スナコー通信370号     


2006/07/19


「幸せについて」1


イタリアのナポリの人というのはナポリの話ばかりしますが、ナポリがどうしょうもなく好きなんですね。


また、先日、南太平洋のバヌアツ共和国が世界一幸福な国という記事が出ていましたが、バヌアツの人も自分たちが生活しているところが一番好きなのではないかなと思うのです。


そこで思ったのですが、幸せな人というのは、今生きている場所が大好きな人ではないでしょうか。


そういう人はその場を幸せにして、自分も幸せになれる人ではないかと思うのです。


(逆に幸せでなくなると、人は心が狭くなり、人を許せなくなり、マイナス思考に陥り、今の生きている所が嫌いになります。)


幸せの条件には人間関係とか心の状態とか成長間とか健康とかいろいろあると思いますが、「あの世の天国というのも今の感じと同じならいずれ行きたい」などと思えたらかなり幸せではないかと思います。


自分が幸せであると批判、非難、反発、意地悪などに対してびくともしなくなります。


そもそも友が増え、反発が少なくなりますけれども、万が一反発されてもなんとも感じなくなります。

また自分を飾らなくなります。


自分を実態以上に大きく見せたり立派に見せようとしているのはまだ不幸感覚が強いのだと思います。


(こうした幸せなイメージは、幼子を抱いている母親を想像して書いています。


母は強し、と言いますが、たぶん「母は幸せであり、だから強いのだ。」ということになるのではないかと思うのです。)


また、自分が幸せであるということは、全ての仕事の土台であり、仕事をするための重要な条件だと思います。


なぜなら、仕事とは「幸せを分け合うこと」「幸せを分かち合うこと」だからです。

お互いに幸せになる作業が仕事だからです。


ですから不幸感覚のある人が仕事をすると、不幸を分けてしまうことになるから大変です。


周りが大変なことになります。


そして不幸感覚のある人が仕事をすると、仕事が金銭のバーター取引というつらい労働に変質してしまうでしょう。


(続く)