矢追純一氏の「不思議に思うこと」の記事は3日間続いたが、その完結編としてのが今回の記事だ。
人は、何かを作る時、目的が必要で、起承転結として、考える癖が、教育が悪いのかついている。
もちろん、その文章構成法によって、作るのが常套手段だ。
しかし、矢追氏は、そうではないという。
ドキュメンタリーに、シナリオややらせは必要ないわけだ。
矢追氏は、見たままの真実を、丁寧に紡いで番組を作ったのだろう。
だから、矢追氏は、今日の番組作りに物申すことができるのだろう。
かつて、矢追氏が後輩か、知り合いかわからないが、番組関連でスタッフに「にらみ?」を聞かせているような場面を見たことがある。
「にらみ」といったら、大げさかもしれないが、司会者やP(プロデューサー)などは、恐れ多い伝説の視聴率男であった、矢追氏を前にたじたじであった。
一つ、それらを何気なく見学してた時に、分かったことがある。
矢追氏には、真実をジャーナリズムを追っていても、庶民には、何に興味があって、面白いのかが、番組の盛り上がりがわかるのだということ。
面白いところで、止めてしまったり、話を切るようなことは、しないほうがいいように思って、「にらみ」を利かせていたのではないかと思った。
感性が研ぎ澄まされているのだろうが、本人には、たぶん普通で、なぜ、他の人が、その盛り上がりをわからないのだろうと、感じているのだろう。
だから、「不思議に思うこと」のタイトルにつながるのだろう思う。