
能登半島地震 被災から学んだこと
本当に大切なものとは何か?
私は石川県羽咋市という能登半島の付け根あたり、小さな町の沿岸部に住んでいます。遠浅の海と砂のビーチがとても気に入り ここに3年前に家族で移住してきました。
2024年1月1日。天気は良かったと思う。午前中に 家族で初詣にいき、夜は近所の仲間達と新年会の予定でした。夕方に差し掛かり、出かける準備を始めようとしたところでした。
ドドーン!と まず何秒か大きな揺れがあり、何が起きたかと、心臓が縮こまり 身動きがとれなくなりました。
「え?」
そう思った瞬間 ものすごい横揺れが始まりました。
いつもと何か違う!!
あの嫌な携帯地震アラームも鳴り始めていたかと記憶しています。町内の不協和音のサイレンと男性の声のアナウンスも。
私と長女は1階、夫と次女は2階にいました。
私は大きな揺れの中でその場に立ちすくんでしまいましたが、ハッと我に返り
「外に出るよ!!!」と大声で叫び、
長女を呼びながら玄関に向かいましたが、長女は怖がってテーブルの下に潜り込んでしまい
私だけが先に外に飛び出してしまいました。
玄関の外から、何度も長女を呼び続けました。
「早く!外に出て!!」
本来であれば長女の手を引いて 守ってあげなければならなかったのですが、自分もパニックに陥っており 正しい判断ができませんでした。自分でも何てひどい母親だと今でも思っています。
しかし、それほどの恐怖で何をどうしていいのか分からなくなっていました。
数秒後 長女が自力で外に飛び出してきました。
二人でヘタりこみ 抱き合いながら 家がこんにゃくの様に ぐにゃぐにゃ揺れるのを見ていました。
腰が抜けて、裸足で、膝がコンクリートの地面に擦れて 痛かったのを覚えています。
轟音のような 聞いた事のない大きな音がしていたと思います。
夫と次女は? まだ2階にいる。石油ストーブも使っているし、家が潰れたら火事になる。
この木造の家が本当に今にもクシャっとなりそうなくらい揺れています。
私は2人を呼び続けました。
時間の感覚はもう分かりませんが 何とも長い間のように感じました。少し揺れが収まり 2階から二人が降りてきました。
よかった!!!😭
隣の家の人も外に飛び出してきていました。
ほっとしたのも 束の間、
ここは海岸から50メートル。
「津波が来る!!!」

次回に続きます。