プッチーニのポエーム

上演は中国で何年のかわかりませんが、パヴァロッティがまだ若い時の感じです  

  ジェノバ歌劇場管弦楽団・合唱団

 オペラの初舞台でロドルフォ役(詩人)を演じて以来、彼の十八番となったものです  

  4人の若者が一つの部屋で生活している

 第1幕   パリのカルチェ・ラタン  屋根裏部屋

 第2幕   カフェ・モミュス  街中

 第3幕   ダンフェール門をはさんで

 第4幕   再び屋根裏部屋 数か月後


  パヴァロッティは高い澄んだきれいな高音で、相手役の女性もハイ・ソプラノで澄んだきれいな声が出ていました あれだけ高い音がよくでると思いました

 同時に二組がそれぞれに歌ってもよく調和がとれた感じでよかったです  

  私ははじめて観たのですが観たって感じがし、普通のコンサートとは又違った満足感でした 

 1989年 北京劇場展示ホールでジェノバのオーケストラや合唱と共にされたものです  

   パヴァロッティ イン チャイナ

 ここに曲目を書いておきます

 オペラの中のものがわりに多いですが

ナブッコ=オケと合唱  

ルイザ・ミラー=パヴァロッティ

シチリア島の夕べの祈りから=オケ 

リゴレットから”女心の唄”他=パヴァロッティ

ドン・バスクァーレから召使いたちの合唱=合唱

アルルの女から=パヴァロッティ  

マンマ=パヴァロッティ

巣に帰るつばめ=パヴァロッティ  

ロリータ=パヴァロッティ

オペラ マダム・バタフライ=オケ・合唱

フェドーラ=パヴァロッティ  

道化師から=パバロッティ

カヴェレリア・ルスリカーナから=オケ・ハミング

ローマのギター=パヴァロッティ  

風に送るわが歌=パヴァロッティ

忘れな草=パヴァロッティ

オペラ マノン・レスコーから2曲=パヴァロッティ

オーソレ・ミオ=パヴァロティ

帰れソレントへ=パヴァロッティ

トゥランドットから誰も寝てはならない=パヴァロッティ

 以上です  好きな方にはたまらないと思います

又オペラは知らないがこの曲なら聴いたことがある・名前は知っているという方もおられるかもしれませんね

 次はオペラでプッチーニのラ・ポエームです   それではまた



難民のためのチャリティーで2002年にイタリアでの野外コンサートでした

もう10年続いているそうです 

パバロッティの呼びかけでいろんな国の人が出ていました

みな喜んで参加しているようでしたよ

アジア系の人はいませんでしたが…

今日はアフガンの子供達の為にされたようです

パバロッティは前から援助していたようで、今日はアルマーニが親善大使に任命されてました と言っても5年前になりますが

オペラのようなものはなく普通のコンサートで歌うようなものやエレキギターでソウルとかロックみたいなものもやっていて、それぞれに楽しめました(パバロッティはロックのようなものは歌いませんが)

もちろんパバロッティも一人で歌ったり他の人と一緒に歌ったりでした

明日は中国でのもののようです  乞う ご期待を

ウィキペディア参照

 よく知っておられる方も多いと思いますがここに彼の概略を書いておきます

なんでしたらスルーしてくださいね


ルチアーノ・パヴァロティ  1935年10月12日~2007年9月6日

 イタリア テノール 著名なオペラ歌手の一人

 父親はパン焼き職人で、才能あるアマチュア・テノール歌手(彼は自分よりずっと上手とよく言ってました) 師範学校卒業後、声楽を学ぶ

 初舞台  1961年声楽コンクールで優勝 オペラの初舞台「ラ・ポエーム」のロドルフォ役 この役はその後彼の十八番となり63年にウィーン国立歌劇場・ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、64年にミラノ・スカラ座に同役でデビュー

 世界的名声  1965年アメリカデビュー 1967年「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」で初めて歌劇全曲盤録音 世界的名声を不動のものとしたのは1972年ドニゼッティの「連隊の娘」に出演 トニオ役のアリアでハイーC<ツェー>(中央のドから2音階上のド)を9回も苦もなく歌い聴衆を熱狂させた 輝かしい高音を持つリリック・テノール、「キング・オブ・ハイC」という異名をとる(このニックネームは彼が録音したアリア集の題名に由来) 1970年に録音でリッカルド(ヴェルディの「仮面舞踏会」)い挑戦、より劇的な歌唱を必要とされるスピント系諸役へ進出 その後声質が重く変化していく(この為高音の輝かしさにはかげりが出た)につれ、スピント系の役を増やす

 幅広い活動  しばしばテレビに出演 大衆的な名声を得た

1977年3月の番組に初めて出演 かってテレビで放送されたオペラ上演中最大級の視聴者を魅了した  1990年代野外コンサートをしばしば開き、ロンドンの最初のコンサートはテレビで放送され、公園の歴史上初のクラシック演奏会となり十五万人という記録的な人数の聴衆を動員 1993年6月ニューヨークのセントラルパークの大庭園では50万人が集まり、テレビでもさらに数百万人が視聴 9月にはパリのエッフェル塔の下でコンサート、推定三十万人を集めた  もっともよく知られているのはドミンゴ・カレーラスと開いた「三大テノール」コンサートで演奏のCDやビデオテープの売り上げは、プレスリーやローリング・ストーンズをしのいだ  2001年ケネディ・センター名誉賞を受ける  ダイアナ妃と親しく葬儀で歌うよう招待されたが、とても悲しく歌うことはできないと辞退

 引退  2004年3月69歳でメトロポリタン歌劇場で「トスカ」 これを最後にオペラ上演からは引退 同年より世界中を巡る引退コンサート・ツァーを開始(東京からスタート) 2006年トリノオリンピックの開会式で歌うが、結局これが人生最後のステージとなる 同年膵臓がんが見つかり手術 2007年9月6日モデナの自宅で腎不全により71歳で死去 同年9月8日モデナの大聖堂で葬儀 イタリア首相・アデン国連事務総長ほか著名人も参列 市民ら約十万人も集まった

 レパートリー  元来リリコ・レッツジェーロ(叙情的で軽やかな表現に適した声質)と呼ばれる声質のテノール

 エピソード  彼は「楽譜が読めない」というまことしやかな噂があったが、本人は2005年9月12日のBBCインタビューの中で「オーケストラ総譜はほとんど読めないけど、テナーとピアノ(伴奏)のパート譜なら完璧に読めるよ」と語っていた  広告にはあまり出演することがなかったが、1996年に日本航空のビジネスクラスのテレビCMにカレーラスとドミンゴとともに出演

  

 日本では2007年11月3日に東京芝増上寺大電動内(屋内)にて追悼公演がされた

オペラとガラ・コンサートで、オペラでの衣裳の内「トゥランドット」と「リュー」はコシノヒロコさんが提供された

 ルチアーノ・パバロティー (9月6日逝去)

26日より30日までケーブルテレビを見られている方はクラシカジャパン(有料)などでコンサートやオペラが放送されます 

若い時からの物もあるようです 興味のある方はお見逃しなく

詳しくは又書かせていただきます