今日は本の紹介です。

ドラマ化もされた「蒼穹の昴」です。

『蒼穹の昴』(そうきゅうのすばる)は、浅田次郎著の長編小説、及びこれを基にしたテレビドラマ。
1996年(平成8年)講談社刊。

清代の中国を舞台とした歴史小説。
第115回(1996年(平成8年)7月)直木賞候補作。
浅田自身「私はこの作品を書くために作家になった」と、帯でコメントした。
なお浅田は続編となる『珍妃の井戸』、『中原の虹』(ちゅうげんのにじ)、『マンチュリアン・リポート』を書いている(いずれも講談社刊)。

10年以上経た後に日中共同制作でテレビドラマ化された(全25回)(中国版は28回)。
2009年(平成21年)4月に脚本楊海薇・監督汪俊のもと撮影が開始され、翌年1月2日から7月10日までNHKデジタル衛星ハイビジョンで字幕版が放送されたほか、9月26日からは日曜夜にNHK総合テレビジョンでも日中2か国語により放送されている。
DVDソフトは2010年に出た中国版に続いて、全8巻の日本語版が発売(2010年12月に1~4巻、2011年1月に5~8巻)された。

あらすじ

舞台は光緒12年(1886年(日本:明治19年))から光緒25年(1899年(日本:明治32年))までの清朝末期。
貧家の子、李春雲(春児)は糞拾いによって生計を立てていたが、貧しい家族のために自ら浄身し、宦官となって西太后の下に出仕する。
一方、春児の義兄で同郷の梁文秀(史了)は、光緒12年の科挙を首席(状元)で合格し、翰林院で九品官人法の官僚制度を上り始める。

清朝の内部では、政治の実権を握っている西太后を戴く后党と、西太后を引退させて皇帝(光緒帝)の親政を実現しようとする帝党とに分かれ、激しく対立していた。
后党と帝党の対立は、祖先からの清朝の伝統を守ろうとする保守派と、衰えた清朝を制度改革によって立て直そうとする革新派(変法派)の対立でもあった。
両者の対立は、やがて西太后と皇帝の関係にも、深い溝を生んでゆく。

春児は西太后の寵を得てその側近として仕え、一方、文秀は皇帝を支える変法派若手官僚の中心となる。
敵味方に分かれてしまった2人は、滅びゆく清朝の中で懸命に生きていく。

登場人物

実在の人物と架空の人物が混ざり合って、物語を作り上げている。
振り仮名は、日本語読みをひらがなで、中国語風の読みをカタカナで表記。
小説内のルビは小書きではないが、ここでは拗音に読める箇所を「チユ」⇒「チュ」などと記した。

主要人物

李春雲(り しゅんうん、リイ チュンユン) / 春児(チュンル)架空の人物。
小徳張(中国語版)の逸話を取り入れている。
静海県出身の貧民の子。
糞拾いで生計を立てていたが、自ら去勢(浄身)して老公胡同(ラオコンフートン)で宦官に必要な全てを教え込まれ、紫禁城へ入り西太后に仕える。

梁文秀(りょう ぶんしゅう、リァン ウェンシュウ) / 史了(シーリャオ) / 少爺(シャオイエ)架空の人物。
静海県出身で郷紳の子。
春児の兄貴分。
科挙に第一等「状元(じょうげん)」で合格し進士となって、光緒帝に仕える。
梁啓超の強学会の逸話を取り入れている。
光緒帝への様々な進言は戊戌六君子として知られる楊深秀および林旭の逸話をモデルにしている。
光緒帝の先生をしていた梁鼎芳の逸話も取り入れている。

李玲玲(リイ リンリン)架空の人物で静海県出身。
春児の妹。
春病で肉親を失う。
後に梁文秀の妻となる。

西太后(せいたいごう、シータイホウ)慈禧(じき、ツーシー) / 葉赫那拉·杏貞 / 老仏爺(ラオフオイエ)
慈禧清朝第9代皇帝咸豊帝の妃(1835年11月29日 - 1908年11月15日)。
実子である第10代皇帝同治帝と甥の清朝第11代皇帝光緒帝を据えて垂簾政治を行う。
光緒24年(1898年)、光緒帝の親政の為に一度は頤和園へ隠退するが、戊戌の変法の100日後戊戌の政変で復帰。
光緒帝が崩御した11月14日、溥儀<1906年2月7日 - 1967年10月17日>を後継者に指名するとともに、溥儀の父(光緒帝の弟、醇親王奕譞の五男)、醇親王載灃(ツァイフェン)<1883年2月12日 - 1951年2月3日>を監国摂政王に任命して政治の実権を委ね、翌日に74歳で崩御。

光緒帝(こうしょてい) / 愛新覚羅·載湉(ツァイテン) / 万歳爺(ワンソイイエ)
載湉若き清朝第11代皇帝(1871年8月14日 - 1908年11月14日)。
西太后の甥。
父は醇親王奕譞(1840年 - 1891年)。
母は西太后の妹醇親王妃、葉赫那拉·婉貞。
妻も西太后の姪孝定景皇后(中国語版)、葉赫那拉·靜芬。
史実では寿安公主は叔母にあたる。

楊喜楨(ようきてい、ヤン シーチェン)
架空の人物。
光緒帝の教育係で、文秀の岳父。
進士。帝党の筆頭。
謹厳実直な性格で、西太后にも隠居と光緒帝への政権移譲を建言するが、対立する栄禄や李蓮英の手により毒殺される。
翁同龢と沈葆楨の逸話を取り入れている。

王逸(おういつ、ワンイー)
架空の人物。
文秀と同年の進士。
科挙に第三等「探花(たんか)」で合格。
翰林院から李鴻章配下の軍人となるが、同僚の袁世凱と対立する。
後に袁世凱の力が強大化するのを危惧した李鴻章の命により、袁を暗殺しようとするが失敗して捕らわれた。

順桂(じゅんけい、シュンコイ)
架空の人物。
文秀と同年の進士。
科挙に第二等「榜眼(ぼうがん)」で合格。満州旗人出身。
満州貴族ながら変法派に同調する。
恭親王の死に際し、「西太后を抹殺せよ」と遺言を受けた。

李鴻章(り こうしょう、リ ホンチャン) / 少荃(しょうせん、シャオチュエン)
天津の直隷総督府に居る清の外交・軍事の最高実力者、直隷総督兼北洋通商大臣。
漢民族の将軍。進士。<1823年2月15日 - 1901年11月7日>
物語の始まる光緒12年(明治20年、1887年)には、清仏戦争の責任を非難していた政敵・塞防派の左宗棠が2年前に死去しており、一手に軍事面を掌握していた。
翌光緒13年(1888年)、膨れ上がった淮軍は洋式海軍を組織し、丁汝昌率いる北洋艦隊(後の北洋軍)が登場する。

曽国藩(そう こくはん、ツォン グォファン)
穆彰阿に抜擢されて太平天国の乱鎮圧に功績を挙げた同治中興の忠臣。
漢民族の将軍(湘軍)。進士。
洋務運動を主導し、李鴻章(淮軍)と左宗棠(楚軍)を育てた。

袁世凱(えん せいがい、ユアン シイカイ) / 慰亭(いてい、ウェイティン)
李鴻章の副官。
漢族の軍人。<1859年9月16日 - 1916年6月6日>
滅満興漢の視点から李鴻章の洋務運動を支え、帝党には表面上は協力の姿勢を見せる。
新建陸軍の洋式化で新軍(後の北洋軍/北洋政府)を作り上げる。
新軍には、馮国璋(直隷派)・段祺瑞(安徽派)・張作霖(奉天派)らが所属する。
徐世昌は幼なじみ。

康有為(こう ゆうい、カン ヨウウェイ)
公羊学者。<1858年3月19日 - 1927年3月31日>
劉逢禄・龔自珍の弟子で公羊学者。
洋務運動を唱えていたが、香港・上海でイギリス人宣教師ジョン・フライヤーら外国人との交流から、変法による内政改革で立憲君主制を目指すようになり、洋務運動を推進していた李鴻章とは一線を画す急進的政策となっていったが、容閎ら幅広い層から支援を受け続けていた。(容閎は後に孫文を支持、辛亥革命によって康有為の帰国が叶う。)
進士となり、光緒帝を擁して戊戌の変法を主導するも失敗。
イギリス人のティモシー・リチャード牧師の助けで一旦上海のイギリス領事館に保護され、その後宮崎滔天や宇佐穏来彦らの手引きで香港を経由して日本に亡命した。

譚嗣同(たん しどう、タン ストン)
康有為の弟子。<1865年3月10日- 1898年9月28日>
中国全土の20省以上(新彊省を含む)を訪れて国民の貧困を間近に観察し、洋務運動を志す。
その頃、譚嗣同の政策は改革のための学、経世致用であった。
当時100冊以上の中国語翻訳書を書いていたイギリス人宣教師ジョン・フライヤー(傅蘭雅)を上海まで尋ね、西洋の科学技術にも精通していた。
1897年、唐才常・熊希齢・蒋徳鈞・陳三立らとともに時務学堂を創設。
梁啓超、康有為らとともに清朝改革をはかるも失敗し、戊戌六君子と共に菜市口処刑場で刑死となった。

孫文(そんぶん、スン ウェン)
西洋医学を学んだ医師で、後に辛亥革命によって清朝を打倒する人物。<1866年11月12日 - 1925年3月12日>

毛沢東(もう たくとう、マオ ツォートン)
湖南省湘潭県の小作農家の三男。
後に中華人民共和国を建国する革命家。<1893年12月26日 - 1976年9月9日>

岡圭之介(おか けいのすけ)
架空の人物。
日本人。
万朝報の新聞記者。会津出身。
天津フランス租界で活動中。
余談だが名前は本作の担当編集者から採られた。

伊藤博文
日本の明治維新の志士の一人。
元内閣総理大臣(第二次伊藤内閣:1892年8月8日‐ 1896年8月31日)。
騒乱直前の北京を訪問し、光緒帝に謁見する。
改革派からは大きな期待を受けていた。

ミセス・チャン
トーマス(記者)の現地秘書を勤める謎めいた美女。
実は清朝第10代皇帝同治帝の隠し子、寿安公主(固伦寿安公主〈1826年 - 1860年〉史実では父が清朝第8代皇帝道光帝で、母が孝全成皇后。德穆楚克扎布に降嫁している)。
普段は北京でバーを経営し、幅広い人脈を持つ一方、宮中にも度々参内し、西太后が心を許せる数少ない存在になっている。
西太后に西洋の情報を伝えたエピソードは徳齢の逸話を取り入れている。

白太太(パイタイタイ)
架空の人物。
韃靼の星占いの秘術をおさめた老女。
かつては宮中にあって数々の予言を的中させてきたが、同治帝の早世を予言したため西太后の怒りを買い、紫禁城を追い出された。
春児が将来、西太后の財宝を手に入れると予言する。


虚実入り交えたフィクションですが、中国史の勉強にもなります。

清王朝は女真族のヌルハチにより1636年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国を支配した最後の統一王朝で中国史上では、征服王朝の一つに数えられています。

特に科挙制度と宦官についての詳細な記述は面白かったです。

途中までは名作の予感がしていたものの、最後にかなり強引に物語の辻褄あわせに走った点がとても残念。

ウィッキペディアでは李春雲が主役の様ですが、浅田本では梁文秀が主人公です。

また本では西太后が悪いイメージを自ら引き受けたいい人のように書かれています。

小説の舞台となる清朝(しんちょう)末期は日本を含む列強に植民地支配され領土がバラバラになる激動の時代でしたので、そうした時代背景を頭に入れて読むと一層面白さが味わえると思います。

文庫本は4冊ですが秋の夜長にはもってこいですよ。


では、音楽の時間です。
サザンロックといえば、このバンドのこの曲も忘れられません。

マーシャルタッカーバンド。

オールマン・ブラザーズ・バンド(オールマンBros.)の後を追うように登場したサザン・ロックの継承者集団マーシャル・タッカー・バンド(MTB)は、そのオールマンBros.と同じように、ブルース、カントリー、ジャズなどをサウンド基盤としながらも、実に多彩な音楽性をもったバンドだ。

そして、トミーの自動車事故死という悲劇的な結果まで継承してしまったのである。
後続となるレイナード・スキナードもまた悲劇の事故を体験してしまっている。
サザン・ロックの魅力には、こういった「南部の荒くれ者」達による無骨で男っぽいところも多分にあるのだが、、それにしても多くの有能な人材を失ったものだ・・・。

彼らはアメリカ南部のサウスカロライナで1971年にバンドを結成し、後で彼らが練習に使っていた部屋のオーナーの名前をとって、マーシャル・タッカー・バンドと名付けた。
オリジナル・メンバーは
Toy Caldwell/リード・ギター
Tommy Caldwell/ベース・ギター *Toyとは兄弟
Doug Gray/ヴォーカル、キーボード
George McCorkle/リズム・ギター
Jerry Eubanks/サックス、フルート
Paul Riddle/ドラムス

かつてデュアン・オールマンもプレイしていたCOWBOYに在籍したこともあるトイが、65年結成したTOY FACTORYというバンドにDougとJerryも参加していて、その後96年にバンドは解散。
新たに71年トイとDoug、Jerryが結成したニューバンドに翌年ジョージ、ポール、トミーが加わる形でこのメンバーが集まった。
73年にオールマンBros.と同じキャプリコーン・レーベルと契約した彼らは、当然オールマンの後釜として売り出され、ファースト・アルバムはたちまちゴールド・ディスクとなった。
このデビュー・アルバムからは「Can't You See」や「Take The Highway」のヒットも生まれ、彼らの初期の代表曲として、ライブではお馴染みの曲となっている。
当初彼らはトイの曲とギターを全面的に押し出したサウンドを売り物にしていたが、しだいに他のメンバー達が個性が発揮し始め、それが好評を得るようになっていった。

そんなバンド全体としての魅力が爆発したのが、74年にリリースした2枚組のサード・アルバム「アメリカン・ロックの鼓動」である。
このアルバムはスタジオ録音とライブ録音の2枚組でブルーグラス(アメリカのトラッド・ミュージック)の父チャーリー・ダニエルズを迎えたスタジオ盤では、「This O'l Cowboy」と「In My Own Way」の名曲を生み、ライブ盤では「24 Hours At A Time」の14分に及ぶ熱演が話題になった。(特に「This O'l Cowboy」はオールマンBros.の「エリザベス・リード~」に匹敵するほどのフュージョンっぽいサウンドの名曲だ)

このアルバムの成功によって、彼らは一躍世界的に注目されるバンドへと躍進したのであった。

波に乗る彼らは、つづく75年リリースのアルバム「Searchin' For A Rainbow」からも「Fire On The Mountain」のシングル・ヒットを放ち、76年には次のアルバムからのインストゥルメンタルのタイトル・チューン「Long Hard Ride」でグラミー賞にノミネートされている。
この曲はカントリー調で、カウボーイを連想させるいかにも陽気なアメリカらしい名曲だ。

そして、77年には彼らのアルバム中、最もビッグ・セラーを記録した「キャロライナの夢」をリリース。
この中には全米14位の大ヒットとなる「Heard It In A Love Song」も収録されている。

79年なると彼らはワーナーへ移籍し、そのまま順調に活動をつづけていたが、翌80年バンドの士気を下げるような悲劇が待ち受けていた。
ベーシストでトイの兄弟でもあるトミー・コールドウェルが、自動車事故によりあっという間にこの世を去ってしまったのである。

バンド活動はこの後も継続されたが、このショックから立ち直ることなく、最後にはメンバー達はバラバラに活動し始めてバンドは崩壊してゆくのであった。
尚、トミーの代わりには元TOY FACTORYのメンバーだったFranklin Wilkie(b)が加入している。(彼はその後84年まで在籍)

84年にはオリジナル・メンバーのトイ、ジョージ、ポールが相次いで脱退。
特にリーダーであるトイの離脱はバンドの実質消滅状態を意味したが、それでもヴォーカルのDougとサックス奏者Jerryを中心にRonnie Godfrey(kb)、Rusty Milner(g)、Tim Lawter(b)などを加え、アルバムも出さないままバンド活動は細々と続けられていった。

その後ポリグラムに移籍した新生マーシャル・タッカー・バンドは、88年再生後初のアルバム「Still Holdin' On」を発表。
ここからのシングル「Hangin' Out In Smoky Places」と「One You Get The Feel Of It」がカントリー・チャートを上昇。
その後のバンドの方向性を決定づける成功を手中にした。
その後もメンバーの入れ替わりは激しいものの、カントリーをベースにしたサウンドで、順調に活動を続け、最近ではまたオリジナル・MTBの持っていたブルース寄りの雰囲気もプラスした音づくりへと回帰している。

一方、ソロに転向したトイは92年にソロ・デビュー・アルバムをリリースするも、そのプロモーション活動中の93年に急に倒れ兄弟トニーの元へと旅立ってしまった。
現在のMTBのメンバーは、
Doug Gray/ヴォーカル、キーボード
Rusty Milner/リード・ギター
Tim Lawter/ベース・ギター
Stuart Swanlund/スライド・ギター
B.B.Barden/ドラムス
Clay Cook/フルート、サックス
(HINE) 2001.4


では、代表曲をどうぞ!
Can't You See (1977) - Marshall Tucker Band