respect Seiko Matsuda and 80s pops -11ページ目

respect Seiko Matsuda and 80s pops

旅行、音楽、最近は松田聖子を尊敬するブログ

 昨年も聖子さんの御母上が話題になったのは

記憶に新しいところですが、今年の最後にうれしい

ニュースがあり、安心した方も多かったようです。

 

 

松田聖子 断絶母が付き人に!56歳挑戦にあった5年目の和解 12/20(木)

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181220-00010001-jisin-ent

 

 ミスセブンティーンの出場、芸能界入

への説得、昭和五十四年の上京、東京

での生活、ご結婚、子育て、個人事務

所設立・・・・・・・聖子さんが大成できた

その影には常に一子様の支えがあった

ことは皆さんご承知の事です。

 

 御父様が他界して二十年以上が

すぎていますが、その間ずっと一

族の守護神として聖子さんを護っ

てこられた一子様でしたが、

 やはり、ラーメン・テー(家族のレ

シピ)そしてSEIKO JAZZ につ

いても、一子さまが大きな力添え

をされていたということです。

 

齢八十六歳をすぎてもなお、国内、

海外で精力的に活躍する御母様こ

そが、セイコがセイコとして健在で

あるための秘密であり、聖子さん

の食生活、健康を見習うひとにとっ

ては、御母様こそが、その模範

ということでしょうか。

 

 DS、紅白、SeikoJazz2、映画

この冬から春にかけて、目が

はなせませんが、聖子さんの

Pre40th にむけて明るい

年末になりそうです。

 

 

 聖子さんが私に投げかけた今年最大の

テーマは ”もうなかない” でした。私の場

合は泣いてるのではないのですが、聖子さ

んの美貌に胸が高鳴り、歌声を聴いている

と”唯々、涙がこぼれる”だけの状態となる

のです。特異体質なのでなおらないのかも

しれません。

  聖子さんは多くの事を我々におしえてく
れます。泣いてばかりで、後ろばかり振り
返っていても”何も新しいものが生まれない”
 リスクを覚悟で勇気を持って前に進んでこそ

”新しい明日” が拓けるのだと聖子さんの

作品はおしえてくれます。

 

 

 

 

  この時期になると聖子さんの御父様

の事が思い出されるのですが、あれから

二十年以上経ったので、聖子さんにならっ

て前向きなエピソードを紹介します。

 御父様は真面目な公務員で退官まで

勤め上げましたが、東京勤務となってか

らはお弁当を聖子さん御自信がつくるこ

とがあったと言われます。


***************

 一子さま譲りの「煮物、魚の味噌漬、

玉子焼き..」がはいっていましたが、

女性職員から

  「あら、蒲池さん、今日のはなんだか可愛いですね」

御父様は”そう、娘が作ったからね”と何気なく

いったのですが、

  「あの聖子ちゃんが作ったんですかあ?」

御父様にとっては"娘はあくまでも娘"でそれ

まで一度たりとも”松田聖子が娘”という発

想がなかった!女性職員がざわついたこ

とで、恥ずかしくなってしまった。

 

************

 

 父親としてなんとも複雑な心境になった!

と一子さまに漏らしたといわれます。

 恥ずかしくて聖子さんには直接言えなかった

とのことです。


 

 

 御父様にとってはいつまでも可愛い

久留米時代の娘だったのでしょう。

 メジャーになっても、等身大の感覚を

決して失わない御両親こそが、聖子さん

の成功の秘訣といってもよいでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに「セイコの冬」ははじまり、このまま大晦日

の紅白まで”セイコは全力で突っ走る”わけです。

 あのスリムな肢体から無限のエネルギーを出し

続ける、「セイコという稀有な存在」 とわたくしが

同時代を生きている、その意味をかみしめる

この頃です。

 来年、平成がおわるのですが、聖子さん

が上京して四十年の記念すべき年というこ

とです。四十年前のあの夏の決断がなかっ

たら.....聖子さんが予定通り卒業後

上京したら昭和五十五年春の正式デビュー

はありえなかったはずです。

 本人の努力と、幸運、偶然がいくつも重

なり、すべてが吉と出て松田聖子の大ヒット

につながったともいわれます。

 しかし、聖子さんのご先祖様の巡礼をさ

せて頂き感じたのは、歴史の歯車がまわっ

たのは、決してただの偶然だけではない、

ということです。山に降り積もった雪から

滴る大河の一滴のように純粋で、高潔な

聖子さんを導いたのは、ある意味「歴史

的直感」ですが、その影には何百年も続

く聖子さんの代々の御先祖さまの御遺徳

があったことも忘れてはいけません。

 

 今年は武道館公演110回という記録を更新

これからもセイコの記録は更新を続け独走状態
で40周年の日を迎える勢いです。 聖子さんが

意図しているか、しないに関わらず聖子さんの

活躍は同時に歴史を作っています。

 松田聖子の歌唱した名曲は音楽の教科書に

載っていて最早歴史です。作詞作曲が素晴らし

いのは当然のことですが、忘れてはならないこ

とは、はじめに「セイコありき!!」なのです。

セイコという稀代のボーカルがいなかったら..

数々の名作は生まれ得なかったともいわ

れます。その意味でもセイコは歴史をつくって

います。

 

 あと何十年かすると、社会の教科書とか、

歴史の教科書にも聖子さんが登場する?

そんな予感もします。平成がもうすぐ終わ

ろうとする現時点で不思議なことは

「セイコという存在がこの平成を全力

疾走しきったことの意義」

をまったく解さないひとがいて、未だに

フェイクニュースを流そうとするひとが

いることです。こればっかりは言って

もはじまらないのでこれ位にして

おきましょう。

 来年は出遅れたひと(私も含めて)も

JAZZの世界で聖子さんに会える

はずです。

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追伸:

今秋は歴史のたびに明け暮れほとんど

更新できませんでしたが、来年の「亥」

の話題と、再来年の主人公「明智光秀」

について年内に報告させていた

だきます。

 

 

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録

https://www.nagasaki-tabinet.com/course/60948/

 

 

 

 

 今夏の世界遺産登録があって、見学に行った

のですが、そこでもなぜか聖子さんのことが気

になって、寄り道しました。

 

訪問のブログその1

https://ameblo.jp/danbera/entry-12373376194.html

訪問のブログその2

https://ameblo.jp/danbera/entry-12374453160.html

 

 

 聖子さんはカトリック系のお嬢様女子高に進学、

「キリスト教研究会」に所属しておられます、研修

旅行で長崎にいけるのをたのしにしていたといわ

れます。

 高校時代シスター阿久根に出会いその薫陶を

うけたことが聖子さんの今日の姿勢にもあらわ

れているようです。

 歌手になれるよう聖子さんは高校のチャペル

で毎日お祈りをしていた事も有名です。

昭和五十四年六月二十九日シスター阿久根は

「人間は信じる道を生きなければなりません

学校の事は別にして”私が教えてきた信じる道”

を行こうとする蒲池さんは認めます」

と聖子さんにお別れのことばを贈りました。

 小学校で学級委員に立候補して落選した際

に聖子さんは声を上げて泣いたのですが、次

の機会には再び立候補、晴れて当選しました。

一度ねらいを定めると目的を遂げるまでは

決してあきらめない。すさまじいまでの努力と

執念です。

 「自分が正しい」と思った事は決して曲げな

かったといわれますが、今日の仕事に取組む

姿勢にもそのまま貫かれ、40年間”セイコが

セイコであり続ける所以”のひとつといわれ

ます。 

 

 Seiko Jazz への礎となった三十数年間の

英語の世界への挑戦、と気の遠くなるような

努力、昨年の夏コンでみせた、仕事とファン

に対するプライドと執念は記憶に新しいと

ころです。

 小学校の頃、クラスで女子がいじめられている

のをみて箒をもって男子に立ち向かっていった

といわれます。

 決して他人の悪口を言わず、悪意ある攻撃

には泰然しているその姿勢は、聖子さんの

信仰心、こころの純粋さ、善を信じる一貫性

のたまものかもしれません。

 

 聖子さんが二十三歳で結婚されたことは、

歌手になる前の父との約束だったそうです。

その後歯科医と再婚されていますが、久留米

時代の父の「医者と結婚させたい」というおも

いに対する親孝行ととることもできます。

 御父様は聖子さんを「ずっとそばにおいて

おきたい」と思うほど可愛がっておられまし

た、はやすぎた晩年でしたが、せめてもの

救いは聖子さんがずっとそばにいたこと

なのかもしれません。
 今となってはそんな聖子さんのすべてが
愛しく、ただ聖子さんに感謝あるのみです。
 

 今年話題の「薩摩」ですが、春のブログで書かせていただいた

通り、聖子さんと「薩摩」、「島津」は決して浅からぬご縁があり、
前回の続きになります;

https://ameblo.jp/danbera/entry-12360086256.html

 

 不勉強な私は「聖子さんのご先祖様」と島津氏の関係が

鎌倉時代!まで遡る深いご縁があったと知って愕然と

しました。

第三十二代御当主 島津修久様
奥様が西郷隆盛の曾孫で婚式の仲人は大久保利通の嫡孫。
天皇陛下ははとこ 細川護煕元首相、現近衛家当主がいとこ。

写真左は肥後細川家第十九代細川護光さま。

 


第三十三代 島津忠裕様

西郷隆盛の玄孫。近衛文麿の曾孫。長州の御本家の

毛利元栄さまとは大学の先輩後輩の関係で今でも

交友があるそうです。

 

 建久年間といってもピンときませんが、むかし小学校でな

らった「イイクニ」 の1192年頃です。蒲池氏第二代の

蒲池行貞と島津忠平(義弘とは別人物)は薩摩の黒島と

平島を協力して平定しており、その後も第四代の蒲池行房

は薩摩国川辺郡の惣司となりました。源平の頃から、

島津、薩摩と蒲池氏には浅からぬご縁があったようです。

 

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 そんな昔の事は普通の人には関係ない?ようですが、

「昨年の聖子さんのラジオ」番組での「タイムマシン」の

話題を思い出したのです。聖子さんは軽いノリで、

  「それこそ鎌倉幕府?」

と笑っておられました。 しかし冷静に考えると

 鎌倉幕府の頃:聖子さんの御先祖様が歴史に登場

 

なので冗談になっていない!聖子さんにとっては蒲池と

いう九州有数の名族のルーツにタイムスリップしたい;

「無意識にご先祖様を意識」

していたのかもしれません、わたくしも、聖子さんの

御先祖さまのご活躍が薩摩にまで及んでいたと今更

ながらしって、おどろきました。歴史ファンのはしくれと

して、「八百年以上の歴史を持つ聖子さんならでは」の

心温まるおことばと受け止めました。

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今春、島津氏の墓所を参詣させていただきまし

たが島津では御当主に「忠」と「久」の文字が

多いのですが、その中で偶然ですが、「聖子

さんのお兄様と同じ御名前」の方もいらっしゃ

いました、聖子さんの御父様のご実家も「久」

の文字をもつ歴代の武将がおられます。

 

 今更ながら名付け親の聖子さんの御父様の御

遺徳を痛感させられました。

 

 聖子さんを真面目に歴史的人物ととらえるには

鎌倉時代まで遡らないといけいないことがわかり

ました。セイコの歴史は、過去のそれとは決して

断絶しておらず、何百年もつづく一本の赤い糸で

つながっているようです。壮大なスケールの物語

の一コマが今のセイコなのかもしれません。

 

 明治維新150年ということで維新の見学を

しました。今年話題の文科省ですが、初代

文部卿である 「大木喬任」 は蒲池氏と

同族で聖子さんとも浅からぬご縁であり、

大木氏について紹介いたします。

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大木一族

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E6%94%BF%E9%95%B7

 

大木統光

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E7%B5%B1%E5%85%89

 

 福岡県南部にみやま市に大木

城跡があります。道の駅みやまか

ら見て南側の田園地帯のなかな

ので探すのに苦労しました。

(図の赤い星が目印)

 実は昨年紹介した”大江天満

神社”のすぐちかくだったのです

がこの辺は蒲池ゆかりの史跡が

まだまだあるようです。

 

 

 

ここの城主は地名を名乗り大木氏と呼

ばれていました。大木氏は「筑後十五城

筆頭の蒲池氏」と同族で室町時代の

「蒲池氏第十代の実弟」という浅から

ぬご縁もあって蒲池氏の本家とは

深い関係にありました。

 

(城跡にある大木八幡宮)

城跡は殆ど痕跡がなく、大木八幡宮の周辺の田圃の堀の形が

それとなく、城を連想させるたたずまいでした。

 

 天正九年の柳川の戦いで大名蒲池氏は終焉をむか

えます。筑後筆頭の義将 蒲池宗雪の跡をついだ鎮漣

ですが、偉大すぎる親に甘えたところがあったのでしょ

うか、性善説でお人好しな性質が凶と出て、甘言でおび

き出されて、謀殺されました。

 

 鎮漣をひきとめようとした大木統光のことばです。

「殿はものに狂われたか、今まさに戦時ではないか」

「うかうかと肥前に行かれるなどまさに懐に石を抱い

て水中に入るようなもの」

「どうかお辞めくだされ」

 大木統光は蒲池久憲の弟の直系であり、母

は鎮連の母の妹なので二重の意味で近しい間

にあったのですが、説得は実らず主家は滅亡

となりました。

 大木統光は主君を守りきれず、主家が断絶

した以上、「武士として面目が立たないと、

追腹しようとした」のですが、その忠義ぶりに

感嘆した敵方の重臣であった鍋島氏にその

人柄をかわれ、死なせるには惜しい人物と

いうことだったようです。

 その後、鍋島氏が大名となったため幕末に

到るまで大物頭として代々の大木氏は勤めて

いくことになります。

 

 明治維新を迎えて大木統光の子孫・大木

喬任は初代文部卿(文部大臣)となっています。

東京府知事、元老院議長、枢密院議長、法相、

文相を歴任した維新の元勲です。

 

大木喬任

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E5%96%AC%E4%BB%BB

 

 

 

 

 肥前佐賀藩の明治維新百五十年記念の

イベント会場、大隈重信記念館からも近い

ところに、大木喬任の生誕地がありました。

 戦国時代には主家の滅亡、そして敵方に仕

えた江戸時代。数奇な運命を辿った大木氏で

すが幕末明治の動乱期には、ふたたび日本

の中央の歴史に名を残し、御地元では今日

でも尊敬される存在といわれます。

 

 

(第十五代御当主 鍋島直晶様の自筆)

https://www.city.saga.lg.jp/main/39784.html

 

 

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 今回明治維新の見学に行ってボランティ

アの案内の方に聖子さんのご実家の巡礼

のお話をしたところ、この大木氏との関係

を教えていただき思わぬところで、聖子

三昧ができた酷暑の午後でした;

 

 

次回は、今年一番の話題 薩摩 と

聖子さんをとりあげます。

 

 

 

 昨年は聖子さんの御父様のご実家と、ご先祖様の巡礼を
させていただきましたが、今年も懲りずに気になっていた
蒲池氏の聖地を訪問させていただきました。
 


 

* * * * * * * * * * * 

東九州は自動車道が開通してものすごく便利になっ

たと言われます。長年の懸案であった宮崎の耳川に

行ってきました。

美々津(みみつ)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%80%85%E6%B4%A5

 宮崎はスイートピー生産量日本一で美々津にちなんだ

スイートピー「美々」もあります。

 

 

 

 

耳川の戦い

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%B3%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 

 歴史上は「耳川」の地名が有名

なのですが、「高城」の攻防戦で
島津が大友を追撃するなかで、
耳川を渡りきれず大量の死者が

出たという事でこちらの名前がメ
ジャーとなっているようです。

 

鮎で有名な耳川上流

耳川河口

 

 

 

大友能直をまつる大友社

 

 蒲池宗雪は主家大友の一大事と

いうことで老骨に鞭打って、手伝い

いくさに参戦しますが、息子の鎮漣

は衰亡する主家、負け戦を見越して

いたのでしょうか、

「何たる愚か者よ、主君から一日の

恩を受ければ百年の苦労もいとわぬ」

 

「主従の礼を失いかかる大事に何ゆ

え命を惜しむか、義なくして富み偉く

なっても浮雲のように儚いもの」

 

「貴殿の子孫が衰え滅ぶのが口惜

しいわ」  蒲池宗雪は不甲斐ない

息子に悲観し、やがて訪れる滅

亡の悲劇を予見していたのかも

しれません。

 

高城

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%9F%8E_(%E6%96%B0%E7%B4%8D%E9%99%A2)

 

 東九州と南九州の激突となった

訳ですが、相手は戦国最強軍団と

も評される島津の忠臣「山田有信」

で、統率が取れない大友方は不用

意に攻めて島津の巧みな戦法に

圧倒され総崩れとなります。

 

 

 蒲池宗雪、竹田紹哲、吉田鑑直、

臼杵統景をはじめ名だたる大友方

の諸将がここでうしなわれます。
 大友方を支える有力武将が亡く
なり、その後の大友の衰亡、改易

につながる流れのきっかけともい

える戦いでした。

 


 宗雪公は大友総崩れのなかで、
一歩も退かず奮戦するものの衆寡
敵せず「もはやこれまで」と蒲池
鎮秀とともに自刃、残りの八十四
人をふくめ蒲池軍は全滅となりま
した。

「命に代えて先祖以来のご恩に

報いる」・・・・ 

義将・蒲池宗雪の最期でした。

 


  負け戦のしんがりを務めその

最後は「西国の楠木正成」といわ

れるほど壮烈なものであったと

語り継がれています。

 裏切が横行する下克上の世に
あって「蒲池宗雪の忠心と武勇」
は九州戦国史に燦然と輝きをは

なち色あせる事はありません。

 

「豊州ノ忠臣蒲池武蔵守源鑑盛五十五歳天正六年

戊寅十一月十二日己未日州高城下戦死スル者也」

 

 

宗麟原供養塔
島津の重臣山田有信が敵味方の区別なくここに供養等をたて

たのですが、明治期には廃仏毀釈でとりこわされたといわれます。

 

 

 

戦乱とは無縁の牧歌的農場が広がる高城の風景

 

 

近くの日向一之宮 都農神社

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 聖子さんのご先祖様がいかに崇高な精神の

持ち主であったか、あらためて感銘をおぼえ

ました。聖子さんを尊敬される方は是非

九州宮崎にも足を運んでほしいと思います。

 

 次回は明治維新の見学で知った聖子さん

ゆかりの人物を取り上げます。

 

 

 やっとDVDがとどきましたが
封をあけた瞬間に聖子さんの
華やかな香水の香りが....

 

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今年もセイコはすごかった。 毎年同じ事を言って

いるようですが特に今年は、肩の荷が下りて吹っ

切れた感じがした聖子さん。昨年は初のJAZZという

ことですこし力んだ感があったようですが、SEIKOJAZZ
の大成功を経て、歌手としてのスケールが広がり、

新たな発声法での艶やかな声、聖子の世界も4倍くらいに

空間が広がったみたいです。

 

 40周年を控えて今年は安全運転?と予想していた

私は甘すぎました。聖子は手をぬかない、端境期に

あっても、あらたな挑戦、進化と深化を39年続けて

いました。 

 

 

 作品の見所のひとつはこだわりのアレンジです。

リーダーの野崎さんも会を重ねるごとに責任者

としての貫禄と自信を増して、特に今回の作品

には彼のこだわりが随所に見られます、

今回の作品も永久保存版になりそうですね

 西日本の豪雨 二十数年ぶりの酷暑
台風、地震と災害の多かったなつもあ
おわり、薄くなったカレンダー...


 秋眠暁を覚えずではありませんが朝に
なるとなぜか
「聖子さんの優しい歌声が脳内でこだま」
して、心地よい状態が続くので

ついつい寝過ごしてしまいます。

 

 


 今夏は聖子さんのご先祖様の巡礼
パート2で数箇所訪問し、追って
お知らせします、

山が凍る前までに歴史の世界に没頭し

ている最中ですので 更新に時間が

かりますが、しばらくおまちください。


 

 日本語でファンと書いても、似たような

音の英語は複数あるようで皆さんが

想像している fan とは別の ファン も

紹介します。わたくしも発音が悪いので

相手に通じずにとんちんかんになった

苦い思いでがあります(笑)

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fun  ファン(fʌn)楽しみ、喜び、面白さ。

(名詞だけど冠詞が付かない。)

 great fun ,  not much fun ,What fun,

having fun, a bit of fun,

 

https://ejje.weblio.jp/content/fun

https://en.wiktionary.org/wiki/fun

 

古いことばですが ”Fun City”

 (米国ニューヨーク市)という

呼び方もあったようです

こちら(fun)の方が日本人の発音の

ファンの音に近い?ようです;

 

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似たような音の単語で

fern (fə:n)  (植物の)シダがあるのですが

 

https://ejje.weblio.jp/content/fern

私の場合発音が悪く、この意味に

間違われた事があります(笑)

 

 

*************************

"聖子さんのファン"というとき

実はファンヒーターのファンと、

同じ綴りで同じ発音ですが、

語源が2つで意味も別々です。

 

fan ( fæn )  1 扇風機。送風機。換気扇。
動詞で 煽いで炎上させる、三振に打取る という

意味もあるようです。

https://kotobank.jp/ejword/fan

語源はラテン語  vannus(箕)。

 

 

folding fan ,hanheld fan;扇子という

ことばもあります。

 

 

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fan ( f æn ) 2    特定の人物や事象に対する支持者や

愛好者のこと。 fanatic (熱狂者) の短縮形。
-----

fanatic ラテン語 fanaticusが語源で

「霊感を与えられた」→ 熱狂者、 狂信者

https://www.etymonline.com/word/fanatic

 

http://wordinfo.info/unit/799/ip:1/il:F

 

fanum  fane ラテン語の寺院、神聖なる場所?

https://en.wiktionary.org/wiki/fanum#Latin

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そういえば ファンティックということばは
実に美しい響きでわくわくすることばですが
何を隠そう、30年前に聖子さんがご家族と
考えて作ったことばなので、それもそのはずです。
 FANにも通じるし、ファナティック(熱狂)、
ファンタスティックにも響きが似ているので
聖子さんにぴったりのことばとえいえますね;


 そのファンティックも今年で30年。
その道のりは決して平坦なものではなく、
当時の事を思い出したくはありませんが、    
   聖子さんに害をなした人々は必ずや
歴史の審判を受け、後世のひとに厳しく
断罪されるのではないでしょうか;

 返す返す無念なのは、誹謗中傷による
心労が祟って命を縮めた感がある御父様
のことです。それでも一子さまが健在であ
る限り聖子さんは、負けることなく、その
命脈をたもち続けてきたとも言えそうです。
 私は聖子さんに意地悪をした人々が
地獄に落ちるのではないかと心配して
います。

 今年のニュースで衝撃的だったのは
会長職の一子さまが正式に役職を、
退いたことでした。冷静に考えれば

樹木希林 さんよりも十歳以上年上

ということで、いくらお元気とはいえ
会社の経営から距離を置いて
見守りたい気持ちも自然な
感じがします。


 なにより大切な事は聖子さんが年々
若くなっていくこと!この私も聖子さんを
見習って健康な人生を目指したいと
ころです。