【生まれ変わることができる~あの瞬間のことを想い返し、今わかった一層深い気付き~】 | Dancing Across the Amazon

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南米大陸の左端から右端まで、
徒歩とカヌーとイカダだけで旅をし、
道中、毎日ダンスするブログです。






一か月前、アマゾン川を流れる僕のイカダがひっくり返って僕は 溺れかけた。





その瞬間には「死ぬかもしれない」という思いをし、




そして助かった僕は「やった!」と思った。






人が出来ない体験ができた、一瞬でも死に触れることが出来た!









「これで、僕の人生はもう一度【生まれ変わることができる】のだ、」と。



















(人は イカダがひっくり返ることで、【生まれ変わることができる】)

そして、僕は思った。 「そうだ、あのときに死んでいたかもしれない。そう思えば、 今からやって遅すぎる挑戦など無いということが分かるじゃないか。」 それで決意したつもりだった。「僕は変わる。」でも、、、 人間は弱いから、すぐにそんなことを忘れ、都合のいいように怠けてしまう自分がいた。 僕は思った。 『あぁ、「あのとき死んでいたかもしれない」ということが、本当には信じられないんだ。』 「もっともっと、死に近い体験をしなくちゃ、固い決意は得られないんだ。」 でもここにきて、それは違うということに気が付いた。 決意とは、それを口に出した瞬間にすべてが変わるような、そんな甘いものではない。 死に直面することが出来たから、その後の人生が豊かになるというものでもない。 だいたい、 人生、いつ終わりが来るか分からないということなど、 この事実を正面から見つめたならば、死ぬような体験をしなくたって分かることだ。 死ぬような体験をしなければ決意できない だなんて、 そんなのは ただの甘えだ。 当たり前の日常の中で、「いつ死ぬか分からない」という事実を直視して生きることこそ、 本物の決意ではないか。
(当たり前のことから目を背けないだけで、全てが変わる)

毎日、毎秒、怠けようとする自分を律し、 忘れた度にそのことを思い出し、一日の中で何度も決意し直すべきである。 今僕はこうして 偉そうに話しているけれども、 ここに書き記したからといって、そうできる人間になった訳ではない。 きっと、もしかしたらまたこの大切な気付きを忘れ、傲慢になってしまう時があるかもしれない。 常に自分を律して生きるだなんて 大変だろうし、疲れっちまうことだってあると思う。 子どものころ、「これからはちゃんと勉強します!」と言ってみたところで、 「でもどうせまた怠けちゃう」と、自分を信じられない時があった。否、つい数日前までも同じだった。 でも、それでいいじゃないか。それで、当然じゃないか。 だからこそ、どうしたら常に自分を律して生きていけるのか を模索しながら、生きていきたい。 そう、 人は イカダがひっくり返らなくても、【生まれ変わることができる】。 何度でも、何度でも、僕らは生まれ変われる。 その方が、僕ら人生は 確実に面白くなる。 20150824