10月26日、今日は父の命日です。
49歳で倒れ、半身不随になり20年、10月26日の朝、この世を去りました。
一時は、心臓停止状態になり、あの世の手前まで行ったそうです。
父は、お酒が大好きで、お酒を飲むと陽気でよくしゃべり、食事の時は何時間も家族みんなで父の話を聞いていました。
飲みすぎると、陽気を通り越して、酔っ払い怖い時もあったなあ・・・・・
ラグビーが大好きで、弟を小さい時からラグビースクールに連れて行き、弟は、特待で東京の大学に行き、ラグビーで就職して、父に感謝だね~~~~。
弟の友達には、悪い時は我が子のように説教。
父を怖がっていた弟友達ですが、弟がいなくても、家に来てみんなご飯を食べていました。
第2の我が家、そう言って、いつも友達が出入りしていました。
人がよく集まる実家でした。
病気になって数年は、母が病院に泊まり込み、退院してからは、家を改装して、車椅子での生活。
リハビリをして、杖をついて歩けるまで回復。
右半身麻痺なので、左手でご飯を食べていました。
記憶を取り戻す為に、小学生のドリル(漢字、算数)を毎日のようにしていました。
新聞は、毎日隅から隅まで読んで、言葉が出なくても、頭だけはよかったです。
父が倒れて、幼稚園で働いていた私は、父兄の方に、ホントに色々助けていただきました。
こうして、振り返ると、感謝することがいっぱいです。
病人がいても、家の中はいつも明るくて、人がたくさん集まっていました。
父の最後は病院でしたが、パパや従弟、おじ、叔母、みんな集まって、父は最後まで笑顔でした。
私が病院に泊まった時は、瞳孔が開いていました。
「もうそろそろかな」と話す母に
「お父さんは、まだみんなにありがとうって言ってないので、大丈夫よ」って言ってた私です。
ある朝、病院に行くと、状態がよくなくて、酸素吸入
その父の手が、かすかに上がり「今、てが動いたね」
それが最後でした。
「あの手が動いたのは、ありがとうって挨拶したんだね」
お父さんありがとう・・・・・・・涙ながらに、最後にそう伝えました。
こうして書いてみると、あの日のこと、そして20年間の父の闘病生活を思い出し、涙が出てきます。
もう涙は枯れていたのにな。
父のことを忘れることはないけど、こうして書いて、いつまでも忘れないでいたいです。
その後、母も亡くなったので、今はお空で笑っていることでしょう。
お酒を飲みすぎていないかな?
飲みすぎても、病気にはならないもんね。
これからも見守っていてくださいね。
ありがとう![]()