今こそまさにバカになるのが大事な時代。
思うに現代人は考えすぎ。
考えて考えてどんどん生きにくくなる人々。
顔が金が知能が身体能力が。力の追及は代償に肩がこる。
力の追及もいいけど、休むべき時もある。世界を最適化するパラメータの値を探すのに夢中で、自分を落ちついて眺める時間が全くない。
自分がいないまま力の追及をしていたらいつの間にか力を自分自身だと錯覚した人まで出てくる。
力とは科学技術と資本の増殖の比喩で、自分の探究とは自分が何をもって幸せだと定義するか知ること。
自分自身は科学技術でも資本でもない。
自分自身を探し続けて快感を集め続けても幸福にはなれない。
力を追求しても自分を探求しても、極めようとした人の物語はいつも悲劇的だ。
物体を加速しようとエネルギーを投入していく。最初の内は少しのエネルギーでぐんぐん加速してくれるが、
物体は早くなればなるほど加速させるのに必要なエネルギーが増大していく。
力の追及も自己の探究も同じように、最後には疲れ切った自分を見つめる意識だけが残る。
これは決して観念的な与太話ではなく現代人の大多数が掲げる大問題だ。
現代人はその生物的な欲求の要請から力を探求するように駆り立てられる。
力の探究を放棄した人でも今度は自己を探求し始める。
どちらの道も大変な疲労感だけが最後に残る。
こんな時はいっそバカになるのがいい。
筋肉がゆるむように柔らかい畳の上でのびをする。
水を飲み呼吸を整える。
自分を嫌う人間は自分と同じように欠陥だらけのただの人だ。
上手くいかないのはありふれたことだし、悲しいことに悲しむのも理だ。
力の追及を拒否し、快楽の継続も放棄すれば、あるのは横になってボーとするヒト一人だ。
数学、物理、社会の問題、医療技術---敬意を表し一旦遠ざける。
美味しさ、気持ちよさ、食欲、性欲、金、名誉欲、---抱きしめるのをやめて海に還す。
これでようやく息をすることができる。全て捨ててようやく自分が呼吸をしていることを思い出せる。