19年間の私の調教のお陰よ
妻がちょっと前に僕に言っていた言葉である。
変な意味ではなく、真面目な話である。
すごくちょっとしたことではあるが、帰宅するにあたって、家のドアの前で鍵を探す。これは時間の無駄であり、愚の骨頂。妻からすると、鍵は帰宅途上で用意し、家の前に着くと同時に開ける。
料理をしている時、湯を沸かすなど何か空き時間があれば洗い物をする。買い物をするなら、一度に他の用事も済ませる。
また、早く帰宅出来るときは、百貨店で何かスイーツを買う、誕生日にまつわる欲しいものリストは必ずメモを取り、要望がなければそれを買う、特に要望があったわけではないが、過去それをもとに大喧嘩、もしくは幻滅をさせた経験から来る。
世の中にとっては、すごく当たり前なのかもしれないが、僕は以前これが出来ず、、、というか効率的なことや相手が喜ぶことは考えずに、家の前で鍵を出せばいいし、料理を食べたら洗えばいいし、買い物をして、帰宅後に何か思い出したらまた行けばいい、早く帰れたら早く帰る、誕生日は都度聞けばいいと思っていた。
妻にお前そんな無駄なことするな、誠意が足りないと言われ続けた結果、プライベートも仕事も、昔の僕のようなやり方は無駄が多く、非生産的、また相手への誠意はこのようなものだと思うようになった。
いや、それだけではない、早く帰宅出来る日は何かスイーツを買って帰る、妻が好きな食べ物のトレンドを把握する、特に期間限定や都心部でしか買えないものなどは、妻に感動を与える。
では、これが昔から出来ていたかというとそうではない。気配りや心配りがない、誠意が足りないとよく言われたものだ。
当時はうるせーなーって思っていたが、仕事において実は役に立っており、これは今の職場での職位の一端を担っている。
これを総じて妻は調教と呼ぶ。
では、妻においては、シャンプーが無くなっても買わないし(これはどうしているか謎)、洗剤無くなったら洗わないし、トイレットペーパーやティッシュもほぼ買わない。
調教された僕からすると、シャンプーや洗剤、トイレットペーパーは無くなりそうになったら詰め替えや、次の分を買ってしかるべきである。しかし、妻はやらない。やれない?敢えてやっていない?
こんな疑問が湧くが、追求はしない。ただ、自分がやればいいのだ。それが助け合いだと。
おや、これももしかして調教の効果なのか。
いやいやと思いながら、このブログを書くにあたり、調教とは辞書はどんな意味かと調べると以下の通りであった。
動物を目的に応じて訓練すること
妻が僕を動物として扱っているのか、僕が動物並みであるかは定かではない。