僕は、
小さいときから、
男の子とも女の子とも
先生とも地域の大人とも、
気づいたらみーんなと仲良くなっちゃうタイプでした。
年齢とか性別とか立場とか、そういうしがらみが嫌でした。
みーんなと仲良くしたい^^
気付いたら学級委員長とか生徒会とか推薦をいただき、
気付いたら前で何か話していて、
先生からも頼っていただき、クラスも盛り上げ、
大人と子どもの中立的な存在。
ありがたいことに、そんな僕を褒めてくれる方々がたくさんいました。
「いつも笑ってて優しいね」
「全然怒らないね」
「いい子だね」
「やっぱり頼りになるなぁ」
「何でもできてえらいなぁ」
「誰とでも仲良くできてすごいなぁ」
そう言われ続けて嬉しかった!
周りの人に褒められて認められて評価してもらえて期待してもらって。
ただ、「いい子でいたいな!」と周りの目を気にする一方で、
「そうじゃない自分はダメなのかな?」
とも思うようになりました。
『でも僕が我慢してみんなが幸せならいいや!
常に、いい子でいよう。』
と思って、感情に蓋をします。
ちょうど世間的には反抗期を迎える頃でも、
僕は大好きな両親に迷惑と心配をかけたくなかった。
“いつも仲良し“が僕の理想でした。
根本的に楽観主義な自分だったけど、
ときにうまれるネガティブな気持ちを出すことができなかったのです。
強いて言うなら、唯一、
行き場がない気持ちは、自分の部屋で自由に踊りまくって表現する独自の発散方法がありましたけど(笑)
感情に蓋をしたまま大学生になりましたが、
人生のパートナーとの出逢いがきっかけで大きく変わり始めます。
人と近い距離で関わっていくと、自分のいいところ以外も見られそうで、知られそうで、
どこか“こわさ“を抱えながら過ごしていました。
『常に』いい子の自分でいましたが、
ある日、何気ないひとことで彼女をひどく傷つけてしまいます。
彼女の見せた怒りに、
自分の全てが嫌われたような感覚になりました。
『人を傷つける自分に価値なんかない!』
僕は、自分にNOを出し続けました。
いい子じゃない自分が許せなかった。受け入れられなかった。
涙が止まらない。息苦しい。
言葉にできない気持ちを、自分にあたるしかできませんでした。
自分をたたいたりひっぱったり。
一度や二度じゃなく、何回も何十回も。
でも、、、
彼女は、そんな僕を常に優しく受け入れてくれました。
気持ちが落ち着いてきて、ネガティブな気持ちもごめんねの気持ちもそのまま伝えると、
「ほんまの気持ちを伝えてくれてありがとう。あなたの全部が大好きだよ」
と・・。
「え?こんな自分も、いいの?」
「無理してるんじゃないかなって思ってた。そのままの方が、人間らしくて素敵だよ!」
いい子じゃないと、
周りの期待に応えないと、
嫌われるんじゃないかと思ってた。
でも、たとえ僕がいい子じゃなくても、
周りの期待に応えられなくても、
僕をまるごと愛してくれる。
そんな無条件の愛を感じた。
家族も周りの人達も、そうやってあたたかく関わってくれていたなぁ。
生きづらいカチカチの価値観を作ったのは自分自身だった。
そう思うと、
どんな自分にもOKをだせるようになりました。
弱かったんですよね。
人とぶつかりたくなかったし、
自分の弱さも見られたくなかったし、
そもそも自分が自分と向き合うことから逃げてた。
そのままの自分をまるごと受け入れることで、
何とまぁ生きやすくなって、相手のこともまるごと受け入れられるようになって、
人生がカラフルになりました!!
自分を信じて、なりたい自分を追い求める原動力にもなっています!
だからこそ伝えたい。
自分のことを責めてしまったり、愛せなかったり、自分の心を傷つけてしまう人へ。
自分の弱さやネガティブもまるごと愛して、
世界にたった一人だけの自分を、
やさしく抱きしめてあげてほしい。
そのままのあなたが素敵だから。
「せかいにたった一つのいのち」
長文だったのにお読みくださいましてありがとうございました。
未熟で不完全で抜けが多くおっちょこちょいな僕ですが、
今後もみなさんと繋がっていたいです。
この世界には愛しかないと信じています。
だからこそ、一人ひとりの心の中に、愛のお花を咲かせていけるように、
ちょっとパワーが足りなくなったお花だって光合成できるように笑顔の太陽に僕はなりたい。
もっと活動を広げていきます!!!
邁進します!!!
やさしく自分を抱きしめて♡
ぎゅぎゅっとダンスの
三原勇気(ゆうちゃん)