一昨日から復活祭までのラストスパートの聖週間が始まりました
意気揚々と記事を書くぞーと意気込んでいたんですが、心配事(Aさんの事)が突如浮上してしまいブログ所では無くなってしまいました
(IZAが勝手に心配しているだけなのでAさんには何の責任もありません)ブログを通してしか知らないAさんの事を、どうしてこんなに心配してしまうのか不思議なくらいです
きっと何か意味があるんだと思います
だから、IZAはAさんが無事である事を祈り続けたいと思います

今は特別な人にしか心は動かされないIZAですが
子供の頃はオープンマインドの博愛精神をもっていたので大変でした

可哀相な人や可哀相な動物に出会ってしまっては毎日のように泣いていました

心が痛んで見過ごす事が出来ずに何とかして助けようとしました
でも、IZAは無力で大した事は出来なくて、いつも助けられなくてごめんねと泣くばかりでした

そして、他の人達、特に大人や男性は何故平気なんだろう?助ける力があるのに何故助けないんだろう?と、冷たい人や世の中を憎む事もありました
誰にも理解されない苦しみにもがいていた子供時代でした
大人になるにしたがい子供の頃と比べると愛や優しさをコントロール出来るようになり感受性も和らいで随分楽になってきたんですが
しかし、他者の苦難の事で苦しまなくなった分、今度は自分自身や身内に苦難が臨むようになりました
苦しみたくないあまりに自分自身の愛と優しさを封じ感受性を刺激されないように他者との距離を置くようになったIZAでしたが
しかし、それは間違っていました
愛故の苦しみは救いだったのです
聖書への理解が深まった今
IZAが子供の頃他の人や動物の為に心を痛め苦しんでいたのは自分自身の為であり、神さまが与えて下さった最大の恵みであったと確信しています
それに気付いた今 もう一度 愛と優しさを取り戻したい
本当の自分として復活したい
自分自身にもう一度生まれ変わりたい
その為にイエスさまと伴に苦しみの洗礼を受け苦しみの杯を飲みほします
聖週間はイエスさまが栄光の受難を受けられた事を思い起こし追体験する時です
考えれば辛くなりますが しかしそれを受け止めましょう
イエスさまの為に泣き苦しみましょう
愛故にイエスさまの受難は私達の受難になります
愛故に貴方は私であり 私は貴方なのです
愛こそが救いの道 命へ至る道です
もう愛故の苦しみを否定しません
喜びと共に苦しみも受け入れます
愛故に起こる全てに感謝します
神さまの完全なクリエイションを信じて
