夜の寝る前のわたしの日課は
頭の中をよぎるもの、
気になるものがあったら、

すべて

を感じ切って統合すること🌈



心ってどんなことも、
すべてを感じることができる
繊細なもので

幸せなこともそうでないことも
自由に感じて受け取ることができる


誰かに大切にしてもらいたい、
誰かに認めてもらいたい

↑心の動き


そう思う時こそ自分の心の動きに
意識を向けて

すべてを自分自身が認めて、
受け入れてあげる




そうやって一つ一つをほっときたくなくて



自分自身は、

自分のこの手で、
感触で感じてあげることしかできない。
自分自身を研ぎ澄ませておきたいのです




だれかがどんなに大切にしてくれていても。。

自分が自分という存在
湧いてくる感情のすべて
を認めていなかったら。
気づけていなかったら。




その相手からの深い愛も
受け取ることもできないなぁって。

そんなことをいつも内側で感じています





自分のことを大切にできたら、
大切な人のことを大切にできる


大切な人を大切にしたいと思うなら、
まずは自分の思いのすべてを大切にするところからはじまる。


どんな状況におかれている
自分を信じてあげることができたら、

どんな状況にある
大切な人も、信じてあげることができる。


これがイコールとして、
このイコールが、世界中に溢れたら、



調和。


ワンネス。


無条件の愛。









そして
物事を良い や 悪い

と、ジャッジすることも手放しています

それは地球次元のもので、
本当の自分や、宇宙にその概念はないから。




こういう時の自分はいい、
こういう時の自分はわるい、


と自分自身を見ていたら、
自分以外の人にも同じように見てしまう。

自分の世界はジャッジの世界に、なってしまうんだよね。





もし、"すべて選べますよ〜"って
宇宙が言ってくれてるとするなら、
わたしはジャッジがない世界を選びたい


だから、自分にジャッジをすることを手放した。✨




どんな自分も愛するよ、
どんな自分も受け入れるよ、

っていつもインナーセルフに伝えています



もしジャッジをしてしまったとしたら?



素直にごめんね、
そういう自分がいたことを認めるね

って気づいてあげる。
ジャッジを手放していても、
ジャッジしてしてしまった自分と出会ったら
それすらも手放して、受け入れる。

またやっちゃった。ダメだな。
なんてこともないの。






すべてを認めるということは、
我慢して受け入れることとまた意味が違う

エネルギーも全然違うの



だから、本当の心底からOKを
気持ちよく言えるまで自分との対話している
それも難しいなぁと感じたら、

難しさを感じてる自分も気持ちよくOKと
思えるように寛大でいたいんです。





わたしはね…
すべてをゆるせるようになりたいとおもうのです



気になるものはすべて気づいて、感じて
どんな感情も認めてうけいれてを繰り返しています



認められないことも、認める。



認めるから、いい
認められないから、わるい



そういうことでもないんです。







ぜんぶを、
ゆるしてあげる、ということなの


すべてが、そうなんだね。いいね。
そう心から思える自分でありたいなぁって。





わたしの内側はむかし戦争ばりに
争っていて真っ黒だった。


自己否定、悲観的で、いつも泣いて
辛くて苦しいなぁってよくおもってた。
重たくてね、、

それでも、
そんな自分もOKなんだけど。


今の自分の内側はどうかなぁ?って感じると、

やわらかくて、
白で細かいラメみたいにサラサラしてる感じが
しててすごく心地よくて
小さな内側の宇宙として存在している感覚



心地の良い自分でいつもいたいし、
内側の自分もいつも心地よくいてほしい

だから、わたしはこのやわらかなフローのような空気のような感覚を大切に育んでいます



みんなはどんな内側を創造し、
どんな自分でいたら、心地よいかな?🗣✨









想いが溢れる夜は、
何も考えずにブログを更新するのも
いいのかも🌟


家には、時計も、テレビもなく
窓があって外が明るいくらい、
空気が気持ちいい、とか
五感で過ごせるような空間だから、
溢れちゃうんだよね。


寝る前はかならず自分と繋がっています
大切で愛している自分自身への愛を示すものは
歩み寄り。

それは、人間関係にも同じことが言えるよね。
ハートを開いて欲しいなぁとおもうなら、
まず自分がハートを開く。






おやすみなさい。😌🌔✨



ありったけのひとり言に


愛を込めて










Dana