前回の続き→ とてつもない大きな揺れのあと、津波を心配し 財布と通帳の入ったバッグだけをもって家族で高台にある小学校に避難したものの、不安の集合意識に飲み込まれそうになり

「ここにはいられない。」 そう感じ、自分の地元である福井へ行くことを決意。

 

そういえば、海岸からも見えるとことにある志賀原発はどうなっているんだろう。私は311の福島を思い浮かべた。

 

急いで車に戻りすぐに車を発車させた。高台にあるこの小学校にはぞくぞくを避難の車が集まってきていた。駐車場には、車を誘導している人の姿があった。

 

能登半島を北から南に海沿いを走る のと里山海道は全面通行止め。下道を行くことに。

もう外は暗く、半分電気の消えかかったコンビニや いつもと雰囲気の違った暗い道を進んだ。金沢に住む知り合いが心配して通行止めの情報などを伝えてくれたり、たくさんの友人から安否を心配して連絡がきていた。

 

途中休憩した金沢のコンビニでは たくさんの人が食糧や飲み物を買いに列ができており、トイレは断水のため使用不可。観光バスなども止まっていた。

 

金沢近郊の国道はやや混雑していたものの ゆっくり車は進み続け、いつもの約2倍の時間がかかったが無事に地元の福井まで行くことができた。夜の10時を過ぎていたが、実家の両親は温かいごはんを用意していてくれた。


↑高台の小学校からの景色

本当に大切なものは何か?

 

それは、

「自分のいのち、そして家族。」


それ以外なにもない。


本当に命が助かってよかった、家族がみな無事で一緒でよかった。それしか思わなかった。


家の中にあるもの 全て要らないものだった。

 

〜まとめ〜

幸いにも、津波は住んでいる町内に到達したものの自宅には大きな被害はなく 断水が復旧した何日後かに福井から戻ることができた。私はこの震災でいのちを落とすことなく 家族も亡くさず、住む家も無くならなかったので

こうやって震災を振り返り 学ばせて頂いたと言えている。まわりには 住む家がなくなり 集落もなくなり、身内がなくなり 仕事がなくなり。本当に大変な辛い経験をした方々、それがいまも継続の方もたくさんいる。

 

もしものとき オフグリットでエネルギーや食料を自給自足ができる土地があったらいいな、と考えたこともあるが このような大きな震災で原発に問題が起きたら そんな完璧な土地もあきらめて離れないといけない。


お金がたくさんあったら? 耐震の優れた家? 津波のこない高い場所?食品などの備蓄?

 

今回の地震で、自分たちには被災地から抜け出せる福井の実家があったということが本当にラッキーで有難かった。家族の大切さを改めて深く感じる体験となった。


震災後決めたこと。

子供だけを家に置いて、買い物などにいかない。

車は直ぐに発車できるような向きで止める。

家族同士の避難先の確認。

ある程度の備蓄の準備。

懐中電灯を寝室におく。


そして、毎日毎日の普通で何も無い日常が あたりまえではないということ。


日頃、身の回りにある大切にしていて必要だと思っている物は、ほとんど必要ないものだったという事。


今を 一生懸命に生きることを心に。


お読みいただき、ありがとうございました。