『映画監督と時代』第6回のご案内


『映画監督と時代』第6回

2019年1月20日(日)

〜日本に新しい時代はくるのか〜

〇 映画『OKINAWA 1965』(都鳥伸也監督  1時間35分)上映
(本土復帰にかけた沖縄の人々の思いに迫るドキュメンタリー)

〇 シンポジウム
恩地日出夫(映画監督)、都鳥伸也(同)、坂手洋二(劇作家・演出家)、金子絹和子(日藝映画祭2018『朝鮮半島と私たち』主催)、嬉野京子(報道写真家)、野中章弘(ジャーナリスト・早稲田大学教授)/司会:仲倉重郎(映画監督)

〇日時:2019年1月20日(日)13:00〜17:30
12:30  開場
13:00  主催者挨拶  松原信吾(映画監督)、野中章弘
13:10  映画『OKINAWA 1965』上映
14:45  休憩
15:00  シンポジウム『日本に新しい時代はくるのか』
17:00  客席との質疑応答
17:30  終了
〇場所:早稲田大学大隈小講堂
〇料金:無料(全席自由席)

映画監督は時代とどのように向きあってきたのか? そして現在、時代とどのようにかかわり、映画をつくるべきなのか? 「平成」の終わりにあたって、何をなすべきか、話しあってみませんか?

〇今回イベント実行委員:飯島敏弘、池島ゆたか、遠藤一平、小中和哉、小林 要、小平 裕、佐藤重直、杉浦弘子、旦 雄二、仲倉重郎、長谷部利朗、蜂須賀健太郎、平山秀幸、深作健太、藤山顕一郎、松井良彦、松原信吾、宮崎信恵、山本洋子、ジャン・ユンカーマン/協力:宇井孝司、光武蔵人、山田和也

〇主催:自由と生命をまもる映画監督の会(『日本映画監督協会有志の会』を核に、協会内外のすべての映画監督に呼びかける、ひらかれた、志ある者たちの集い)、早稲田大学ジャーナリズム研究所

映画監督・旦(だん)雄二のブログ

東京国際映画祭をふりかえって

テーマ:

さきごろ東京国際映画祭が開催されました。日本の、とくに東京の映画状況と関心事はすでに東京フィルメックスに移っていますが(気になる作品が何本かありながら、まだ足を運べずにおります)、個人的に、このあたりで東京国際映画祭のまとめをしておきたいと考えます。


わたしは同映画祭期間全10日間のすべてに通いつめ、初日の10月25日は唯一お目当ての『彼ら』(イタリア映画 パオロ・ソレンティーノ監督 ワールド・フォーカス部門)がすでに満席で入れず涙を呑み、一本も観ることができませんでしたので、残りの実質9日間で、トータル33本を鑑賞しました。そのうち、わたしの印象につよく残った映画は、つぎの10本でした。


(コンペティション部門)

なし(笑)


(ワールド・フォーカス部門)

『ある誠実な男』(フランス映画 ルイ・ガレル監督

これは個人的に、今年の同映画祭での最高最大の収穫でした。映画『グッバイ・ゴダール!』で文字どおり体を張った(全裸のジャン=リュック・ゴダール!)演技でゴダールになりきってみせたルイ・ガレルが、ここでは、主演を兼ねて監督をつとめています。個人の実存についての考察と、個対個の関係性の追究だけで、すべての話を押し切っていくという、これぞフランス映画!の傑作です。

予告篇



『カーマイン・ストリート・ギター』(カナダ映画 ロン・マン監督 ドキュメンタリー

ギター職人のおじさんが我流ですべてを手がける、街の片隅の小さな独立店舗ながら全米の著名ミュージシャンからの熱い支持を受けつづける、レジェンド級のギター製作工房。エレキギター少年が今日の職人おじさんに至るまでの長い道のり、ギターのための板はすべて解体された歴史的木造建築物の廃材利用であること、経理を切り盛りするのはおじさん店主の老いた肝っ玉母さん、ひとり弟子入りをゆるされたのはロックンロールでパンクな美少女──。音楽愛に満ち、至福感にあふれた、ゴキゲンな一篇です。

予告篇



『家族のレシピ』(日本・シンガポール・フランス合作映画 エリック・クー監督

日本の俳優が中心になり(斎藤 工、伊原剛志、別所哲也、松田聖子、いずれも好演)、日本をおもな舞台にして繰り広げられる、日本映画より日本映画的な、端正で美しい作品です。ただ、次第に “いい人ばかりが登場する、きれいなだけの、いいお話で、悪人(敵対者。いわゆる「仇役」)が出てこない、なんだか生温いお話だな” と思えてきて、だんだん気持ちが引いていくのですが、しかし、ちゃんといいところで、しっかり「仇役」が登場します。日本、そして日本軍という、究極の悪役が──。エリック・クー監督は親日家ですが、母国シンガポールがかつて日本の侵略によって受けた傷をけっして忘れてはいません。それでもなお日本の文化を愛し、日本人との対話を試みようとされています。後半、そのご姿勢が色濃く反映された展開となり、ただ甘いだけのいいお話だと思っていた物語が、これを観るすべての日本人にとって重い厳粛なものとなっていき、深く心に突き刺さります。

予告篇



『彼が愛したケーキ職人』(イスラエル・ドイツ合作映画 オフィル・ラウル・グレイツァ監督)

夫を交通事故でなくしたイスラエル人女性と、その夫のドイツ出張中の不倫相手だったドイツ人青年ケーキ職人とのあいだの、出会いと、交流と、愛の物語。イスラエルという「特殊な」国家、ユダヤ人社会、ユダヤ教、厳しい戒律、イスラエルとドイツのあいだの歴史的経緯・因縁、そしてまたゲイ、バイセクシュアル、同性愛、異性愛、不倫といった「大小」さまざまな「問題」が、ないまぜになって語られていき、やがてひとつの大きなタペストリーに織り上げられて、深い感動をもたらします。エンドマーク後の救いを予感させる素晴らしいラストカットには脱帽させられます。

予告篇



『まったく同じ3人の他人』(アメリカ映画 ティム・ウォードル監督 ドキュメンタリー

生まれてすぐに全員養子に出されて別れ別れになり、成人して奇跡的に再会して交流することになった、実在の三つ子男性たちに迫るドキュメンタリーなのですが、後半、この「数奇な運命」にはじつは裏があることが示されて、心底驚かされます。こんなことがあっていいのかと。話のあまりの「おもしろさ」に、ハリウッドが劇映画化に向けて動き出したとのことですが、それもうなづけます。

予告篇



(アジアの未来 部門)

『母との距離』(フィリピン映画 ペルシ・インタラン監督

ある事情により、夫と二人の娘を捨てて家を出た女性。5年の歳月が過ぎ、ようやく連れ戻した彼女を、やさしく受け容れようとする夫と、まだ幼くあどけない次女の二人。しかし長女は、母との距離を、どうしても縮めることができません。後半、冒頭の「ある事情」が何であるのかが明らかになり、その事情が長女にも重なりあう展開となることで、この「家族についてのドラマ」は、より深く、重い、胸に迫るものになっていきます。──ひとりのトランスジェンダーの生涯をケレン味たっぷりに描いて東京国際映画祭2016を沸かせた『ダイ・ビューティフル』のプロデューサー、ペルシ・インタランが、ここでは打って変わって、静謐で端正な家庭劇を、監督の立場で見事に造型してみせてくれています。もっともっと評価されていい名作でしょう。

予告篇



(クロスカットアジア部門)

『カンボジアの失われたロックンロール』(アメリカ・カンボジア合作映画 ジョン・ピロジー監督 ドキュメンタリー

表題にあるロックだけではなく、それ以前の、そのカンボジア・ロックの礎となった、第二次世界大戦後のカンボジア歌謡曲から、話はまず説き起こされます。このカンボジアの戦後流行歌の、誕生から発展のプロセスや成り立ち、曲調に至るまでが、日本のそれらと驚くほど似ていて、まずはその点に大いに興味が惹かれます。とくに曲調、つまりメロディーに。日本の戦後歌謡曲は韓国のそれと似ている、あるいは、それをルーツにしている、とは、よくいわれることですが、カンボジアのそれも、その哀愁にみちたメロディーが、日本のものかと思うほど、とても似通っていて、“あゝ、やはりおなじアジアなんだ”という、なにか、心安らぐような懐かしさと、ふかい愛着を抱かされます。そして、日本でいえば吉田正や古賀政男、田端義夫にあたるような、戦後の国民を癒す楽曲を数多く提供して、生きる希望へと導いた偉大なソングライターたちの存在、西洋音楽にはじまりアフリカやキューバなど第三世界の音楽までをも貪欲に吸収して発展していく様子、やがてベトナム戦争の時期に至り、グループサウンズ(!)のロックンロールへと推移していくさまなど、いずれも日本とよく似ていて、うれしくなってしまいます。シアヌーク殿下によるそうした民衆音楽の手厚い庇護や、その後のポルポト政権による国民文化の弾圧と抹殺についても、とてもよく描かれています。そのように壊滅させられたカンボジアの大衆音楽が、ポルポトの圧政崩壊後にどのようにして復興を遂げることができたのか、その具体がきっちりと語られていれば、この映画は傑作になったことでしょう。

予告篇



『ブラザー・オブ・ザ・イヤー』(タイ映画 ウィッタヤー・トーンユーヨン監督

シスター・コンプレックスの兄とブラザー・コンプレックスの妹、5つ違いの超絶美男美女兄妹が繰り広げる、きわめてセンスのいいドタバタコメディーです。登場人物たちのちょっとした芝居にいちいち音楽が合いの手を入れるといったノリのよさで、「底の浅い」、昔でいえば ちゃらちゃらした「トレンディーな」「おバカ映画」を装いながら、じつは、「きょうだい」という、人にとっての親子につぐ最初の人間関係にして、うれしくも悩ましい永遠の難問について、徹底的な考察を繰り広げています。

予告篇



(日本映画スプラッシュ部門)

『月極オトコトモダチ』(日本映画 穐山茉由監督

男と女のあいだで友情は成立するのかという人類永遠のテーマについて、きわめて興味深い考察を展開してくれています。主役の三人を演じる徳永えり、橋本 淳、芦那すみれの、いずれもが素晴らしい存在感です。結末がそれまでのどきどきするような展開のわりにはいささか常識的なところが気になりますが、この着地もまた あり かと思いました。

予告篇



『僕のいない学校』(日本映画 日原進太郎監督

映画専門学校を舞台に、なんと、「専門学校は、はたして教育なのか、ビジネスなのか」という、いわば禁断のテーマに真正面から挑んだ問題作です。しかもおどろいたことに、現職の専門学校教員が監督をつとめ、在校生が俳優となり、その学校も全面的に協力して、構内をロケーションの舞台として提供しているのです。──自分もそんな映画専門学校の一つに講師として長年関わっていますので、専門学校の職員の先生がたのご苦労やご健闘ぶりはふだんから拝見し、つねづね頭が下がる思いでいるのですが、学校というものがここまで大変だったとはと、正直驚かされます。専門教育現場に真正面から向き合い自己検証した、真剣で誠実な、丁寧につくられた秀作です。堅牢な脚本、盤石の演出、撮影・照明・録音などのたしかな技術も称賛に値します。

同映画祭での舞台挨拶



以上です。これらの作品に出会えたことに心から感謝します。すばらしい、ゆたかな映画の数々でした。いずれも日本で正式に劇場公開されることを期待します。


そして、同映画祭で鑑賞した残りの23本は、以下のようなものでした。


(コンペティション部門)

『アマンダ』(フランス映画 ミカエル・アース監督)東京グランプリ、最優秀脚本賞

『翳りゆく父』(ブラジル映画 ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督

『氷の季節』(デンマーク映画 マイケル・ノアー監督)審査員特別賞、最優秀男優賞

『ザ・リバー』(カザフスタン・ポーランド・ノルウェー合作映画 エミール・バイガジン監督)

『三人の夫』(香港映画 フルーツ・チャン監督)

『テルアビブ・オン・ファイア』(ルクセンブルク・フランス・イスラエル・ベルギー合作映画 サメフ・ゾアビ監督)

『ブラ物語』(ドイツ・アゼルバイジャン合作映画 ファイト・ヘルマー監督)


(ワールド・フォーカス部門)

『靴ひも』(イスラエル映画 ヤコブ・ゴールドワッサー監督)

『十年 Ten Years Thailand』(タイ・香港・日本合作映画 アーティット・アッサラット、ウィシット・サーサナティヤン、チュラヤーンノン・シリポン、アピチャッポン・ウィーラセタクン各監督によるオムニバス)

『世界の優しき無関心』(カザフスタン・フランス合作映画 アディルハン・イェルジャノフ監督)

『世界はリズムで満ちている』(インド映画 ラージーヴ・メーナン監督)

『それぞれの道のり』(フィリピン映画 ブリランテ・メンドーサ、ラヴ・ディアス、キドラット・タヒミック各監督によるオムニバス

『トゥー・ダスト』(アメリカ映画 ショーン・スナイダー監督)

『ノン・フィクション』(フランス映画 オリヴィエ・アサイヤス監督

『ワーキング・ウーマン』(イスラエル映画 ミハル・アヴィアド監督)


(アジアの未来 部門)

『はじめての別れ』(中国映画 リナ・ワン監督)アジアの未来 作品賞


(クロスカットアジア部門)

『音楽とともに生きて』(カンボジア映画 ヴィサル・ソック、ケイリー・ソー共同監督

『リスペクト』(フィリピン映画 トレブ・モンテラスⅡ 監督)


(アジア・オムニバス映画製作シリーズ)

『アジア三面鏡2018 Journey』(日本映画 デグナー、松永大司、エドウィン各監督によるオムニバス)


(日本映画スプラッシュ部門)

『海抜』(日本映画 高橋賢成監督)

『メランコリック』(日本映画 田中征爾監督)日本映画スプラッシュ監督賞


(ユース部門)

『いい意味で小悪魔』(カナダ映画 ソフィー・ロレイン監督)


(特別招待作品部門)

『熱狂宣言』(日本映画 奥山和由監督)


以上です。今年はたっぷり観ることができました。東京国際映画祭、ありがとう、お疲れさまでした!


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東京国際映画祭開幕

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東京国際映画祭が開幕しましたね。初日のきょう、さきほど、まずはワールド・フォーカス部門の『彼ら』(イタリア映画    パオロ・ソレンティーノ監督    毀誉褒貶の激しい、あのベルルスコーニ元首相を描いた大問題作)の第一回上映を観ようと、上映開始5分前にチケットカウンターに駆けつけたのですが、すでに完売とのこと。そりゃまあそうですよね。


しかたがないので、ゲスト・ラウンジで休ませてもらいながら、ちょうどいま進行中のオープニング・セレモニーのライブ中継を見ています。



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映画『愛のテクニック』のこと

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若松プロダクション再始動第一作『止められるか、俺たちを』の完成を記念して先日開催された東京・テアトル新宿での若松プロ特集オールナイト『ゆけゆけ止め俺ナイト!』には、残念ながらうかがうことはできなかったが、その際、数十年ぶりに復刻上映されたという「幻の」映画『愛のテクニック』(若松孝二監督、足立正生脚本)は、高校を卒業した1970年のことだっただろうか、わたしは封切で鑑賞している。大阪の、いまはなき、大劇(だいげき。大阪劇場)という名の映画館で。

当時、大劇は若松プロ映画のための常設館のようになっていた。東の日劇、西の大劇といわれたほどの、だだっ広いR状になった2階席まである、それこそ大劇場だったので、その巨大スクリーンに映し出された絢爛たる愛のマニュアル図鑑は、まさに圧巻だった。

正式タイトル『カーマ・スートラより  性教育書  愛のテクニック』のその名のとおり、タイツ姿の男女が、まるでペアの組体操のポーズ見本写真集のように、ただひたすら、さまざまな性交体位をグラフィカルに静止画的に表現してみせていくだけの(!)、劇映画ではない、いわば「ノウハウ・マニュアルもの」なのだが、これには続篇(パート2)があって、それも、のちに、おなじその劇場で拝見している。

若松プロはこの2本で大儲けし、ふだん難解な政治的映画によって蓄積した赤字を一挙に解消して、パレスチナ行きとドキュメンタリー映画『赤軍 - PFLP・世界戦争宣言』製作のための資金を、計画どおり(!)手にしたのだという。

両作とも一緒に鑑賞した、わたしとおなじように若松映画フリークの親友と、つぎのような意見で一致したことが、いま懐かしく思い出される。

──これこそ真の性教育じゃないか!   学校巡回映画にすべきだ!

(ちなみにその親友は、そのあと、「自分もパレスチナに行く」との言葉を残して、わたしたちのまえから忽然と姿を消し、以来、いまに至るも、その消息は不明となっている)


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ドラマ『ねらわれた少女』

〇フィルモグラフィーを更新しました

長篇大河連続ドラマ
『ねらわれた少女』

出演:レモンエンジェル
  (絵本美希、島えりか、桜井智)

脚本・監督:旦   雄二

あぶないビデオTV   1988年
フジテレビ   創映新社
プルミエ・インターナショナル

こちらから↓ご覧いただけます。ニコニコ動画にアップされていた、突っ込みコメントつきバージョンではありますが(笑)

閲覧サイト
(5分48秒)


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映画『真っ赤な星』を鑑賞して

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日本映画『真っ赤な星』(脚本・監督:井樫 彩)を試写で観た。


いずれも生きづらさを抱えて生きる14才の少女と27才の元看護婦の、交流と、愛と、しかしどうしようもなく越えがたい溝を描く物語である。


ストーリー展開も画づくりも役者の芝居や所作もすべてが美しく静謐なのに、おそろしいほどの緊張感に充ち満ちている。


そして、弱冠22歳の井樫彩監督の、人間を見つめる、その、なんと老成した深いまなざしであることか。


観終えて井樫さんにただひとこと、「まいりました」とだけお伝えした。


12月1日の本公開で再見するのが、いまからたのしみである。


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映画『M/村西とおる狂熱の日々』を鑑賞して

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ドキュメンタリー映画『M/村西とおる狂熱の日々』(片嶋一貴監督)のプレミア上映会に、主役の村西とおるさんからお招きいただき、鑑賞した。昭和のAV王といわれた村西とおる監督を、1990年代末の彼の撮影現場での厖大な記録映像と、いま現在の本人や、彼を知る各界著名人(本橋信宏、玉袋筋太郎、西原理恵子、高須克弥、松原隆一郎、宮台真司、片岡鶴太郎)へのインタビューによって、あざやかにあぶりだし、徹底的に、裸の帝王・村西とおるを裸にする。

べらぼうに面白い。ぐいぐい引っ張っていかれる。あっという間の109分だった。いわば、ジェットコースター・ドキュメンタリーである。自分が望む映像をそのとおり撮ることに取り憑かれた男と、次々に巻き起こってはそれを阻むアクシデントやトラブルの数々。男はその一つひとつに全身で怒り、対決し、乗り越え、またふたたび鼻歌を歌いながら、確信犯的に撮影を推し進めていく。「日本のラリー・フリントもしくは和製エド・ウッド、驚愕の撮影内幕!」の趣なのである。

村西とおるという、戦後東北の貧困が生み出した、もう一人の若松孝二の、しかし若松孝二にはなれなかった、若松孝二とは対極の映像人生を生きた単純で複雑な存在を立体的に浮き彫りにしてみせた、片嶋一貴監督(映画『いぬむこいり』『アジアの純真』『たとえば檸檬』)の見事な演出と編集の勝利というわけだが、これには、22年前の過酷なロケ現場で、逃げ出そうとする女優たちや役を降ろされた男優に突撃インタビューを敢行しつづけた、メイキング・ディレクターとして参加の清水大敬監督による貢献が、きわめて大きいだろう。

彼が渾身の力を込めて演出、撮影、インタビューした貴重で厖大な映像著作を、片嶋さんが監督を引き継いで一本の映画にまとめるにあたって、両者のあいだでどのような話し合いが行なわれたのだろう。はなはだ興味深いところである。上映直前にばったりお会いした大敬さんにそのあたりをお訊ねしようとしたときには、彼は早々に会場をあとにしていて、その機会を逸し、残念だったのだが。

それにつけても、人物ドキュメンタリーのあらたな傑作をいちはやく鑑賞できて、ほんとうによかった。個人的には、奥出哲雄(上映作品に主要人物として登場)、代々木忠(上映後の舞台にゲスト登壇)という、わが映画人生における二人の恩人とのまさかの再会にも、じつに感慨深いものがあった。

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若松孝二監督のこと (10月17日 記事)

若松孝二監督のこと

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若松孝二監督の映画をはじめて観たのは、故郷・大阪のキリスト教系男子高校時代、同じ敷地のなかにあった、系列姉妹校にあたる大学の構内でだった。


その大学は、のちに京都大学とともに赤軍派発祥の地となるほど先鋭化をきわめていて、学生によるバリケード封鎖と自主管理が、ながく続いていた。そしてその構内では、いわゆる「空気入れ」、つまり「景気づけ」のために、殴り込みでクライマックスを迎える構造のいわゆる任侠映画や、小川プロなどのいわば「戦意高揚」ドキュメンタリー映画が、たえず上映されていた。


私は高校一年のときから自治会執行委員長(生徒会長)をつとめていたので、そのバリケードのなかには顔パスで入れ、それらさまざまな映画を日々、浴びるように観ることができた。


そんなある日、のちに大島渚さんによる命名だと知ることになる強烈で絶妙なタイトルの『処女ゲバゲバ』という映画に出会ったのだった。一面の荒野で繰り広げられる、権力と反抗、裏切りと報復、純愛と非情をめぐっての、壮絶かつシュールな物語だ。中学時代に007や東宝娯楽映画にハマって映画監督になることを目指しはじめた自分だったが、それは、それまで観てきた映画とは決定的に違う、まったく新しい、衝撃的なものだった。


こんな映画をつくる人がいるのだ。映画はかぎりなく自由なのだ。なにをやってもいいのだ。こういう映画をつくりたい!  ── そう思わせてもらえた。若松孝二というその監督の名が、しっかりと頭に刻み込まれた。


以来、スポーツ新聞の映画欄をチェックしては京阪神の場末の小屋を遠征してまわる、「若松孝二追っかけ」の日々がはじまった。若松さんの新旧の映画を観てまわったのだった。


大学進学で東京に移ってからは、おもに、アートシアター新宿文化劇場と、その地下にあった、『蠍座』という名の不思議な、サロンのようなミニシアターで、若松さんと若松プロの映画を観まくることとなった。


長じて映画の世界に飛び込み、のちにCMに転向してからその映画時代の助監督経験をもとに書いたシナリオが城戸賞を受賞し、そのなかに登場させた暴力監督の役名を「若林」としていたため、世間ではこれはきっと若松さんのことなのだろうと喧伝されるようになった。実際には、これは、CMの世界ではよく知られている巨匠監督(ディレクター)Sさんの破天荒な生きざまと壮絶な現場をおもなモデルにしていたのだが、若松さんもやはりこれは自分のことだと思って気にしておられたらしく(「俺はそんな、下駄の歯で助監督の額を割るようなことだけはしない!」と怒っておられたと、のちに周囲から聞かされた)、それを知った毎日新聞映画記者・松島利行さんの粋な計らいで、助監督時代ですらかなわなかった、「若松孝二」に直接お目にかかるという、まさかの機会を得ることができた。


新宿の酒場。若松さんはすでに相当飲んでおられるご様子だった。「若松さん、こちらが、あの『助監督』というシナリオを書いた人ですよ」。松島さんのその言葉を受けて、若松さんは、酔いにすわった目で私を睨みつけるようにしながら、ぬうっと立ち上がった。殴られる!  瞬間そう思い身構えたが、驚いたことに若松さんは、頭を下げ、「若松です。キネマ旬報で読ませていただきました」とおっしゃったのだった。── なんていい人なんだろう!  ますます好きになり、やはりこの人についていこうと、思いをあらたにした。以後、監督協会や映像塾(私のかつての師匠で、若松さんからは孫弟子にあたる人物が立ち上げた映像教育私塾。むかし助監督だった縁で、私が運営補佐をつとめた。若松さんには深作欣二監督とともに顧問をお願いした)でご一緒するようになってからも、つねに、なにかと気にかけていただくこととなった。


そのように長いおつきあいの時を経た、2000年代はじめのある日、事務所にあそびにうかがった私に、若松さんは「おみぃ(おまえ)、いま何やってんだ?」とお尋ねになり、私は「つい最近起きた、少年が母親を殺して北へ自転車で向かった事件を映画にしようと思っています」とお答えした。すると若松さんはニヤリと笑って、「俺もあれ、やるんだ。もうホンもできてる。もうすぐ撮影だよ」とおっしゃった。おどろいた。つい最近の出来事だというのに。若松さん、あなたは近松かよ!  ── 自分の構想は白紙に戻し、ほかの実話も交えて、まったくべつの、あらたな物語をいちから書くことにした。


若松さんの企画は映画『17歳の風景  少年は何を見たのか』となり、私の企画は映画『少年』として結実した。若松さんには、企画を練り直して熟考する機会を与えていただいたことになり、その意味でも深く感謝している。だから、若松さんには、だれよりも、いちばんはやく観ていただきたかったのだ。


映画少年のころから観つづけてきた若松映画と、若松さんからいただいたさまざまなお言葉は、いまも、私の骨格そのものとなっている。


〇きょう10月17日は、若松孝二監督のご命日にあたります。若松さん、ありがとうございました。あらためてご冥福をお祈りいたします。どうぞ安らかにお眠りください。



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プロフィール写真を統一しました

Twitterの私のプロフィール写真のことを「怒っている猿みたいだ」と、未知のかたにツイートされてしまいましたので(涙)、高校時代から敬愛してやまない超美人の、映画評論家でもある詩人のかたより「ええっ、こんなにダンディーなかただったのですか!」とのお言葉を頂戴したこの写真を ( ↑ ) 、統一プロフィール写真とすることにいたしました。

いかがでしょうか。これなら「怒っている猿」とはいわれないと思うのですが・・・。

ちなみにこの写真 ↑ が「怒っている猿」だそうで・・・


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渡辺護監督と冷麺の思い出

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渡辺護監督と冷麺の思い出

さきの南北首脳会談の実況中継を見ていて冷麺の話題が飛び出したときすぐに頭に浮かんだのは、いまはなき師、渡辺護監督のことだった。

助監督についていた1970年代のある日、あれは何の打ち合わせの途中だっただろうか、都心の繁華街を二人で歩いていて、昼食にしようということになった。そして、昔のデパートの大食堂のように和洋中なんでも揃っている大衆食堂に入り、メニューを一瞥したとたん、護さんは即座にこうおっしゃったのだった。

── 俺、冷麺!

1970年代当時の日本で、昼食に韓国冷麺という発想はなかなかないように私などは思っていたので、なにか意表を突かれる思いがして、絶句した。そのことをいまもはっきりと覚えている。

そして、以来、それまでいちど口にしただけで苦手に思っていた冷麺に関心を抱くようになり、いまでは、それを日本流にアレンジした東北名物・盛岡冷麺などは、昼食にいただく、好きな食べ物のひとつとなっている。


きょうのお昼ごはん
@新宿 歌舞伎町
中華食堂一番館
盛岡冷麺 大盛 660円


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