令和元年ふたたび、聖子ファンの
間で脚光を浴びた久留米市ですが、
話題になったお店が、気になって
行っていってきました。

おそらくは「松田聖子の
生誕地」として未来永劫、
輝き続ける久留米というまち
ですが、小生が2年前にも
取り上げさせていただきました。
(荒木町ちかくの聖地はこちら↓)
福岡県訪問3 松田聖子さん関連
https://ameblo.jp/danbera/entry-12304530256.html
クルメとグルメはなんか似てい
ますが、今回は単なるグルメと言
う意味ではなく、松田聖子という
天才をはぐくんだ、久留米の文
化?といったら大げさですが、
「聖子が生まれる土壌」があっ
て今もその文化は受け継がれ
ているのではないかとおもって
訪問しました。


● 三代目甲子園「あつい飯」
福岡県久留米市東町39-27森光第1ビル2F
https://tabelog.com/fukuoka/A4008/A400801/40016685/
西鉄久留米駅のバスセンターを右に見ながら
セブンイレブン前の信号を渡り、パチンコ屋さん
を過ぎて一番街アーケードの入り口まできたら
左折。三叉路付近にお店の看板がみえます。



店主は寡黙で昭和の職人的な
方で、お店の雰囲気を味わうだ
けでも価値があります。
聖子さんの学生時代には駅
ビルにあったのですが二度移転
して、いまの場所にあります
お客さんは地元久留米の方
ばかりなので"久留米弁全開"。
私の御隣席の方が「聖子さん
の御父様のようなしゃべり方で」
お店のひととの会話が聞こえて
くるのですが食べていて暖かい
愛情に包まれたようね幸福感に
浸りました。


聖子さんのPre40thでは、店主
が、聖子の一大事ということで差
入れを届けたことが話題になりま
した、久留米という文化都市の
心意気をかんじさせるお店で、来
年訪問予定の方は必須です;

● ラーメン女子なら”絶対に行くべき” 甘太郎(あまたろう)
https://tabelog.com/fukuoka/A4008/A400801/40004666/
https://retty.me/area/PRE40/ARE136/SUB13601/100000804987/menu/
福岡県久留米市東町316-2 エマックスクルメ 2F(西鉄久留米駅ビル)

西鉄久留米駅の2Fにあるお店です。
横文字で EMAX となっているようです。
昭和の人間にとっては「味のたうん」の
ほうがしっくりきますね。

昭和39年から続いているこの
店ですが高校時代の聖子さんが
ここの料理を食したことも重要で
すが聖子の成長に寄与したこと
だけではなくて、
”いまの聖子さんを育んだ文化”
がここのお店に今尚のこってい
ることを体感できます。
「聖子さんが今春に言及された
「もやし麺」 をたべてみました、
”かざらない昭和の味”がそのま
ま、のこっており食べていると女
子高生時代の聖子さんの笑い
声が聴こえるようなかんじです、

聖子さんが「あんみつ」を食
べたとのことで、注文したので
すが、「あんみつはありません」
ということで、

「抹茶白玉ゼンザイ」をすすめ
られました。
窓からは駅前広場、バスセン
ターのバスがよくみえます。聖子
さんが通学で同じ西鉄のバスに
乗っていたというだけで、ドキドキ
します。40年前にもおなじ窓から
同じ風景を見ながら、聖子さんが
お友達と食事した事を思うとそれ
だけで胸が熱くなってしまいました;

店の店員さん会話のひとつひとつ、
お店の壁、電車の音、お客さん声
が愛しくかんじられる、昭和40年代
を堪能できたような錯覚に陥ります。
40年前に松田聖子という人物を
育てたすばらしい「久留米という街
の文化」はいまでもクルメのお店に
確かに残っています。
その雰囲気だけでも味わうべき
お店だとおもいました。余談ですが
お店の入り口には”赤い・・・・・・”
が飾ってありました;


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社会の時間なので真面目に久留米市のおさらいを
しますと、九州一の大河・筑後川と耳納山系の間に
街が広がり九州の東西、南北の十字路のような位置
にあります。
十字路とは、異なる土地の人が行き交うところで、
何百年もかけて、多様な文化が花開く、そんな街で
多くの芸術家、才能のある人、筑後気質といわれる
鷹揚で太っ腹な心の広い人が多いことも特徴です。

玄関のJR久留米駅では「赤いスイートピーの音色」でお迎えされ
感動した声が今年は多く聞かれました、もうひとつの駅の
西鉄久留米駅は聖子さんが数百回利用したバスセンター、
そして最近できたばかりの「久留米シティプラザ」と、あるいて
も良いのですが、結構広い街で路線バスが充実しているので
スイカも使える西鉄バスがべんりでした。




久留米は芸術のまちですが、有名な久留米市民会館はすでに
解体されて、デパート井筒屋跡地が「久留米シティプラザ」と
なっていました。





聖子さんがご家族と買い物した
百貨店跡で、Jazz、POPS公演
をなされたのですが、
じつはいまでも百貨店は苦戦
しており、縮小傾向はとめられ
ないのかもしれません。
地元岩田屋縮小のニュース
はなんと、聖子さんが公演され
た直後に流れています。聖子
さんとしても故郷の街の現状
に、なにか思う所があったの
かもしれませんね。
感想:
久留米のお店では、
「聖子さんという人物の
あふれる愛情の源泉」
というか聖子を育てた
このまちのひとの情に
ふれ、聖子さんに一歩
ちかづけたような気が
します。
この街があってこそ
松田聖子という稀代の
天才が誕生したわけで
まだ訪問されていない方
は来年ぜひ”同じ料理”を
食べて”久留米の人の久
留米弁をきき”心があた
たまる思い出を作って
欲しいとかんじました。

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令和元年の発見;
聖子さんはコンサートのMCで
「矢取車庫」という当時のバス停の
名前を記憶されていたのですが、
それだけでなく御生家の荒木の
番地を正確に覚えていらっしゃ
いました。

その記憶力には今更ながら
感嘆するのですが、yahooで
その番地で検索するとおなじ
番地の家が沢山あるにもかか
わらず、聖子さんの御生家が
ヒットします検索されつくした
結果でしょうか(笑)
