「ゆるキャラ」のように、自分がプロデュースできる枠を飛び越えて世の中全体に浸透してしまうと、「一人電通」はもう手に負えないと自分の下から手放す。
その上で、例えば、ゆるキャラの隣に付き添うオジさんを指して「ゆる人(びと)」と呼ぶなどして、自由気ままにカテゴリを深化させていく。
黎明期のスライドショーでは「おもしろ画像」を映していたが、その手のネタはすっかりテレビ番組の定番企画となり、今ではTwitterをはじめとしたSNSで誰もが競い合うように投稿している。
もはや、そのまま見せるだけでは面白くない。

「その手の土壌を築いたんだろうけれど、これだけ色んなところでやられちゃうと、こっちはもういいやって思うわけです。
今はもう、映した瞬間に、シーンと静まっちゃうくらいの方が、緊張感があって面白いんです。
この写真が面白い、ではなく、この概念が面白い、に変わってきたというか。
面白い写真を1枚撮ったからといって、スライドショーじゃ使えません。
概念をいくつも作りたいんです」

「since」を追い求め、ヒヤシンスを育てる

最近、みうらが熱心に“概念の布教”に励んでいるのが「since」だ。
飲食店の看板などに添えられている創業年を記したアレを追い求めている。
最古の「since」を探し、「since2016」を「最新ス」と呼び、自宅の庭には「since」つながりでヒヤシンスを育て、スライドショーでは「since」写真の合間に芽吹いたヒヤシンスを映す。

「ほら、最近、『since』の概念が壊れているでしょ、『since』のメンツが丸つぶれになってませんか……なんて意気込んで話をするでしょう。
この話、当然伝わらないんですよ。
だからこそ、俺自身はグッと来るし、これを長いこと続けていると、ここでしか伝わらない概念が生まれてくるんじゃないか、って思うわけなんです」

火のないところに煙を立てる。みうらは、自身の仕事を「ない仕事」だと繰り返す。
「仕事がない」という言葉はあっても、「ない仕事」という言葉はない。
ない仕事を作る、あたかもあるかのように見せる。
流行がすぐに消費されてしまう現代、「マイブーム」はどんどん消費されていく。
「趣味でやっているって言われるんだけど、俺はもう一切趣味を持たない人間ですから。
そこはもう、肝に銘じてやっていますよね。
皆さんあっての私なので」。
こうやってハシゴを外される。
火のないところに煙を立てておきながら、すっと消えてしまう。
とってもテクニカルだ。

「人がおかしい、って感じるのは、着地点が面白いってことなんです。
A+BがABにならずにCにいっちゃうから面白い。
そういう数式を沢山探し出す。
『since』にしても、今ではネットで画像検索すれば、いくらだって手に入るでしょう。
でもね、それじゃ面白くないんですよ。
着地点がつまらなくなる。
ある年号の『since』を求めて、自分の足で探しに行く。
例のごとく、プロデューサー目線でみうらじゅんを見ると、彼のアナログな考えに惚れちゃってるところがあるんですよ。
何でも調べられるということにまだまだ気づこうとしていない……そんなところが好きなんです」

「since」ブームを流行らせるためにヒヤシンスを育てる、という珍奇さを前に「そんなことして何の意味があるのか」と指摘する人ではなく、みうらの周りには「花咲いた時に撮った方が面白いのでは」とアドバイスしてくれる人がいる。「こうやって、洗脳の輪が段々広がっていくんです」と笑う。
「俺自身、I don’t believe me教なんですよ。
つまり、教祖が教祖のこと、信じてないんです。
でもね、こうして長年やって来たことで、いいぞ、信じろって、周りから色んな人が言ってくれるわけ」

これからは「老いるショック」

これからは、老いることに面白みが生まれると読む。
「老化ってイヤな言葉でしょう。
最近は『老いるショック』って呼んでいるんです。
『老い』をマイルのように貯めていく。
老眼だって進んだ方が面白いに決まってるでしょう。
肩だってやっぱり四十肩よりも五十肩の方が偉い。
あっ、六十肩って言わないのは痛くて当然だからなのかな。
これからは『老いる』を面白く乗り越えていこうと思っていますね」

みうらじゅん:
1958年、京都府生まれ。
武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。
以来、イラストレーター、エッセイスト、漫画家、ミュージシャンとして幅広く活動。
97年、造語「マイブーム」が新語・流行語大賞受賞語に。
著書に『アイデン&ティティ』、『マイ仏教』、『見仏記』シリーズ(いとうせいこうとの共著)、『「ない仕事」の作り方』、『されど人生エロエロ』、『赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学講義録なのだ!』(講師として参加)など。

「輝け!日本崖っぷち大賞」という何の役にも立たないのですが、しかしとても気の休まる彼の本を読んだことがあります。

こんなくだらないことに一生懸命になっていんだ・・という安心感というか優越感というか、とても「生きることに自信がわく」不思議な本でした。

ただ、キャッチコピーの「一人電通」ではメジャーすぎるので、サブカル代表ですので「一人アサツーディ・ケイ」くらいでお願いします。

今後も注目していきましょう!


そして、本題の大統領選です。

オバマ氏「米国危機論は現実にそぐわず」、トランプ氏演説に反論
ロイター 7月23日(土)

[ワシントン 22日 ロイター] - オバマ米大統領は22日、共和党の大統領候補ドナルド・トランプ氏が米国が危機的な状況に陥っているとの考えを示したことに対し、現実とは相容れないとして反論した。
メキシコのぺニャニエト大統領との共同会見で述べた。

トランプ氏は前日の指名受諾演説で、違法移民や過激派「イスラム国」、人種差別に根ざした暴力など、米国が多大な脅威にさらされていると主張し、民主党からの政権奪還を訴えた。

これに対し、オバマ氏は米国民の大半にとって、現状は「小鳥はさえずり太陽の光が降り注いでいる」と指摘。

「米国は暴力がはびこり無秩序、かつ崩壊の寸前にあるとの考えは、大半の国民の経験とは一致しない」と述べた。

今年に入り、一部都市では殺害が増えているが、自身の就任期間中の7年半における暴力的な犯罪率は過去30━40年で最も低いとした。

オバマ氏はこの日、ホワイトハウスでぺニャニエト大統領と会談した。
会談後の会見では「健全な経済を持つメキシコは、われわれが中米の安定と安全を構築するのに寄与できる。これは移民危機や麻薬問題への対応で、壁よりもはるかに多く成果をもたらす」とし、違法移民や麻薬の流入阻止に向け、メキシコとの国境沿いの壁建設を公約に掲げるトランプ氏を暗に批判した。

オバマ、ぺニャニエト両氏は、環太平洋連携協定(TPP)の交渉妥結を評価する立場を表明。
TPPは北米自由貿易協定(NAFTA)で批判された問題点について対処していると主張した。

ぺニャニエト氏はまた、トランプ氏、および民主党の大統領候補指名が確定しているクリントン前国務長官のいずれが本選で勝利しても、誠意を持って共に建設的に取り組む考えを示した。

トランプ候補のロジックは、「口の達者な子供」と形容できそうです。

子供は、物事を素直にみてしがらみや遠慮がないことから、思ったことを辛らつに直截的に表現します。

ある意味本質をついているだけに、大人でもうまく反論できず、逆にやりこまれてしまうことって、ありませんか!?

良識ある大人の世界には、「云ってはいけない事」「はっきり云わないほうがいいこと」などの暗黙の了解事項が存在します。

それは大人として、武士の情け的な相手への思いやりであったり、健全なコミュニケーションの仕方を無意識に身につけているからです。

自分の世界だけが正しいと信じ込んでいる経験の浅い子供は、そうした他人への配慮などおかまいなしです。

トランプ氏の多くのスピーチは、反撃のターゲットを容赦なく口汚くののしるのが特徴です。

そのためには、相手の外見やら出生などにも触れた質の悪いジョークも使います。

こうした野生児のような人間は、従来であれば政治の世界からは排除されていました。

それは、政治は感情で動かすものではなく、理性で動かすべきものだと考えられていたからです。

私は、トランプ氏の共和党代表候補決定という成功の理由は、彼が地方の代議士候補ではなくあえて大統領候補だったからだと思っています。

もし彼が地元密着の代議士としてスタートすれば、彼の主張は異端(ラジカル)過ぎて相手にもされない可能性が高いのに対し、大統領候補だと既存の政治家に飽き飽きしていた空気のような大衆は「ビジネスで大成功を収めた手腕があれば、米国の活力を取り戻せるはず」「彼なら誰に対しても臆せず物言いが出来る」という過度の期待と幻想で米国民のハートを掴めたからだ、と考えられます。

つまり、地方の代議士の器でもない男を米国大統領に祭り上げようとしているのが実態なわけです。

残念ながら、このことは一介の代議士よりも大きな権力を持つ日本の知事選にも当てはまります。

横山ノック(大阪府知事)、東国原(宮崎県知事)、青島幸男(東京都知事)などのお笑いタレントは、民衆の漠然とした期待値を背景にした人気投票だけで選ばれましたよね。

結局は「当選者の質も有権者のレベル並み」ということなのでしょうが、最終的に困るのは住民であることも歴史は証明しています。(東国原氏は期待以上でしたが・・)

「人のフリみて我がフリ直せ」、「他山の石とせよ」、米国大統領選を対岸の火事とするまもなく東京都の新しい顔が来週の日曜日に決まります!

私はまだ、誰に投票するか迷っています・・


では、7-24生まれの有名人です。

1802年アレクサンドル・デュマ(大デュマ) (仏:小説家『三銃士』)、1876年ジーン・ウェブスター (米:小説家『足ながおじさん』)、1881年大谷米太郎(実業家,大谷重工業・ホテルニューオータニ創業)、1886年谷崎潤一郎(小説家,劇作家『細雪』『春琴抄』)、1901年中村草田男(俳人)、1963年河合奈保子(歌手,女優)、1964年よしもとばなな(吉本ばなな)(小説家『キッチン』『TUGUMI』)、1969年ジェニファー・ロペス (米:女優,歌手)。

「キラー・クイーン」とこの名曲で万人に認められましたね。
Queen - Bohemian Rhapsody