日米から残念な訃報が続きました。
まずは、日本人なら彼女の名前は聞いたことがなくても、この歌は聴いたことがありますよね。
岩谷時子さん死去
「恋のバカンス」「君といつまでも」など作詞
スポニチアネックス 10月28日(月)
「恋のバカンス」「君といつまでも」「恋の季節」など、など数多くのヒット曲を手掛けた作詞家の岩谷時子(いわたに・ときこ=本名トキ子)さんが25日午後、肺炎のため東京都内の病院で死去した。97歳。
1916年、京城(現ソウル市)生まれ。
神戸女学院大卒業後に宝塚歌劇団出版部に就職し、のちに男役トップスターとなる越路吹雪さんと出会った。
51年には宝塚を退団した越路さんとともに東宝に移り、以後約30年間、マネジャー兼作詞家として支えた。
作詞家としては、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、加山雄三「君といつまでも」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、郷ひろみ「男の子女の子」など数多くのヒット曲を手掛けた。
越路さんが歌った「愛の讃歌」「ろくでなし」「サン・トワ・マミー」などの訳詩でも知られる。
93年に勲四等瑞宝章、2009年に文化功労者に選ばれた。
では、彼女の主な作品並べてみます。
作詞(歌謡曲)
『ふりむかないで』(ザ・ピーナッツ、作曲は宮川泰)
『恋のバカンス』(ザ・ピーナッツ、作曲は宮川泰)
『ジューン・ブライド』(ザ・ピーナッツ、作曲は宮川泰)
『ウナ・セラ・ディ東京(東京たそがれ)』(ザ・ピーナッツ、和田弘とマヒナスターズ、西田佐知子、坂本スミ子、作曲は宮川泰)
『あの人に逢ったら』(西田佐知子、作曲は宮川泰)
『どうして』(西田佐知子、作曲は鈴木邦彦)
『鍵をかけないで』(西田佐知子、作曲は筒美京平)※詞は前村好子と共作
『夜明けのうた』(岸洋子、作曲はいずみたく)
『若い明日』(布施明、作曲はいずみたく)
『貴様と俺』(布施明、作曲はいずみたく)
『これが青春だ』(布施明、作曲はいずみたく)
『逢いたくて逢いたくて』(園まり、作曲は宮川泰)
『つれてって』(園まり、作曲は宮川泰)
『帰らぬ初恋』(園まり、作曲は宮川泰)
『お嫁さん』(梓みちよ、作曲は宮川泰)
『旅人よ』(加山雄三、井上陽水、作曲は弾厚作)
『君といつまでも』(加山雄三、作曲は弾厚作)
『お嫁においで』(加山雄三、作曲は弾厚作)
『夜空の星』(加山雄三、作曲は弾厚作)
『蒼い星くず』(加山雄三、作曲は弾厚作)
『恋の季節』(ピンキーとキラーズ、作曲はいずみたく)
『涙の季節』(ピンキーとキラーズ、作曲はいずみたく)
『青空にとび出せ!』(ピンキーとキラーズ、作曲はいずみたく)
『若いときこそ』(ピンキーとキラーズ、作曲はいずみたく)
『イカルスの星』(越路吹雪、作曲は内藤法美)
『一寸おたずねします』(越路吹雪、作曲は内藤法美)
『ほんきかしら』(島倉千代子、作曲は土田啓四郎)
『ベッドで煙草を吸わないで』(沢たまき、作曲・編曲はいずみたく)
『おまえに』(フランク永井、作曲は吉田正)
『いいじゃないの幸せならば』(佐良直美、作曲はいずみたく)
『サインはV』(麻里圭子&横田年昭とリオ・アルマ、作曲は三沢郷)
『美しきチャレンジャー』(新藤恵美、作曲は筒美京平)
『アテンションプリーズ』(ザ・バーズ、作曲は三沢郷)
『恋のゆくえ』(新藤恵美、南沙織、作曲は筒美京平)
『君をのせて』(沢田研二、作曲は宮川泰)
『若者は旅をつづける』(フォーリーブス、作曲はいずみたく)
『18才の彼』(岩下志麻、作曲はポール・モーリア)
『君と二人で』(沖雅也、作曲は鈴木邦彦)
『男の子女の子』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『小さな体験』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『愛への出発』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『裸のビーナス』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『モナリザの秘密』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『花とみつばち』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『THE END -重いがけず出会ったら-』(フォーリーブス、作曲は青山孝)
『愛のオーロラ』(荻野目慶子、作曲は林哲司)
『さらば‥夏』(田原俊彦、作曲はポール・アンカ)
『つばさ』(本田美奈子、作曲は太田美知彦)
『潮どき』(五木ひろし、作曲は中村泰士)
『思い出ホテル』(石原裕次郎、作曲は鈴木邦彦)
『さようなら17才』(ジュディ・オング、作曲は市川昭介)
訳詞
『愛の讃歌』(越路吹雪)
『ラストダンスは私に』(越路吹雪)
『ろくでなし』(越路吹雪)
『サン・トワ・マミー』(越路吹雪)
『幸福を売る男』(越路吹雪)
『ケ・サラ』(越路吹雪)
『夢の中に君がいる』(越路吹雪)
『ある愛の詩』(越路吹雪)
『夜霧のしのび逢い』(越路吹雪)
『別離(わかれ)』(越路吹雪)
『メランコリー』(越路吹雪)
『私の心はヴァイオリン』(越路吹雪)
『セ・シ・ボン』(越路吹雪)
『明日は月の上で』(越路吹雪)
『家へ帰るのが怖い』(越路吹雪)
『枯葉』(越路吹雪)
『バラ色の人生』(越路吹雪)
『チャンスが欲しいの』(越路吹雪)
『雪が降る』(越路吹雪)
『ミロール』(越路吹雪)
『暗い艀』(岸洋子)
『夢見るシャンソン人形』(フランス・ギャル)※自身が日本語で歌った
『哀しみの終わるとき』(西郷輝彦)
『マイ・ウェイ』(尾崎紀世彦)
『哀しみの黒い瞳』(郷ひろみ、作詞・作曲:J.Iglesias,R.Arcusa)
『百万本のバラ』(小田陽子バージョン)
『王様と私』(ミュージカル)
『ウエストサイド物語』(ミュージカル)
『ジーザス・クライスト=スーパースター』(ミュージカル)
『スーツケースを抱いて』(ミュージカル『エビータ』)
『レ・ミゼラブル』(ミュージカル)
『ミス・サイゴン』(ミュージカル)
『キス・ミー・ケイト』(ミュージカル)
『ミー・アンド・マイガール』(ミュージカル)
『アメイジング・グレイス』(本田美奈子.)
『ミュージカルアンデルセン』(ミュージカル)
『ミュージカル赤毛のアン』(ミュージカル)
作詞(合唱曲、校歌、その他)
『ふしぎなメルモ』(『ふしぎなメルモ』OP、作曲は宇野誠一郎)
『幸せをはこぶメルモ』(『ふしぎなメルモ』ED、作曲は宇野誠一郎)
『幸わせを呼ぶリミットちゃん』(『ミラクル少女リミットちゃん』OP、作曲は菊池俊輔)
『センチなリミットちゃん』(『ミラクル少女リミットちゃん』ED、作曲は菊池俊輔)
『宝島』(『宝島』OP、作曲は羽田健太郎)
『草原の少女ローラ』(『草原の少女ローラ』OP、作曲は川口真)
『愛を+(プラス)ワン』(『ママは小学4年生』OP、作曲は樋口康雄)
『われら』(自由民主党党歌、作曲は山本直純)
『空がこんなに青いとは』(合唱曲、作曲は野田暉行)
『ともしびを高くかかげて』(合唱曲、作曲は冨田勲)
『ともだちがいる』(合唱曲、作曲は平尾昌晃)
『横浜市立小机小学校校歌』(作曲は加山雄三)
『茅ヶ崎市立東海岸小学校校歌』(作曲は加山雄三)
『川口市立新郷東小学校校歌』(作曲は中村八大)
『藤井寺市民音頭』(作曲は宮川泰)
『日本大学習志野高等学校校歌』(作曲は山本直純)
(ウイッキペディア)
阿久悠もすごいですが、岩谷さんもすごい人だったんですね。
合掌!
では海外からの訃報ですが、パンクロックのアイコンが亡くなりました。
ルー・リードさん死去
米ロックミュージシャン 71歳
朝日新聞デジタル 10月28日(月)
【ニューヨーク=中井大助】1960年代から70年代に「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のリーダーとして活躍し、後のロックやパンクに大きな影響を与えたミュージシャンのルー・リードさんが27日、米ニューヨーク州サウサンプトンで死去した。
71歳だった。AP通信によると、5月に受けた肝臓移植の関連の病気が原因という。
ニューヨーク出身。
60年代半ばからジョン・ケイルさんらと一緒にヴェルヴェット・アンダーグラウンドとして活動し、ギターとボーカルのほか、作詞作曲も担当した。
67年には、ポップ芸術家の故アンディ・ウォーホルさんの支援を受けてレコードデビュー。
商業的にはほとんど成功しなかったが、「ヘロイン」「毛皮のヴィーナス」など、前衛音楽にも影響を受けたメロディーと、麻薬やセックスを正面から取り上げた歌詞を組み合わせた曲が話題となり、多くの音楽家に影響を与えた。
70年にバンドを脱退した後もソロ活動を継続し、「トランスフォーマー」「ニューヨーク」などのアルバムを発表。
日本のファンも多く、来日公演は複数回行った。
今日は、彼のCD「ニューヨーク」を聞き倒し、追悼の意を表したいと思います。
ルー・リード(Lou Reed, 1942年3月2日 - 2013年10月27日)は、アメリカニューヨーク州ブルックリン出身のミュージシャン。
本名ルイス・アレン・リード (Lewis Allen Reed) 。
ユダヤ系の血を引いており、父の代にラビノヴィッツ (Rabinowitz) から改姓。
シラキューズ大学在学中にデルモア・シュワルツ(en:Delmore Schwarz)に師事して詩作を学ぶ。
その挑戦的ながらポップさを兼ね備えた音楽性と陰翳と知性に富むヴォーカル・ポエトリーリーディング、人間の暗部を深く鋭く見つめる独特の詩世界は後のパンク・ロック、オルタナティヴ・ロックに大きな影響を与えた。
ボブ・ディラン、ドアーズのジム・モリソン、パティ・スミスなどと並び、ロック界における芸術性、ひいては文学性のイノベーションと向上に多大な影響を与えた音楽家の一人である。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第62位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第52位、2011年の改訂版では第81位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第72位。
1965年に結成されたロックバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのヴォーカル・ギタリストとして名を馳せた。
同バンド時代から数多くの作詞・作曲を手がけており、主にジョン・ケイルとの個性の衝突によって、アヴァンギャルドな実験性と翳りを帯びたメロディ志向を融合させた独特の音楽性を創り上げた。
リードは1970年にバンドを離れ、以後ソロ活動を開始した(バンドは途中加入のマルチ・プレイヤーであるダグ・ユールの一人バンドとなり、1972年の『スクイーズ』を最後に解散)。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでの活動はわずか4年ほどであったが、バンド結成とリード在籍時の活動とは、ロックの歴史において、オルタナティヴ・ロックを産み出した「ビッグ・バン」と位置付けられている。
リードのソロ・キャリアは多彩なものである。
1972年にヴェルヴェッツ時代のレパートリーを清算するような『ロックの幻想』(スティーヴ・ハウやリック・ウェイクマンなどがセッション参加)でソロ・デビューを果たし、同年に盟友デヴィッド・ボウイ・ミック・ロンソンと事実上共作した『トランスフォーマー』、シングル「ワイルド・サイドを歩け」がグラム・ロックの文脈において支持されヒットした(後にアメリカでホンダのスクーターのCMソングに起用される)が、翌年には閉鎖的な都市における内省的かつ陰鬱な恋愛を描いたコンセプト・アルバム『ベルリン』を発表し、方向性の転換によって一元的なコマーシャリズムへの迎合を避けた。
しかし前作が批評家からの批判を受けたことと対照的に、リードの思惑から外れたオーヴァープロデュースの次作『死の舞踏』は自身最高のヒットを記録し、RCA最後の作品である『コニー・アイランド・ベイビー』までは人気を得ていた。
その後のアリスタ・レコード時代は、自身のポップ観とロック観の折衷を求めて、コンスタントな活動ペースを保ちつつ試行錯誤を繰り返した。
アレンジ面でもよりスタンダードなロックサウンドと非クラシカルなストリングスやホーンセクションなどとの融合を試みたり、ファンクやフリージャズ、AORなどの要素を導入したり、楽曲の長大化やアコースティック面の強調、バックバンドメンバーとの共作などがその結果として挙げられる。
RCA復帰第一作となった『ブルー・マスク』ではロバート・クインのギターを得てラフかつノイジーなロックにハードな感触を加えたサウンドに転換、ほぼ同一の布陣で更にオーソドックスなロックへ遡行した『レジェンダリー・ハーツ』を制作した。
その後『ニュー・センセーションズ』『ミストライアル』ではあえて時流に歩み寄った我流のニュー・ウェーヴを展開し、リスナーを戸惑わせた。
しかし『ニュー・センセーションズ』においてはL. シャンカールやブレッカー・ブラザーズといったビッグ・ネームと共演しており、後年のリードのアプローチの布石ともなっている。
1989年、自身のルーツと向き合う形となったアルバム『ニュー・ヨーク』で「復調」、翌年アンディ・ウォーホルの追悼としてかつての盟友ジョン・ケイルと『ソングス・フォー・ドレラ』を制作。
以後90年代前半の断続的なヴェルヴェット・アンダーグラウンド再結成をはさみ、『マジック・アンド・ロス』『セット・ザ・トワイライト・リーリング』『エクスタシー』を発表、かつてよりスローなペースながら健在を印象付けた。
2003年にはエドガー・アラン・ポー、殊に「大鴉」を題材にした『ザ・レイヴン』をリリース、自身の現代文学的な詩世界と古色蒼然たる古典文学の融和をドラマティックな音楽によって表現し新境地を開いている。
2011年にはフランク・ヴェーデキントの「ルル二部作」をモチーフとした『ルル』を発表。
スピーディかつ起伏に富んだ音楽性のメタリカを起用しながら、ヴェルヴェッツ時代を想起させる頽廃的な酩酊感と90年代のメタリカさながらのヘヴィなグルーヴが同居するサウンドとポエトリーリーディングという異色のアプローチをとった作品となった。
その時代時代、またはアルバムごとにアプローチを転換しながら、その強烈な個性によって作品をあくまでポピュラーなロックサウンドとして成立させる手腕を持つリードであるが、同時にアプローチ転換の結果としてファンやプレスを当惑させるような「問題作」を発表することがある。
二枚組・60分間強の間ギターの多重録音によるノイズのみが収録された『無限大の幻覚(原題:Metal Machine Music)』(70年代の人気絶頂期に発表されたことで大きな賛否を巻き起こした)、元々自身のメディテーション用にプライヴェートに制作された単調な電子音の反復によるアンビエント『Hudson River Wind Meditations』、Metal Machine Trio名義で本格的なアンビエントとノイズミュージックの双方に着手した『The Creation of the Universe』、ジョン・ゾーン・ローリー・アンダーソンとの連名によるフリー・インプロヴィゼーション作品『The Stone: Issue Three』はその一例である。
ロックンロール、フォーク、ソウルなどのトラディショナルなポピュラー音楽を源流に持ちながら、自身の特徴的なヴォーカルやギターを時に無視してまでも、時流とも向き合いつつ多彩な音楽性を往還しながら我が道を歩み続けている。
時代ごとにパートナーを一新してはアルバムごとに特色を打ち出したり、いくつかの例外を除いて一貫して自身の詩作を重視するなど、多くの偏屈とも言えるこだわりを堅持し続ける彼の信奉者はいまだに多く、現在もなおファンや音楽評論家、他のミュージシャンから広く賞賛を浴びている。
生活の大半をニューヨークで過ごしており、作品にも好んで取り上げられる。
1996年に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはロックの殿堂入りを果たした。
またリードは、1995年のフランク・ザッパ、2008年のレナード・コーエンが同じく殿堂入りした際に、プレゼンターとして出向いた。
ザッパに於いては、マザーズ・オブ・インヴェンションと自らのヴェルヴェット・アンダーグラウンドを対比させて、ザッパの音楽的功績を称えるスピーチをしている。
私生活では長らくバイセクシュアルであるとされ、結婚を三度経験している。
その最も新しいパートナーであるヴァイオリニストのローリー・アンダーソンとは、長きにわたるパートナーシップの結果、2008年4月12日に正式に結婚したことが明らかとなった。
挙式はコロラド州にて、ごくプライベートな形で行われたという。
2013年10月27日、肝臓疾患の関連病のためニューヨーク州サウサンプトンで死去。71歳没。8ウイッキペディア)
では、音楽の時間です。
あえて代表曲の「ワイルドサイドを歩け」ではなく、追悼曲はこれではなむけしたいと思います。
合掌
Lou Reed - Perfect Day
まずは、日本人なら彼女の名前は聞いたことがなくても、この歌は聴いたことがありますよね。
岩谷時子さん死去
「恋のバカンス」「君といつまでも」など作詞
スポニチアネックス 10月28日(月)
「恋のバカンス」「君といつまでも」「恋の季節」など、など数多くのヒット曲を手掛けた作詞家の岩谷時子(いわたに・ときこ=本名トキ子)さんが25日午後、肺炎のため東京都内の病院で死去した。97歳。
1916年、京城(現ソウル市)生まれ。
神戸女学院大卒業後に宝塚歌劇団出版部に就職し、のちに男役トップスターとなる越路吹雪さんと出会った。
51年には宝塚を退団した越路さんとともに東宝に移り、以後約30年間、マネジャー兼作詞家として支えた。
作詞家としては、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、加山雄三「君といつまでも」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、郷ひろみ「男の子女の子」など数多くのヒット曲を手掛けた。
越路さんが歌った「愛の讃歌」「ろくでなし」「サン・トワ・マミー」などの訳詩でも知られる。
93年に勲四等瑞宝章、2009年に文化功労者に選ばれた。
では、彼女の主な作品並べてみます。
作詞(歌謡曲)
『ふりむかないで』(ザ・ピーナッツ、作曲は宮川泰)
『恋のバカンス』(ザ・ピーナッツ、作曲は宮川泰)
『ジューン・ブライド』(ザ・ピーナッツ、作曲は宮川泰)
『ウナ・セラ・ディ東京(東京たそがれ)』(ザ・ピーナッツ、和田弘とマヒナスターズ、西田佐知子、坂本スミ子、作曲は宮川泰)
『あの人に逢ったら』(西田佐知子、作曲は宮川泰)
『どうして』(西田佐知子、作曲は鈴木邦彦)
『鍵をかけないで』(西田佐知子、作曲は筒美京平)※詞は前村好子と共作
『夜明けのうた』(岸洋子、作曲はいずみたく)
『若い明日』(布施明、作曲はいずみたく)
『貴様と俺』(布施明、作曲はいずみたく)
『これが青春だ』(布施明、作曲はいずみたく)
『逢いたくて逢いたくて』(園まり、作曲は宮川泰)
『つれてって』(園まり、作曲は宮川泰)
『帰らぬ初恋』(園まり、作曲は宮川泰)
『お嫁さん』(梓みちよ、作曲は宮川泰)
『旅人よ』(加山雄三、井上陽水、作曲は弾厚作)
『君といつまでも』(加山雄三、作曲は弾厚作)
『お嫁においで』(加山雄三、作曲は弾厚作)
『夜空の星』(加山雄三、作曲は弾厚作)
『蒼い星くず』(加山雄三、作曲は弾厚作)
『恋の季節』(ピンキーとキラーズ、作曲はいずみたく)
『涙の季節』(ピンキーとキラーズ、作曲はいずみたく)
『青空にとび出せ!』(ピンキーとキラーズ、作曲はいずみたく)
『若いときこそ』(ピンキーとキラーズ、作曲はいずみたく)
『イカルスの星』(越路吹雪、作曲は内藤法美)
『一寸おたずねします』(越路吹雪、作曲は内藤法美)
『ほんきかしら』(島倉千代子、作曲は土田啓四郎)
『ベッドで煙草を吸わないで』(沢たまき、作曲・編曲はいずみたく)
『おまえに』(フランク永井、作曲は吉田正)
『いいじゃないの幸せならば』(佐良直美、作曲はいずみたく)
『サインはV』(麻里圭子&横田年昭とリオ・アルマ、作曲は三沢郷)
『美しきチャレンジャー』(新藤恵美、作曲は筒美京平)
『アテンションプリーズ』(ザ・バーズ、作曲は三沢郷)
『恋のゆくえ』(新藤恵美、南沙織、作曲は筒美京平)
『君をのせて』(沢田研二、作曲は宮川泰)
『若者は旅をつづける』(フォーリーブス、作曲はいずみたく)
『18才の彼』(岩下志麻、作曲はポール・モーリア)
『君と二人で』(沖雅也、作曲は鈴木邦彦)
『男の子女の子』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『小さな体験』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『愛への出発』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『裸のビーナス』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『モナリザの秘密』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『花とみつばち』(郷ひろみ、作曲は筒美京平)
『THE END -重いがけず出会ったら-』(フォーリーブス、作曲は青山孝)
『愛のオーロラ』(荻野目慶子、作曲は林哲司)
『さらば‥夏』(田原俊彦、作曲はポール・アンカ)
『つばさ』(本田美奈子、作曲は太田美知彦)
『潮どき』(五木ひろし、作曲は中村泰士)
『思い出ホテル』(石原裕次郎、作曲は鈴木邦彦)
『さようなら17才』(ジュディ・オング、作曲は市川昭介)
訳詞
『愛の讃歌』(越路吹雪)
『ラストダンスは私に』(越路吹雪)
『ろくでなし』(越路吹雪)
『サン・トワ・マミー』(越路吹雪)
『幸福を売る男』(越路吹雪)
『ケ・サラ』(越路吹雪)
『夢の中に君がいる』(越路吹雪)
『ある愛の詩』(越路吹雪)
『夜霧のしのび逢い』(越路吹雪)
『別離(わかれ)』(越路吹雪)
『メランコリー』(越路吹雪)
『私の心はヴァイオリン』(越路吹雪)
『セ・シ・ボン』(越路吹雪)
『明日は月の上で』(越路吹雪)
『家へ帰るのが怖い』(越路吹雪)
『枯葉』(越路吹雪)
『バラ色の人生』(越路吹雪)
『チャンスが欲しいの』(越路吹雪)
『雪が降る』(越路吹雪)
『ミロール』(越路吹雪)
『暗い艀』(岸洋子)
『夢見るシャンソン人形』(フランス・ギャル)※自身が日本語で歌った
『哀しみの終わるとき』(西郷輝彦)
『マイ・ウェイ』(尾崎紀世彦)
『哀しみの黒い瞳』(郷ひろみ、作詞・作曲:J.Iglesias,R.Arcusa)
『百万本のバラ』(小田陽子バージョン)
『王様と私』(ミュージカル)
『ウエストサイド物語』(ミュージカル)
『ジーザス・クライスト=スーパースター』(ミュージカル)
『スーツケースを抱いて』(ミュージカル『エビータ』)
『レ・ミゼラブル』(ミュージカル)
『ミス・サイゴン』(ミュージカル)
『キス・ミー・ケイト』(ミュージカル)
『ミー・アンド・マイガール』(ミュージカル)
『アメイジング・グレイス』(本田美奈子.)
『ミュージカルアンデルセン』(ミュージカル)
『ミュージカル赤毛のアン』(ミュージカル)
作詞(合唱曲、校歌、その他)
『ふしぎなメルモ』(『ふしぎなメルモ』OP、作曲は宇野誠一郎)
『幸せをはこぶメルモ』(『ふしぎなメルモ』ED、作曲は宇野誠一郎)
『幸わせを呼ぶリミットちゃん』(『ミラクル少女リミットちゃん』OP、作曲は菊池俊輔)
『センチなリミットちゃん』(『ミラクル少女リミットちゃん』ED、作曲は菊池俊輔)
『宝島』(『宝島』OP、作曲は羽田健太郎)
『草原の少女ローラ』(『草原の少女ローラ』OP、作曲は川口真)
『愛を+(プラス)ワン』(『ママは小学4年生』OP、作曲は樋口康雄)
『われら』(自由民主党党歌、作曲は山本直純)
『空がこんなに青いとは』(合唱曲、作曲は野田暉行)
『ともしびを高くかかげて』(合唱曲、作曲は冨田勲)
『ともだちがいる』(合唱曲、作曲は平尾昌晃)
『横浜市立小机小学校校歌』(作曲は加山雄三)
『茅ヶ崎市立東海岸小学校校歌』(作曲は加山雄三)
『川口市立新郷東小学校校歌』(作曲は中村八大)
『藤井寺市民音頭』(作曲は宮川泰)
『日本大学習志野高等学校校歌』(作曲は山本直純)
(ウイッキペディア)
阿久悠もすごいですが、岩谷さんもすごい人だったんですね。
合掌!
では海外からの訃報ですが、パンクロックのアイコンが亡くなりました。
ルー・リードさん死去
米ロックミュージシャン 71歳
朝日新聞デジタル 10月28日(月)
【ニューヨーク=中井大助】1960年代から70年代に「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のリーダーとして活躍し、後のロックやパンクに大きな影響を与えたミュージシャンのルー・リードさんが27日、米ニューヨーク州サウサンプトンで死去した。
71歳だった。AP通信によると、5月に受けた肝臓移植の関連の病気が原因という。
ニューヨーク出身。
60年代半ばからジョン・ケイルさんらと一緒にヴェルヴェット・アンダーグラウンドとして活動し、ギターとボーカルのほか、作詞作曲も担当した。
67年には、ポップ芸術家の故アンディ・ウォーホルさんの支援を受けてレコードデビュー。
商業的にはほとんど成功しなかったが、「ヘロイン」「毛皮のヴィーナス」など、前衛音楽にも影響を受けたメロディーと、麻薬やセックスを正面から取り上げた歌詞を組み合わせた曲が話題となり、多くの音楽家に影響を与えた。
70年にバンドを脱退した後もソロ活動を継続し、「トランスフォーマー」「ニューヨーク」などのアルバムを発表。
日本のファンも多く、来日公演は複数回行った。
今日は、彼のCD「ニューヨーク」を聞き倒し、追悼の意を表したいと思います。
ルー・リード(Lou Reed, 1942年3月2日 - 2013年10月27日)は、アメリカニューヨーク州ブルックリン出身のミュージシャン。
本名ルイス・アレン・リード (Lewis Allen Reed) 。
ユダヤ系の血を引いており、父の代にラビノヴィッツ (Rabinowitz) から改姓。
シラキューズ大学在学中にデルモア・シュワルツ(en:Delmore Schwarz)に師事して詩作を学ぶ。
その挑戦的ながらポップさを兼ね備えた音楽性と陰翳と知性に富むヴォーカル・ポエトリーリーディング、人間の暗部を深く鋭く見つめる独特の詩世界は後のパンク・ロック、オルタナティヴ・ロックに大きな影響を与えた。
ボブ・ディラン、ドアーズのジム・モリソン、パティ・スミスなどと並び、ロック界における芸術性、ひいては文学性のイノベーションと向上に多大な影響を与えた音楽家の一人である。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第62位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第52位、2011年の改訂版では第81位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第72位。
1965年に結成されたロックバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのヴォーカル・ギタリストとして名を馳せた。
同バンド時代から数多くの作詞・作曲を手がけており、主にジョン・ケイルとの個性の衝突によって、アヴァンギャルドな実験性と翳りを帯びたメロディ志向を融合させた独特の音楽性を創り上げた。
リードは1970年にバンドを離れ、以後ソロ活動を開始した(バンドは途中加入のマルチ・プレイヤーであるダグ・ユールの一人バンドとなり、1972年の『スクイーズ』を最後に解散)。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでの活動はわずか4年ほどであったが、バンド結成とリード在籍時の活動とは、ロックの歴史において、オルタナティヴ・ロックを産み出した「ビッグ・バン」と位置付けられている。
リードのソロ・キャリアは多彩なものである。
1972年にヴェルヴェッツ時代のレパートリーを清算するような『ロックの幻想』(スティーヴ・ハウやリック・ウェイクマンなどがセッション参加)でソロ・デビューを果たし、同年に盟友デヴィッド・ボウイ・ミック・ロンソンと事実上共作した『トランスフォーマー』、シングル「ワイルド・サイドを歩け」がグラム・ロックの文脈において支持されヒットした(後にアメリカでホンダのスクーターのCMソングに起用される)が、翌年には閉鎖的な都市における内省的かつ陰鬱な恋愛を描いたコンセプト・アルバム『ベルリン』を発表し、方向性の転換によって一元的なコマーシャリズムへの迎合を避けた。
しかし前作が批評家からの批判を受けたことと対照的に、リードの思惑から外れたオーヴァープロデュースの次作『死の舞踏』は自身最高のヒットを記録し、RCA最後の作品である『コニー・アイランド・ベイビー』までは人気を得ていた。
その後のアリスタ・レコード時代は、自身のポップ観とロック観の折衷を求めて、コンスタントな活動ペースを保ちつつ試行錯誤を繰り返した。
アレンジ面でもよりスタンダードなロックサウンドと非クラシカルなストリングスやホーンセクションなどとの融合を試みたり、ファンクやフリージャズ、AORなどの要素を導入したり、楽曲の長大化やアコースティック面の強調、バックバンドメンバーとの共作などがその結果として挙げられる。
RCA復帰第一作となった『ブルー・マスク』ではロバート・クインのギターを得てラフかつノイジーなロックにハードな感触を加えたサウンドに転換、ほぼ同一の布陣で更にオーソドックスなロックへ遡行した『レジェンダリー・ハーツ』を制作した。
その後『ニュー・センセーションズ』『ミストライアル』ではあえて時流に歩み寄った我流のニュー・ウェーヴを展開し、リスナーを戸惑わせた。
しかし『ニュー・センセーションズ』においてはL. シャンカールやブレッカー・ブラザーズといったビッグ・ネームと共演しており、後年のリードのアプローチの布石ともなっている。
1989年、自身のルーツと向き合う形となったアルバム『ニュー・ヨーク』で「復調」、翌年アンディ・ウォーホルの追悼としてかつての盟友ジョン・ケイルと『ソングス・フォー・ドレラ』を制作。
以後90年代前半の断続的なヴェルヴェット・アンダーグラウンド再結成をはさみ、『マジック・アンド・ロス』『セット・ザ・トワイライト・リーリング』『エクスタシー』を発表、かつてよりスローなペースながら健在を印象付けた。
2003年にはエドガー・アラン・ポー、殊に「大鴉」を題材にした『ザ・レイヴン』をリリース、自身の現代文学的な詩世界と古色蒼然たる古典文学の融和をドラマティックな音楽によって表現し新境地を開いている。
2011年にはフランク・ヴェーデキントの「ルル二部作」をモチーフとした『ルル』を発表。
スピーディかつ起伏に富んだ音楽性のメタリカを起用しながら、ヴェルヴェッツ時代を想起させる頽廃的な酩酊感と90年代のメタリカさながらのヘヴィなグルーヴが同居するサウンドとポエトリーリーディングという異色のアプローチをとった作品となった。
その時代時代、またはアルバムごとにアプローチを転換しながら、その強烈な個性によって作品をあくまでポピュラーなロックサウンドとして成立させる手腕を持つリードであるが、同時にアプローチ転換の結果としてファンやプレスを当惑させるような「問題作」を発表することがある。
二枚組・60分間強の間ギターの多重録音によるノイズのみが収録された『無限大の幻覚(原題:Metal Machine Music)』(70年代の人気絶頂期に発表されたことで大きな賛否を巻き起こした)、元々自身のメディテーション用にプライヴェートに制作された単調な電子音の反復によるアンビエント『Hudson River Wind Meditations』、Metal Machine Trio名義で本格的なアンビエントとノイズミュージックの双方に着手した『The Creation of the Universe』、ジョン・ゾーン・ローリー・アンダーソンとの連名によるフリー・インプロヴィゼーション作品『The Stone: Issue Three』はその一例である。
ロックンロール、フォーク、ソウルなどのトラディショナルなポピュラー音楽を源流に持ちながら、自身の特徴的なヴォーカルやギターを時に無視してまでも、時流とも向き合いつつ多彩な音楽性を往還しながら我が道を歩み続けている。
時代ごとにパートナーを一新してはアルバムごとに特色を打ち出したり、いくつかの例外を除いて一貫して自身の詩作を重視するなど、多くの偏屈とも言えるこだわりを堅持し続ける彼の信奉者はいまだに多く、現在もなおファンや音楽評論家、他のミュージシャンから広く賞賛を浴びている。
生活の大半をニューヨークで過ごしており、作品にも好んで取り上げられる。
1996年に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはロックの殿堂入りを果たした。
またリードは、1995年のフランク・ザッパ、2008年のレナード・コーエンが同じく殿堂入りした際に、プレゼンターとして出向いた。
ザッパに於いては、マザーズ・オブ・インヴェンションと自らのヴェルヴェット・アンダーグラウンドを対比させて、ザッパの音楽的功績を称えるスピーチをしている。
私生活では長らくバイセクシュアルであるとされ、結婚を三度経験している。
その最も新しいパートナーであるヴァイオリニストのローリー・アンダーソンとは、長きにわたるパートナーシップの結果、2008年4月12日に正式に結婚したことが明らかとなった。
挙式はコロラド州にて、ごくプライベートな形で行われたという。
2013年10月27日、肝臓疾患の関連病のためニューヨーク州サウサンプトンで死去。71歳没。8ウイッキペディア)
では、音楽の時間です。
あえて代表曲の「ワイルドサイドを歩け」ではなく、追悼曲はこれではなむけしたいと思います。
合掌
Lou Reed - Perfect Day