プラシド・ドミンゴ    ウィキぺディア参照


   よく知っておられる方も多いと思いますが    


      1941年1月21日生まれ

  スペイン生まれの世界的な著名なテノール歌手

  指揮者、歌劇場芸術監督としても活動している

  

  年上のルティアーノ・パヴァロッティ(故人)、年下であり同じくスペイン

  出身のホセ・カレーラスと共に「三大テノール」としてもひろく知られる


経歴

 スペイン・マドリード生まれ 両親はサルスエラ歌手  1949年サルスエ

 ラ劇団を経営する家族と共にメキシコに移住 両親の一座で子役として

 舞台にたっていた 55年メキシコシティの国立音楽院に入学してピアノ

 と指揮を学ぶ

 1959年メキシコ国立歌劇場でテノール歌手としてデビュー 1961年

 にはモンテレー(メキシコ)でアルフレード(椿姫)を歌い、本格的な

 初主演を飾る

 1962年テルアヴィヴ歌劇場と契約し、イスラエルに移る 多くに役に

 挑戦して実力をたくわえつつ1965年までイスラエルで活躍 65年に

 ニューヨーク・シティオペラと契約してアメリカに移った 

 1967年ドン・カルロ(タイトル・ロール)を歌ってウィーン国立歌劇場に

 デビューする 1968年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場にチレア作曲

 「アドリアーナ・ルクヴルール」マウリツィオ役でデビューすべく、リハーサ

 ルを行っていたドミンゴだったが、やはり同役に出演していたスター歌手

 フランコ・コレッリが突然出演をキャンセルしたため、劇場は代役を

 ドミンゴに依頼、劇場に急遽駆けつけてマウリツィオを演じたドミンゴは、

 思いがけず数日早まったメトロポリタン歌劇場デビューを成功させる 

 また1969年にはエルナー二(ヴェルディ作曲同名作)でスカラ座、

 1971年にはカヴァラドッシ(プッチーニ作曲「トスカ」)を歌ってロンドンの

 ロイヤル・オペラ・ハウスにデビューし世界的な名声を確立 特筆すべき

 多様性を持つ歌手であり、ヴェルディ、プッチーニなどのイタリア・オペラ

 フランス・オペラ(「ファウスト」「サムソンとデリラ」などワーグナーなどの

 ドイツ・オペラと実に広汎な演目をレパートリーとしている

 1981年ドミンゴは米国のフォーク/ポップ歌手の故ジョン・デンバーと

 デゥエットで歌った「パーハップス・ラブ」を録音したことで、オペラ界以外

 からも広く知られる歌手となった また前述の二人と共に

 「三大テノール」としてFIFAワールドカップを皮切りに一連の三人合同

 での演奏会を開いた(三人揃っての来日公演も行っている)

 1989年5月21日には松田聖子とのデゥエットでアルバム「ゴヤ・・・

 歌でつづる生涯」が発売された

 1992年バルセロナ・オリンピックでは開会式と閉会式に出演し大観衆

 ので美声を披露 特に閉会式で歌ったオリンピック賛歌は「史上最高

 のオリンピック賛歌」「オリンピック参加を歌わせるのならドミンゴが

 一番」との高い評価を受けた また1994年にリレハンメル冬季

 オリンピックでやはり同歌の独唱を披露したシセル・シルシェブーの

 才能にも目を止め、オリンピック賛歌ソリスト同士のデュエットを実現

 させた事も話題となった 

 2000年には「ケネディ・センター賞」を受賞している 2002年には

 ロックバンド、サンタナのアルバム「シャーマン」にゲスト参加し

 一曲で歌った

 指揮活動は歌劇の指揮が中心だが2001年7月1日にはベルリン・

 フィルシーズンを締めくくる恒例の「ヴァルトビゥーネ」の指揮者として

 招かれ、スペインものの作品を指揮している

 またワシントン歌劇場で最初の芸術監督に指名され、後に

 ロサンジェルス劇場でも同職に就任しており、歌手活動にとどまらない

 幅広い活動をこなしている たびたび来日しており「徹子の部屋」にも

 出演した

歌手

 オペラ界においては陰影をたたえた美声、充実した中音域、卓越した

 演技、すぐれた歌唱技術によって幅広い人気と高い評価を得た

  ドミンゴは若くしてバリトンからキャリアをスタートした後、テノール・リリコ

 (叙情的な声のテノール)に転向したが、元来はより重いリリコ・スピント

 の声質だった その陰影を帯びた声質と自在な表現力を生かして、

 三十代数あるテノールの役の中でも特に重厚な歌唱を要するオテロ

 (ヴェルディ作曲「オテロ」)もレパートリーに加えた ドミンゴのオテロは

 彼の世代の第一人者と見なされている  

 1968年にはハンブルクでローエングリンを歌ってワーグナー作品にも

 進出したが、声帯障害を引き起こしてしまう しかし、声が成熟して重み

 と厚みを増すに従いワーグナーの諸役も無理なく歌えるようになり、

 徐々に彼の主要なレパートリーになっていく ついにはバイロイト音楽祭

 に登場するまでになったが、2000年ユルゲン・フリム演出「指環」の

 プレミエでジークムントを歌った際、音楽祭総裁のヴォルフガング・

 ワーグナーと衝突以後この劇場には出演していない

 反面「愛の妙薬」のネモリーノのような軽いレパートリーにおいても、

 リリックに柔らかに歌う発声と演技力により評判になった ドミンゴは

 バリトン出身だけにテノールの聞かせどころの最高音域は非常に不安

 定であるが、その分美声と洗練された歌い口でオペラ通や批評家も

 うならせたのだった また伊仏独の多くのオペラに加え英語の新作

 オペラオペレッタの英語版まで歌い、のみならずロシアオペラの

 「エフゲニー・オネーギン」や「スペードの女王」まで原語で歌うなど、

 語学能力においても非常に有能である

 またドミンゴは(テノール歌手としては非常にまれだが)ロマンティックな

 オペラのヒーローに相応しい端正な顔立ちと高身長にも恵まれている

 見栄えのよさを自覚してか映像収録にも特に積極的であった 

 三本の劇場用オペラ映画、ビゼーの「カルメン」ヴェルディの「オテロ」

 「椿姫」を撮影した 更にテレビでも数多くの劇場のぺら中継の他、

 「サルスエラの夕べ」等の番組にも出演した

 三大テノールのコンサートは四年に一度開かれるサッカー・ワールド

 カップのローマ大会決勝戦、前夜祭のイヴェントとして始まった 

 興行的には大成功だったが、通常のオペラ歌手のリサイタルとは桁違い

 の規模の野外コンサートであり、曲目もポップスが多く客層も一般客が

 多く雰囲気も異質であった

 純粋主義のオペアの聴衆からは商業主義におもねるものとの批判が

 常にあった 同人三大テノールは彼らのせいじつで直截なアプローチに

 よってオペラ及びクラシック界の為に多くの聴衆を増やしたのだという

 意見もあり、その評価は今も分かれている 

 彼のレコード&CD録音も、オペラ全曲盤、オペラ・アリア集、ポピュラー

 ソング集など膨大な数にのぼる レーベルはRCA,EMI,ドイツ・グラモ

 フォン、ソニークラシカルなど、多くのレコード会社と録音を行い、長年

 デッカと専属契約を結んでいたライバルのパヴァロッティとはこの点でも

 対照的である

 上記の通り ドミンゴは驚異的に広汎なレパートリーを誇るが、本人に

 よると最も多く歌った役はカヴァラドッシ(プッチーニ作「トスカ」)だという 

 この役では4回お正規録音を行っている他(別に2回映像収録),他の

 プッチーニ作品も多く録音し、2005年に録音した「エドガール」で

 プッチーニの歌劇全作品を録音する記録を樹立した

 彼はヴェルディのテノール向けのアリアをヴェウディが上演国に合わせて

 そぞれの原語で作曲したオリジナル版からの複数版を含めて全数

 収録したCDセットを録音し、批評家からも概ね好意的な評価を得ている

 2004年暮れから2005年にかけて、ワーグナーの「トリスタンと

 イゾルデ」トリスタン役に初挑戦、EMIにレコーディングされたが、この

 録音がEMIによる最後のオペラ録音(以後のオペラソフトのリリースが

 視覚的要素のあるDVDに移行するため)となった