1月23日 施設の玄関にて
(面会禁止50日目)
もう50日かあ、、で、ふと考える。
”病院送り”ならぬ”施設送り”にしてしまった、という後悔は、
消えることがないものだ。
当初、ちょっと手伝っていた買い物、家事。
そのうち全部、自分がやるようになり、
ドライブに連れて行ったり、デイサービスを利用したりしたけど、
あれよあれよという間に悪くなっていって、
見かねたケアマネさんが、入院させましょう、と言ってくれて、
認知症の病院に入院して、そのあと、施設へ。
もっとやりようがあっただろうに、と
毎日思うのである。
これが介護というものだ。
ちなみに、おそらく母も同じ思いを経験したはずだ。
脊髄小脳変性症で亡くなった父をずっと看ていた。
やってもやっても悪くなる一方である。
もっとやりようがあっただろうに、と思ったに違いない。
父が亡くなったのは、
ダイアナ妃やマザーテレサが亡くなった2か月半後だ。
カトリック教徒の母は、なにか感じるものがあったかもしれない。