今日(2007/1/9(火))の読売新聞に漫才の内海佳子さんの幼い頃の話が出ていました(時代の証言者)。
少しご紹介させていただきますが、内海さんの父親はまだ乳飲み子だった内海佳子さんと母親を千葉の銚子に置いたまま、横浜の鶴見の潮田に行ってしまったそうです。
それを知った母はまだ1歳にも満たない佳子さんをおぶって探しに行ったということです。
私も鶴見で生まれ育ち、潮田というのはよく知っているところですので、へえー、と思って記事を読み進みました。
たぶん大正の終わりごろの話だと思います。
何とか父を見つけた母は、父が働いている工場でいっしょに働いたり、佳子さんをおぶって納豆の売り歩きをしたりして食いつないだそうです。
貧しい様子を見て、子どもを産んだばかりの近所のおかみさんが「うちの子一人じゃ吸いきれないので、お宅の子どもにもあげましょう」と言ってしばらくの間お乳を飲ませてくれていたそうです。
また、近所の牛乳屋の主人が黙って牛乳を玄関先に置いてくれていたそうです。
最初の時、変だなと思い、翌日の早朝玄関で待っていたら、近所の牛乳屋の主人が置いてくれるのがわかりました。
その牛乳屋の主人は、乳がないと赤ん坊は死んでしまう、代金はずっと後でもいい、遠慮なく子どもに飲ませなさい、ということでした。
母は涙が出るほどうれしく、その後も長いことお情けの牛乳をいただいたそうです。
まさに命の恩人でした。
その後母からこの話を聞いた佳子さんが、何度もその方の消息を尋ねたのですがわからないままになっていました。
89年、すでに他界していましたが、偶然その方の消息がわかりました。
そして87歳になる母と一緒にご子息を訪ね、墓前で数十年ぶりに御礼を申し上げることができたということです。
朝、この記事を読み、涙が出るほど感動しました。
当時の人々は貧しいながらも皆で助け合うような温かい社会だったのだな、とあらめてわかりました。
「美しい国」、あるいは「国家の品格」ということを最近よく言われていますが、もともと日本は美しくまた品格があったのですね。
私たちの時代がそれを引き継ごうと思うことが大事だなと思いました。