私の演劇史上最大の事件を、 | Takenaka Kyoko web

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竹中香子のインプットとアウトプットのくり返しをかく、ブログ。

目撃しました。

いまいち冴えない、パリの毎年夏に行われているフェスティバルの参加団体。
http://www.quartierdete.com/programme/spectacles/?id=844

Les 26 000 Couverts
http://espaceclient.fr/26000/index.htm

人間って本当に驚いたときとか、感動したときとか、興奮したときとか、
全く外見には、何も現れないんだな、ということを実感させられました。

もう完全に、『無』

子どもの頃に、誰もが読んだであろうミヒャエル・エンデの物語『モモ』のなかに、
「虚無」ということばが、なんども出てくるけど、
究極の無になってしまって、
あ、虚無ってこんな感じかしら、とか、一瞬思いました。

『Beaucoup de bruit pour rien de Shakespeare』
ーシェイクピアのから騒ぎー

それにしても、まだ、ツアー中なので、
内容は書きません。
ついでに、ツアー情報。
http://espaceclient.fr/26000/image/fichierUpload/calendrier.pdf

というか、書いたら、不毛じゃなくなってしまうから。
演劇の不毛さって、本当に魅力的だと思う。

何がすごかったかだけを、説明すると、
全く気づかないうちに、公演がはじまっていて、
全く気づかないうちに、舞台上にいて、
全く気づかないうちに、俳優の一部になっていて、
全く気づかないうちに、台詞をしゃべっていて、
全く気づかないうちに、2時間経っていて、

突然、カーテンコールがはじまって、
私は、うまれてはじめて、ブラボーって10回くらい叫んでいた。


私が過ごした2時間は、確実に『現実』だったはずなんだけど、
全く気づかなかったけど、やっぱりそれは上演時間2時間の『お芝居』だったようで、
つまり『虚構』だった。
ということは、私の『現実』はどこに行ってしまったのか。
あのとき、私は、いったい何を根拠に、
私の時間が、『現実』だと確信していたのだろうか。
だって、劇場に『お芝居』を観に来ていたのに。

あのとき、自分が考えていたこととか、感じていたこととか、
全部、明確に思いだせる。

でも、いま考えると、やっぱりただの『作り話』みたい。
まるで、『台本』。

たぶん、あのとき、
私は、観客の私じゃなくて、
多分、役者だった。
あたえられたタスクをこなしていた。


ぐるぐるぐるぐるぐる。


こういうことがあるから、
明日もまた、劇場に行ってしまうよね…