こんにちは。
M4無ロック創作者のひまりです。
どんな話をしましょうか。
書き始めはむずかしい。
終日練終わりにゆめの家のソファーで、
あまり触らないパソコン片手につらつら書いていきます。
ちなみにゆめはオール明けの体で、ほぼ目を瞑りながら大豆田とわ子と3人の元夫の最終話を脳死で見ている。今日もえらい。
突然ですが、「言いたいことがうまく言えない」って瞬間、ありますよね。
誰かに話したい。でも、どう言えばいいか分からなくて、つい「もういいや」って投げてしまう。
あるいは勢いで言った後に「あ、これ完全に八つ当たりだったわ」と気づく夜。
人間やってるとあります。あたりまえ体操。
最近、自分の中でひとつ、はっきりしたことがあります。(この始まり創作者の話に似ている)
それは、「吐き出す」と「伝える」は、似ているようでまったく違うということ。
たとえば、突拍子もない「無理」「終わった」「詰んだ」。これは吐き出しです。
感情が溢れたとき、つい口から出てしまう言葉ってあります。人間してると。
でもあれって、よく考えると誰かに届けたいというより、とりあえず出しちゃったに近い。
SNSでも、対面でも、グルチャでも。
ちょっとした一言が、「共感してほしいのかな?」「助けてってこと?」みたいに、受け取る側の想像力に委ねられる。
言葉は出てるのに、「意図が不在」。
それって案外よくあることだと思います。うん、とても難しい。
創作者という立場にいると、言葉を選ぶ場面が多くなります。
「もういいや休んじまおうか」って深い意味はなくとも言いたくなる日がある。
でもその一言が、作品に関わる人たちの熱量や安心感を揺らしてしまうかもしれない。いや確実に揺らす。
そう思うと、なかなか脳筋になって言葉を出すことは難しい。
だから言葉を出すことに我慢した瞬間は何度もある。
でもその分、「伝えるってなんなんだろう」と考えるようにもなりました。
吐き出すのは、自分のためです。
感情を整理するため。
自分が何を感じていたのか確認するため。
心に溜まったものを、一度外に出すため。
つまりは「自分を守るため」。
一方で、伝えるのは相手のためです。
相手が受け取れる形に整えるため。
ただの音ではなく、意味として届かせるため。
その人との関係を、これからも続けたいと思うため。
つまり、
吐き出すのは「今」のため。
伝えるのは「これから」のため。
似ているようで、役割がまったく違う。
どちらかが悪いわけじゃない。
けど創作者という役目を引き受けたとき、
「自分のための言葉」が「誰かのための言葉」に変わる瞬間がある、ということを知りました。
一度口に出した言葉は、もう自分のコレクションじゃなくなる。
誰でも鑑賞OKの野外展示みたいになります。
しかも勝手に「これってつまり怒ってるってことだよね?」と解釈タイトル貼られたりもする。故に言葉はこわい。
苦手な魚の目よりもこわい。
だから、「伝える」って実は、すごくめんどくさい。
言いすぎないように言う。
重くしすぎないように、でも軽くもしすぎないように。
その結果、「あれ、自分なに言おうとしてたんだっけ?」ってなる。
ラーメン食べてる方がマシ。映画見て泣いてる方がマシ。かんちゃんの顔眺めてるほうがマシマシ。
でも、創作者って結局そういう調整をし続ける役目なのかもしれません。
言葉の交通整理係というか、エモの翻訳業者というか。
とはいえ、「ちゃんと伝えなきゃ」ばっかり考えるのも、ヘルシーじゃないな。アンヘルシー。
本音を丸めすぎて何も言えなくなったり、夜中に「これは伝え?吐き出し?」って哲学し始めたり。
なので最近は、モード選択制を導入いたしました。
「今、自分は吐き出してます」
「これは伝えようとしてます」
って、自分の中でラベルを貼っておくと、ちょっと楽になる。ちょっとした安心。
大事なのは、出すことより、向けることなんだと思います。
その言葉、誰に向けているのか。
その一言の先に、関係が続いてほしいのか。
それを意識しただけで、たぶんもう伝える準備が始まってる。
日々言葉を選んで、なるべく人を雑に扱わないように。
不器用でもいいから大切に。大切に。それで誰かの気持ちがちょっとマシになるなら、それなら伝える意味がある。
わしは胸を張って言える。
とても嫌いじゃない。
自分はこれからも、
伝えたり、たまに黙ったり、
変な比喩使ったり、ラーメン食べたりしながら、
サークルにいい感じの濃度で存在したい。
創作者として、人として、
誰かのために伝えられる言葉を、
丁寧に育てていけたらなと思います。
良い期間でした。ご縁に、感謝です。
この環境に、感謝です。
最後に大好きな家族に、ドゥブに感謝。
今日は少し散歩をして誰かとサバ味噌煮定食が食べたい。