毒は毒で制す、ですが・・

「アノニマス」がイスラム過激派に宣戦 仏紙襲撃に報復
CNN.co.jp 1月10日(土)

ロンドン(CNNMoney) 国際ハッカー集団「アノニマス」は9日、フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」襲撃事件を受け、イスラム過激派に報復するための戦争を宣言した。

動画投稿サービス「ユーチューブ」上で表明したもので、テロリストに関係があるウェブサイトやソーシャルメディアのネットワークを追跡し、攻撃を仕掛けると言明。
国際テロ組織アルカイダやイスラム過激派「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」、他のテロ組織に対するメッセージと銘打っている。

「ネット上の活動を監視し、全てのソーシャルメディアの関連アカウントを閉鎖に追い込む」と主張した。

同新聞を標的にしたテロ事件ではISIS系のラジオが襲撃犯を「勇敢な聖戦主義者」と称賛した。
ただ、実行犯の2人と自らの組織との関係については触れなかった。

事件後には表現の自由を支持する数千人規模の集会が開かれ、連帯などを表明している。
シャルリー・エブドが掲載した、イスラム教の預言者ムハンマドを含む風刺漫画を転載するメディアも出ている。

殺人集団とハッカー集団、本来どちらも駄目集団ですが、この究極の対決ではどうしてもハッカー集団の方にエールを送りたくなります。

しかし、世界の表舞台に悪同士の抗争を招いてしまうほど、相対的に正義の力が弱くなってきているのはこれはこれで危機的状況です。

では、次の話題です。

年末にみた記憶がまだ冷めやらないうちに、都道府県対抗女子駅伝が行われましたが、すごい結末が待っていました。

なんと、4チームがすべて1秒差でゴールという史上最大の接戦でした。

やはり駅伝は面白い!

<女子駅伝>大阪3年ぶり優勝 
関西勢3位まで独占
毎日新聞 1月11日(日)

 第33回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会は11日、京都市の西京極陸上競技場発着の9区間42.195キロのコースであり、大阪が2連覇を狙った京都とのトラック勝負を1秒差で制し、2時間17分26秒で3年ぶり3回目の優勝を果たした。
京都と1秒差の3位は兵庫、さらに1秒差の4位に愛知が続く大混戦。
関西勢が史上初めて3位までを独占した。

 大阪は1区で15位と出遅れたが、3区の高松智美ムセンビ(大阪薫英女学院中)の区間賞で2位に浮上。
一時後退したものの、終盤巻き返し、3位でたすきを受けたアンカーの松田瑞生(ダイハツ)が、京都の奥野有紀子(京産大)をラストスパートでかわした。
京都は6区でトップに立ったが、一歩及ばず、最後に追い上げた兵庫が愛知を抑え、3位に食い込んだ。
(スタート時の気象=晴れ、気温10度、南西の風1.9メートル、湿度50%)

 ◇「こんな苦しいレースがあるなんて……」

 互いの腹を探るように、大阪のアンカー松田と京都の奥野が5キロ以上も並走。
「こんな苦しいレースがあるなんて……。長かった」。
競り勝った松田ですら、そう振り返ったデッドヒートはたった1秒差で決着した。

 最長10キロの9区、奥野から12秒遅れでスタートした松田が、その背中をとらえたのは4キロ過ぎ。
だが、それ以降は両者一歩も譲らない。
「最後までもつれる」。
2人の思惑は同じだった。
残り1.5キロ、「抜け出そう」という思いが奥野の頭をよぎったが、「相手に余裕がありそうだった」と自重した。

 逆に松田は故障明けのうえ、接戦に負け続けた経験から「長い所からのスパートはできない。最後まで我慢しよう」と、ラストスパートに懸けていた。
残り100メートル。
一気に加速し、わずか約2メートルの差で先にフィニッシュテープを切った。
今大会限りで退任する岡本昭監督に「良い思いで終わらせたい」という思いが最後の力の源だった。

 優勝候補に挙げられたが、実業団選手は1人だけ。
岡本監督は「駒不足で不安だらけ」だったという。
そこで生きたのは、コーチ時代も含め約25年間チームに関わってきた豊富な経験だ。
下りが得意な前田と加賀山恵を6、7区に置くなど、昨年の全国高校駅伝を初制覇した大阪薫英女学院高の選手の特性を生かし、区間賞の走りを引き出したことが、劇的勝利につながった。 
最高のプレゼントに岡本監督は「もっと安心して見ていたかったが、いいレースだった。感無量です」。
監督として2度目の優勝の味は格別だった。【丹下友紀子】

 ◇兵庫2秒差の3位に

 阪神大震災から17日で20年、兵庫はウインドブレーカーに「元気 感謝 復興20年」と記されたワッペンをつけて臨んだ。
アンカー林田(豊田自動織機)の追い上げは届かなかったが、2秒差の3位に入った。

 2区の岩出(ノーリツ)は「元気を与えられるように走った。最初から最後まで全力だった」と話した。
震災でいとこ家族を亡くしたという高橋監督は「特別な年に見せ場はつくれたと思う」としみじみ言った。

 【区間賞】
▽1区(6キロ)安藤友香(静岡・スズキ浜松AC)19分15秒
▽2区(4キロ)鷲見梓沙(愛知・豊川高)12分13秒
▽3区(3キロ)林英麻(群馬・富士見中)、高松智美ムセンビ(大阪・大阪薫英女学院中)9分24秒
▽4区(4キロ)沼田未知(埼玉・豊田自動織機)12分45秒
▽5区(4.1075キロ)真部亜樹(京都・立命館宇治高)13分7秒
▽6区(4.0875キロ)小西真亜子(京都・立命館宇治高)、前田梨乃(大阪・大阪薫英女学院高)12分58秒
▽7区(4キロ)加賀山恵奈(大阪・大阪薫英女学院高)12分37秒
▽8区(3キロ)田中希実(兵庫・小野南中)9分58秒
▽9区(10キロ)前田彩里(熊本・ダイハツ)32分14秒

【最終順位】
(1)大阪
(2)京都
(3)兵庫
(4)愛知
(5)鹿児島
(6)群馬
(7)埼玉
(8)熊本
(9)静岡
(10)大分

(11)山梨
(12)長崎
(13)千葉
(14)神奈川
(15)福岡
(16)長野
(17)東京
(18)岡山
(19)茨城
(20)栃木

(21)山口
(22)秋田
(23)北海道
(24)山形
(25)愛媛
(26)佐賀
(27)三重
(28)広島
(29)徳島
(30)滋賀

(31)福島
(32)岐阜
(33)石川
(34)青森
(35)宮崎
(36)宮城
(37)新潟
(38)岩手
(39)福井
(40)奈良
(41)島根
(42)高知
(43)沖縄
(44)和歌山
(45)鳥取
(46)香川
(47)富山

連覇のかかっていた京都は僅差の2位でしたが、みなさんのふるさとは何位でしたか?

それにしても京阪神、及び中京勢強し!

頑張って走った選手に拍手

そして最後に、青春の春高バレー!

<高校バレー>男子は東福岡、女子は金蘭会が初優勝
毎日新聞 1月11日(日)

 バレーボールの全日本高校選手権は最終日の11日、東京体育館で男女の決勝があり、男子は東福岡(福岡)、女子は金蘭会(大阪)がともに初優勝を果たした。
金蘭会は全国高校総体、国体との3冠に輝いた。
東福岡も全国高校総体に続き、優勝を果たした。

 九州対決となった男子は、東福岡が3大会ぶりの制覇を目指した大村工(長崎)に3-0のストレート勝ちと圧倒した。
大阪勢同士の対戦となった女子は、金蘭会が23大会ぶりの優勝を狙った大阪国際滝井を攻守で上回り、3-0で完勝した。

 ◇東福岡、レシーブ安定

 東福岡の快挙は安定したレシーブの上に成り立っている。

 競り合った第2セットの終盤。
20-17からの3連続得点のうち、二つは相手スパイクを正確に返球し、ミドルブロッカー永露が中央から速攻で決めた。
セッター井口は「ラリー中は速攻のマークが甘くなる。相手ブロックを分散するためにも、土壇場こそセンター攻撃が大事」と話せば、永露も「昨年までより決める人が増えた」。
それも強打レシーブをセッターに返す守備力があればこそだ。

 もともと、小柄な選手たちをレシーブの猛練習で鍛えて全国的な強豪となった東福岡。
今年度もエース対角の一人は170センチ台と大きくなく、藤元監督は「70点のスパイカーが安定した力を出すには、パスが大事」と話す。
準決勝前の2日間の休養日もレシーブの確認が中心。リベロの正近は「1本目のコントロールを最も意識してきた」と胸を張る。

 昨夏の高校総体で初めて日本一をつかみ、「どんな状況でも動じなくなった」と藤元監督。
福岡県選抜の中心として出場した国体での優勝と合わせ、一気に「3冠」まで上り詰めたが、2年生エースの金子は「来年度も取れるタイトルは全部取りたい」と意欲十分。
リベロを含めて主力4人が残るチームの覇権は続きそうだ。【小林悠太】

 ◇大村工、消極姿勢悔やむ

 大村工は3大会ぶりの頂点に届かなかった。
同じ九州の東福岡とは練習試合も多く行い、手の内を知り尽くした相手。
しかし、相手セッターの巧みなトスワークに的を絞りきれず、最初の2セットを失った。
「(相手の)クイックに対応できなかった」と伊藤監督。
精神的に追い込まれた第3セットはサーブレシーブのミスなど自滅も目立ち、大差がついた。
2年生でエース格の松下は「(球を回すよう)自分で呼ぶのが少なかった」と消極的な姿勢を悔いた。

 ◇最後は1年生エースが決めた

 最後は1年生エースに託した。
第3セットのマッチポイント。
主将・堀込のトスを、182センチの長身アタッカー宮部が決めた。
その瞬間、金蘭会は歓喜に包まれた。

 4年連続4回目の出場。
中高一貫での強化などが実って全国大会の常連となりつつあるが、これまではレシーブ力に定評があるものの、決定力に課題があった。
そこに今季、ナイジェリア人の父親を持つ宮部が加入。
宮部は昨秋のアジアユース選手権でもMVPを取るなど決定力に秀でる。

 弱点補強の効果は決勝でも表れた。
宮部が序盤に精彩を欠く中、堀込は好調の服部ら他の選手に球を散らした。
相手は宮部の強打を警戒し、的を絞れない。
さらに、中盤以降は宮部もバックアタックを決め始め、攻撃の多彩さを増して完勝した。

 「最後はエースに決めてもらいたかった」と堀込が言えば、宮部も「その気持ちに応えたかった」。
元々の堅守に攻撃力が追いついての頂点に、池条監督は「(力を)ミックスできた」と満足顔だった。【新井隆一】

3年生選手の大半は卒業すればバレーを辞めてしまいます。

バレーに青春をかけたかけがえのない経験は、きっと実社会においても素晴らしい自信となることでしょう。

才能のある一部の選手よりも、ずっと縁の下の力持ちで全身全霊チームプレイに尽くしたその他大勢の選手たちにこそ拍手です!

またエースと呼ばれる才能ある選手たちは、実業団でも驕(おご)ることなくさらなる高みを目指して欲しいものです。


では、1-12生まれの有名人ですが、小説家が多いですね。

1928年加納一朗(小説家『ホック氏の異郷の冒険』)、1928年原田康子(小説家『挽歌』)、1931年清水一行(小説家『小説・兜町』『動脈列島』)、1939年かまやつひろし(ミュージシャン(スパイダース/ヴォーカル・ギター))、1945年三木たかし(作曲家)、1949年村上春樹(小説家『ノルウェイの森』)、1967年井上雄彦(漫画家『SLAM DUNK』『バガボンド』)、1976年中谷美紀 (女優)。

小説家のあたり年だったようですね、おめでとう!

彼らの名曲、最後はこれで締めましょう。
For Your Love - The Temptations
やっと議論の土俵に上がってきました。

娘の写真がさらされ、「自殺するまで追い込むしかない」
慰安婦報道の植村元朝日記者、ネットでの誹謗中傷明かす
J-CASTニュース 1月9日(金)

 いわゆる従軍慰安婦の女性の証言を初めて報じた元朝日新聞記者の植村隆氏(56)が2014年1月9日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見し、自らの記事に対する批判に反論した。

 同日、植村氏は自らの記事を「捏造」と非難した週刊文春の報道をきっかけに脅迫などの人権侵害を受けたとして版元の文藝春秋などに損害賠償や謝罪広告などを求める訴えを起こしている。
自らが「反日」だとして批判されていることについては「自分は愛国者だと思っている」などと話した。

■支援団体が元慰安婦女性にヒヤリングしたテープの内容を記事化

 植村氏が非常勤講師として勤務する北星学園大学(札幌市)には、こういったはがきが届くという。

  「出て行け、この学校から。出て行け、日本から。売国奴」
  「日本でカネを稼ぐな。大好きな韓国に帰化して姑に食べさせてもらえ」

 大半がいわゆる「反日」批判だが、植村氏はこう反論した。

  「しかし、私は反日ではない。
私は日本が他のアジアから尊敬される本当の仲間だと思われる国になってほしい。
そういう意味では、自分は愛国者だと思っている。
学生に言っている。
僕の学生は、韓国、中国、台湾から来る学生が多い。
『もちろん、今日本で不愉快なことが沢山あるかも分からないけど、日本も良いところがあるし、やはり日本と隣国は大切な関係なので、是非日本で色々なことを学んでほしい』」

 植村氏に対する批判のきっかけになったのが、植村氏が1991年8月11日の朝日新聞大阪本社版の紙面に執筆した記事だ。
記事では、ソウル市在住の金学順(キム・ハクスン)さん(当時68=1997年死去)が従軍慰安婦としての体験を支援団体に明らかにしたことを報じた。
植村氏は金さんに直接インタビューしたのではなく、支援団体が金さんにヒヤリングしたテープを聴くことができただけだったが、慰安婦本人の証言が記事化された初めてのケースだ。
金さんは91年12月に日本政府を相手取って戦後補償を求める裁判を起こしたが、死去後の04年に敗訴が確定している。

就職が決まっていた大学にメールや電話で批判が殺到

 週刊文春は、この1991年の記事について、2014年2月6日号で「『慰安婦捏造』朝日新聞記者がお嬢様大学教授に」と題するキャンペーン記事で批判。
記事では、西岡力・東京基督教大教授が金さんについて、

  「親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。
植村氏はそうした事実に触れずに強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではありません」

とコメント、植村氏を非難した。
西岡氏は同様の主張を別の論文でも展開している。

 植村氏の説明によると、文春記事の影響で、就職が決まっていた神戸松蔭女子学院大学(神戸市)にメールや電話で批判が殺到し、就職話は立ち消えに。
非常勤として勤務している北星学園大学にも抗議の電話が相次ぎ、その内容がネット上に拡散されたケースもあった。

 娘の写真がネット上にさらされ、「こいつの父親のせいで、どれだけ日本人が苦労したことか」「自殺するまで追い込むしかない」などと誹謗中傷が相次いだ。
非公開のはずの自宅住所や電話番号もネット上に拡散された。

 植村氏は提訴の理由を、

  「こうした、週刊文春の『捏造』というレッテル貼り、そして西岡氏の言説が、結果的にこうした状況を引き起こしたのではないかと思っている。
言論の場でも手記を発表して反論している。
それだけではなく、法廷の場でも捏造記者でないことを認めていただこうと思っている」

と説明した。
訴訟は週刊文春の版元の文藝春秋と西岡氏を相手取って起こされ、
(1)インターネットからの西岡氏論文の削除
(2)謝罪広告の掲載
(3)損害賠償として1650万円の支払い、の3点を求めている。

 西岡氏は文春記事の中で、植村氏の記事が「強制連行」があったかのような内容だったとして「捏造」だと主張している。
ただ、植村氏の記事では、金さんについては、

  「女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた。
2、300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた」

と書かれているに過ぎない。
植村氏はこれを根拠に、そもそも「強制連行」があったとは伝えていないことから「捏造」はないとしている。

西岡氏はリード文の「戦場に連行」根拠に引き続き「捏造」主張

 植村氏は「文藝春秋」15年1月号や「世界」15年2月号でも、同様の主張を展開しており、批判された西岡氏もすでに植村氏の「捏造ではない」という主張に反論している。

 西岡氏は「正論」15年2月号への寄稿で、植村氏の1991年の記事のリード文を問題視している。
リード文の内容はこうだ。

  「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、(後略)」

 このリード文について、西岡氏は、

  「植村記者は一般論として慰安婦を説明したのではない」
  「普通の国語力があれば、この文章は、単純に慰安婦を挺身隊と混同して書いたのではなく、彼女(編注:金さん)の経歴について書いていたものだとわかる」

と主張。
金さんが「『女子挺身隊』の名で戦場の連行」の事実を記者会見や訴状では触れなかったとして、西岡氏は、

  「本人が語っていない経歴を勝手に作って記事に書く、これこそ捏造ではないか」

などと、やはり「捏造」批判を展開している。

 植村氏の記事をめぐっては、朝日新聞が14年8月に掲載した検証記事と14年12月の第三者委員会の報告で、「挺身隊」の用語の間違いはあったものの、「事実のねじ曲げ」はなかったと結論づけている。

 さらに、朝日新聞社は、済州島で慰安婦が強制連行されたとする「吉田証言」は虚偽だったとして同証言に関連する記事18本を取り消しているが、植村氏は吉田証言に関連する記事は出稿、取材ともにタッチしていない。

コメントをする前に、植村氏の会見内容を正確にみておきましょう。

「私は捏造記者ではない」
慰安婦報道の植村隆・元朝日新聞記者の会見スピーチ(全文)
弁護士ドットコム 1月9日(金)

慰安婦問題の記事を書いた元朝日新聞記者の植村隆氏が1月9日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開き、週刊誌記事などで「捏造」と批判されていることについて、「私は捏造記者ではない。不当なバッシングに屈するわけにはいかない」と主張した。
植村氏はこの日、「捏造記者」と報じた文藝春秋と西岡力・東京基督教大学教授に損害賠償を求める訴えを起こした。

植村氏は朝日新聞記者時代の1991年8月、元慰安婦だと初めて名乗り出た韓国人女性が証言しているテープをもとに、記事を書いた。
朝日新聞社が昨年8月に虚偽であると判断した故・吉田清治氏の「慰安婦狩り」証言の報道とともに、慰安婦問題が大きくクローズアップされるきっかけとなった。

植村氏は2014年に朝日新聞社を退職し、現在は北星学園大学(札幌市)で非常勤講師を勤めているが、大学に対して、植村氏の退職を求める脅迫状が届き、大きな問題になった。
植村氏の記事をめぐっては、昨年8月の朝日新聞社の検証で、「記事に事実のねじ曲げない」としながらも、「女子挺身隊=慰安婦」という表現は誤っていたと認めている。

以下、植村氏が外国人記者に向けて語ったスピーチの全文を紹介する。

●冒頭スピーチ全文

みなさま、お忙しいところ、私の記者会見に来ていただきまして、ありがとうございます。
パリの新聞社襲撃事件で多数の記者たちが亡くなったことに、本当にショックを受けています。
1987年5月には私の同期の小尻知博記者が支局を襲撃されて殺される事件がありました。
同じジャーナリストとして、こうした暴力には絶対に屈してはいけないと改めて思いました。

私が非常勤講師として勤めている北星学園大学にも昨日また、脅迫状が送られてきました。
匿名性に隠れた卑劣な脅迫行為は、絶対に許すことができないと思います。
なぜ、北星学園大学に脅迫状がくるかというと、私がそこに勤務しているからであります。
去年、週刊文春の記事で、私が「捏造記者だ」というレッテル貼りをされました。
それで、まったく私の記事とは関係ない大学にまで、こうした脅迫行為がおこなわれています。

私は訴訟準備のために東京にいて、大学には行っていなかったのですが、私のために大学が脅迫にさらされることに心が痛みます。
本日、週刊文春を発行する文藝春秋および、その週刊誌にコメントを発表した東京基督教大学の西岡力氏の両名を名誉毀損の被告として、裁判を起こしました。
私は私の人権、私の家族の人権、家族の友人の人権、勤務先の北星学園大学の安全を守るために、この訴訟を起こしました。

私は24年前の大阪社会部時代に、慰安婦と名乗りでた韓国のおばあさんのつらい体験の記事を署名入りで2本書きました。
この記事が原因で、23年間ずっとバッシングを受けています。
この記事で私が存在を報じたのは金学順さんという人で、韓国でカミングアウトした第1号の慰安婦です。
彼女の勇気のある証言で、慰安婦の生の証言が世界に伝わって、たくさんの被害者が名乗り出るようなりました。
そういう意味では、慰安婦問題が世界に知られるようになった証言者第1号のおばあさんでした。

1年前の週刊文春(2月6日号)の記事に、1991年8月の記事が批判的に紹介されました。
この見出しを見ていただければわかりますが、「慰安婦捏造 朝日新聞記者がお嬢様女子大学の教授に」とあります。

西岡氏はこの週刊誌のコメントで、私の記事に対して、「強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではない」とコメントしています。

(私の記事では)本文2段落目に、「女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳のときにだまされて慰安婦にされた」と書いてます。
そこには触れないで、(西岡氏は)「強制連行があったかのように書いており、捏造」としています。これはフェアではないと思います。

私の記事はリードで「女子挺身隊」という言葉を使いました。
当時、韓国では慰安婦のことを女子挺身隊、あるいは挺身隊という言葉で表現していました。
しかし、西岡氏は1992年4月の文藝春秋で、「重大な事実誤認」と批判していました。
その当時、西岡氏は、「朝日に限らず日本のどの新聞も、金さんが連行されたプロセスを詳しく報じず、大多数の日本人は、当時の日本当局が権力を使って金さんを慰安婦としてしまったと受け止めてしまった」と書いています。

しかし、その後は、私だけを狙い撃ちにして批判しています。
98年頃から、批判が「捏造」という言葉に変わりました。
同じ1991年の記事に対して、評価を変えてしまっているのです。
フレームアップだと思います。
結局、その流れで、去年の2月の週刊文春の記事は私を「捏造記者」とレッテル貼りしました。
これはフレームアップの延長線上だと思います。

この記事が原因で、私の転職先の神戸の女子大学にいやがらせのメール、電話が多数殺到しました。
そして私がいま勤務している北星学園大学にはさらに多くの抗議のメールや電話がくるようになりました。
抗議電話の一部は、インターネット上に公開されて、さらに憎悪が煽られています。

標的は大学だけではありません。
私の家族、娘にまで及びました。
娘の写真がインターネット上にさらされ、誹謗中傷が書き連ねられています。
たとえば、「こいつの父親のせいで、どれだけの日本人が苦労したことか。
おやじが超絶反日活動で、贅沢三昧に育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」。
私のパートナーは韓国人です。
つまり、私の娘は父親が日本人で、母親が韓国人なのです。
娘に対してヘイトスピーチのような、コリアンを差別するようなコメントも書かれています。

週刊文春の「捏造」というレッテル貼り、そして西岡氏の言説が、結果的にこうした状況を引き起こしたのだと思います。
私は言論の場でも手記を発表して反論しています。
それだけではなく、法廷でも捏造記者ではないことを認めていただこうと思っています。

私は「捏造記者」ではありません。
不当なバッシングに屈するわけにはいかないのです。

外人記者クラブでの発表になったのは、韓国や中国からの援護を期待したものと思われます。

しかも、外務省の事なかれ主義で現在欧米での日本の右傾化を懸念するという論調が強くなっている背景もあります。

さらに、言論テロともいうべきイスラム過激派によるフランスの新聞社襲撃事件を自分のケースと重ね合わせるという相乗効果も狙っています。

ということで、この会見のタイミングはかなり用意周到に準備されていたと考えられます。

ただ、肝心の問題となっている自身の記事についてはあまり語られていません。

まるで非難される理由がわかっていないかのようです。

では、長年この件を追求してきた産経新聞は・・

慰安婦記事の疑惑拭えず 
裁判戦術も疑問 元朝日記者の文芸春秋など提訴
産経新聞 1月9日(金)

 文芸春秋と東京基督教大の西岡力教授を提訴した元朝日新聞記者、植村隆氏は9日の記者会見で「生存権」という言葉も使ってこう被害を訴えた。

 「名誉回復、人生の再生のために戦っていきたい。私は捏造(ねつぞう)記者ではない」

 確かに、嫌がらせや脅迫が勤務先の大学や植村氏の家族にまで及んでいる現状は看過できず、断じて許されない。
ただ、この日の記者会見でも、肝心の植村氏が批判を受ける原因となった記事に関しては、説明は尽くされなかった。

 例えば植村氏は平成3年8月11日付朝日新聞朝刊の記事で、匿名の韓国人元慰安婦の証言テープをもとに「『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され」と書いた。

 この記事の慰安婦と勤労動員によって工場などで働いた女子挺身隊との混同と、「戦場に連行」という強制連行を連想する表現とが後に問題化し、「捏造ではないか」と疑問視されるに至った。

 ところが植村氏は、記者会見で「テープで『挺身隊』と聞いたのか」と問うても、「定かでない」との答えだった。
その上で、当時は韓国で挺身隊と慰安婦が同一視されていたことを繰り返し主張し、「自分にも同様の認識があった」と述べたが、テープにない言葉を恣意(しい)的に付け加えたとの疑惑は拭えない。

 植村氏は月刊誌「世界」2月号で「暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた」と書いている。
記者会見でも「記事には『だまされて慰安婦にされた』と書いている」と強調し、自身は強制連行とは書いていないと訴えた。

 この問題をめぐっては、昨年12月に朝日新聞の第三者委員会が公表した報告書も「安易かつ不用意な記載」「『だまされた』と『連行』とは両立しない」と厳しく批判している。

 報告書の指摘について植村氏にただすと、「(第三者委から)注文はついている。確かに今となってはもうちょっと(丁寧に)書いておけばよかったなあ。そのくらいの話だ」との反応で反省は示さなかった。

 「私は言論人、活字の人だから、まず活字(月刊誌などに発表する論文)で説明しようと思った」

 植村氏は、これまでインタビュー取材を受けるメディアを選別してきた理由についてこう語った。
一方で代理人の神原元(はじめ)弁護士は「これから170人の代理人が、(植村氏を捏造記者と呼んだ)その他の人々も順次訴えていく」と今後の裁判戦術を明らかにした。

 言論人であるならば、こうした大規模な裁判闘争に出る前に西岡氏と堂々と論戦したり、産経新聞などの取材を受けたりして、自らの言論で白黒を決めるべきではなかったかと疑問に思う。(阿比留瑠比)

彼の娘に対する一連の脅迫は行きすぎですが、自分のことを「言論人」と称するのなら、発言に対してそれ相応の責任も発生することは当たり前です。

まず最初に、朝日新聞記者としてこの記事が書かれたという点を押さえておく必要があります。

そして先般、従軍慰安婦問題の強制性をミスリードしたことを朝日新聞は白状しました。

つまり、初めからバイアスのかかった結論ありきの「朝日の立場」の中で彼の記事も書かれていたわけです。

こうした経緯から考えれば、彼の曖昧な言い回しは意図的にされたものだと解釈するのが自然です。

それでも100歩譲って、慰安婦と挺身隊がまったく違ったものだという認識に気づいた時点で、さらには「暴力的な強制連行ではなかった」というのなら、なぜ韓国からの一方的な不当な言いがかりに対して彼は傍観するだけで、自らの未熟な記事の訂正なり誤解を解く説明をしなかったのか、という「言論人」としての質の問題が問われます。

自身を「言論人」というなら、まずこのことを恥ずべきです。

さらに会見では、自分の家族のカミングアウトも披露していますが、別に彼の奥さんが韓国人だからバッシングされているわけではなく、こんな誤解を受ける記事を書いたからバッシングされているというだけの話です。

おそらく朝日新聞記者のみならず、他の報道機関の記者たちの中にも韓国人を奥さんに持つ人はいるでしょうが、彼らはそのことが理由で非難されるわけがないのをみれば明らかです。

逆に、彼の奥さんや義理の祖母の素性が明らかになればなるほど、記事の本当の意図があぶりだされて見えてきます。

彼が1991年に記事を書いてから、20年近くお粗末な記事に対して訂正加筆するチャンスはあったはずなのに、従軍慰安婦の強制性についての長年の日韓の不毛な議論を当事者でもありながら横目で見ながら、何もしなかったという事実だけをもってしても彼が愛国者でありえるはずがありません。

愛国心とは、今回のように彼が家族や娘を守るように、日本人であれば真実に向き合い日本の国益や尊厳を守ろうとするはずだからです。

もし彼が、韓国に対する愛国と言っているのなら話は別ですが・・

そして私は、産経新聞が書くように、「言論人なら裁判ではなく自らの言論によって白黒をつけるべきだ」とは思っていません。

なぜなら彼は「言論人」ではなく「工作員」だからです。

日本を不当に貶めようとする「工作員」が少なくとも裁判の土俵に上がってきたわけですから、これは歓迎すべき第一歩です。

そして、裁判の行方ですが、記事内容に「捏造=事実でないことを事実のようにこしらえること。でっちあげること」があったかどうかの判断となりますが、捏造だったかどうかは第三者が決めることが出来ない極めて個人的な意思の問題となりますが、是非裁判の判断材料として、彼の特異な家族環境や記事が出た時点での朝日新聞の強い反日意向が背景にあった点、さらに訂正記事を最後まで出さなかった点などを重視して欲しいと思います。

一方で代理人の神原元(はじめ)弁護士は「これから170人の代理人が、(植村氏を捏造記者と呼んだ)その他の人々も順次訴えていく」と今後の裁判戦術を明らかにした。

こうなると我々も、日本に潜む「反日工作員」をどんどんあぶりだしていく必要があるのかもしれませんね。

あ、あともう一言。

「まったく私の記事とは関係ない大学にまで、こうした脅迫行為がおこなわれています」

迷惑をかけているのがわかっていながら大学講師を辞めないのは、ある意味大した度胸ですが、雇っている日本の大学の教育方針にも疑問を持たざるを得ません。

まともとはいえない「言論人」から一体何を学ぼうというのでしょうか?

では、1-11生まれの有名人です。

1745年伊能忠敬(測量家『大日本沿海輿地全図』)、1948年連城三紀彦(小説家『恋文』『隠れ菊』)、1956年小林邦昭(プロレス)。

おめでとう!

音楽ですが、ジャズスタンダードを彼らが歌うとこうなります!
The Temptations - Night and Day

昨年末、私の好きな作家の宮尾登美子さんが亡くなっていました。

作家の宮尾登美子さんが死去 「天璋院篤姫」
2015/1/7

 小説「天璋院篤姫」「鬼龍院花子の生涯」など苦難を乗り越えて強く生きる女性たちを描いた作家の宮尾登美子(みやお・とみこ)さんが昨年12月30日午後9時17分、老衰のため東京都狛江市の自宅で死去した。
88歳だった。告別式は近親者のみで行った。
喪主は次女、環さん。

 1926年、高知市生まれ。
高坂高等女学校卒業後、代用教員となり、結婚後に夫と渡った中国東北部で終戦を迎えた。
帰国後に作家を志し、生家と父母を描いた自伝的小説「櫂」で73年に太宰治賞を受賞。
出世作となった。

 その後も女性の生涯をテーマに多彩な作品を手掛けた。
一絃琴に打ち込んだ師弟2人の女性を描いた「一絃の琴」で79年に直木賞、2009年には文化功労者に選ばれた。

 1983年から84年に日本経済新聞夕刊で「天璋院篤姫」を連載。
薩摩藩から徳川13代将軍、家定に嫁いだ篤姫の人生を描いた。
同作品は2008年のNHK大河ドラマの原作にもなった。

デビュー作「櫂」での流れるような文体を確立されたのは素晴らしいです。

1文が異常に長いのですが、意味を切ることなくしっかり伝えきる文章能力はさすがです。

是非、一度読んでみてください。合掌

こちらの女性は闘病生活からの復帰です。

里見香奈女流名人245日ぶり復帰戦に勝利 
迷いなし7時間33分
スポーツ報知 1月9日(金)

 体調不良のため、昨年3月から休養していた将棋の里見香奈女流名人(22)が8日、大阪・関西将棋会館で行われた女流王位戦の挑戦者決定リーグで復帰。
先手番で、中井広恵女流六段(45)に127手で勝ち、限定的に出場した昨年5月のマイナビ女子オープン以来、8か月ぶりの公式対局を白星で飾った。
18日開幕のユニバーサル杯女流名人戦5番勝負(報知新聞社など主催)で、史上最多となる6連覇に挑む。

 ブランクを感じさせない鋭さだった。
終盤の素早い寄せで勝利を手にしたマスク姿の里見は、時折せき込みながら「ちょっと(攻めが)細いかなと思ったが、何とかつながっていた」と、復帰戦を振り返った。

 昨年5月8日のマイナビ女子オープン(女王)5番勝負第4局以来、245日ぶりの公式対局。髪は伸び、休養前より落ち着いた雰囲気になった。
女流棋士で歴代最多の通算599勝を誇る中井を相手に「終盤で少しスピード重視の手があった」と反省も、強気の踏み込みでねじ伏せた。

 休養中は主に故郷の島根・出雲市で過ごし、通院時だけ一人暮らしする大阪に戻った。
だが通院と薬の服用を続けても、体調に変化はなかった。
手探りで完治を目指しても仕方がないと、復帰を決断。
「病院でも原因不明と言われ、対処のしようがなかった」。
休養前は一日10時間と言われた勉強量は激減した。
だが一方で、読書にふけるなど時間を有効活用し「家族と出掛けたりして気分転換できたし、気持ちに迷いがない状態で今日を迎えられた」とフレッシュな状態を取り戻していた。

 7時間33分間の対局。
課題だった長時間の真剣勝負をクリアし「最後まで指し切れるか、というのが一番の心配だった。ホッとした」と笑顔を見せた里見。
15日に同リーグの1戦を挟み、18日開幕のユニバーサル杯女流名人戦(清水市代と対戦)で史上最多の6連覇を目指す。
「維持したいタイトル。『万全じゃないなりの万全』の状態で臨みたい」。
表舞台に戻ってきた女流の第一人者は、マイペースで完全復活を目指す。(吉村 達)

奨励会の3段リーグ復帰は少し伸びるようですが、体調を万全にして女性初のプロ棋士(女流という肩書きがつかない棋士)目指して頑張ってほしいものです。

最後は、一人の女性が大きな会社組織に勝ったあっぱれな話題です。

日テレ内定取り消し訴訟 
和解成立、アナウンサーで4月入社へ
産経新聞 1月8日(木)

 東京・銀座でのクラブホステスのアルバイト経験を理由にアナウンサー職の内定を取り消したのは不当として、大学4年の笹崎里菜さん(22)が日本テレビに就業できることの確認を求めた訴訟は8日、東京地裁で和解が成立した。
日本テレビ広報・IR部によると、和解条項には今年4月から笹崎さんをアナウンサーとして採用することなどが盛り込まれたという。

 昨年11月の第1回口頭弁論では、日テレ側が争う姿勢を明確にしていた。
しかし、その後は日テレ側が採用を視野にした和解協議に応じるなど歩み寄りをみせたため、昨年10月の提訴からわずか3カ月のスピード解決となった。

 訴状によると笹崎さんは、平成25年9月、日テレ主催の「アナウンスフォーラム」に複数回参加。
その中で、平成27年度のアナウンサー内定を文書で通知された。
その後、笹崎さんが銀座のクラブでの短期アルバイト経験を日テレに伝えると、「傷が付いたアナウンサーを使える番組はない」などと、昨年5月に内定を取り消された。

 問題をめぐっては、日テレ側が取消通知で「アナウンサーには高度の清廉性が求められている」と笹崎さんに伝えていたことが話題となった。

 日本テレビ広報・IR部は「当社は裁判所の和解勧告を受け入れることが最善と判断しました。今後は合意した和解内容を誠実に履行していく所存です」とコメントした。

社会的なバッシングを受けての和解という流れですが、日テレが採用経緯を反省して採用条件を変更したという話は聞こえてきません。

これって、うるさい内定辞退者だったから対処したが、日テレの採用基準は従来どおりで変えていないということではないのか?

マスコミはなぜここまで突っ込まないのか!?

そして、合格を勝ち取った日テレが烙印を押した「傷物」笹崎さんの今後の活躍も注目です。


では1-10生まれの有名人です。

1871年高山樗牛(評論家,思想家)、1930年山下耕作(映画監督)、1945年ロッド・スチュワート (英:歌手)、1949年ジョージ・フォアマン (米:ボクシング)、1956年マイケル・シェンカー (独:ギタリスト)、1976年レミー・ボンヤスキー (スリナム・蘭:キックボクシング)。

おめでとう!

音楽ですが、やはりかっこいいおじさんたちです!
The Temptations - Treat Her Like A Lady