当たり前のことを当たり前に
最近の生徒の皆さんを見ていて感じることは、挨拶はできるし性格の良い生徒が集まっているなと、「1年生皆さんは出来が良い」が教師としての感想です。
ただ同時に克服するべき点も2、3あると感じます。
皆さんを鍛え大人として成長させるために教師としての要求があります。
1年生の皆さんに要求することは
1 朝のホームルームの時間
・机にうつむかず、また眠らずに教師の話を聞くこと。
・自分勝手な私語をしないこと。
・教師に同じことを何度も言わせないこと。
・宿題等の作業をしないこと。
担任は皆さんにとって必要な話をしているのです。
2 提出物は期限までに出すこと。
言うまでもなく当たり前のことです。
期日を守れない人間はどのような社会、集団、職場などで信用されません。
3 帰りのホームルームの時間
全員そろって静かになったら始めます。
4 公共物の学校の机に私物の教科書類を置いて帰らない。
5 掃除は自分で考えてきちんとする。
・掃除監督の教師がいないからしない。
教師が指示しないからしない。
人より働くのは損だなどと考えている間は、職場では使いものにならな いと思います。
・学校生活は全てが自分の訓練の場所なのです。
6 教材を持ってくる。
山に登るには登山道具(登山靴、水筒、ナップサック他)が必要です。
野球をするのにも道具(ボール、バット、グローブ、ヘルメットな)が必要です。
授業を受けるのにも当然道具は必要です。教科書やノート、練習帳などが必要です。
教科書なしで授業を受けるのはもってのほかです。
どれをとっても当たり前のことです。
一人一人が気持ちよく学校ですごせるように生徒の皆さんの協力をお願いするものです。
「人間は考える葦(あし)である」パスカルの言葉
古来、人間の定義は、さまざまになされてきました。
学問的には、霊長目ヒト科に属するホ乳類、ホモ・サピエンス(知恵ある人)。
「人間は社会的動物である」
と言ったのは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスです。
「人間は半ば社会的、半ば孤独な存在だ」(ラッセル)
「人間は、どんなことにでも慣れる動物だ」(ドストエフスキー)
デカルトは「心をもった機械」といい、20世紀オランダの歴史家ホイジンガは
「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)と名づけています。
「ホモ・ファベル」すなわち作る人、という言葉もあれば、
「生産する動物」「道具を使う動物」ともいわれます。
「裸のサル」と言った人もいます。
しかし、人間を表現したもので、最もよく知られているのは、
フランスの哲学者パスカルの次の言葉でしょう。
「人間はひとくきの葦(あし)にすぎない。
自然の中で最も弱いものである。
だが、それは考える葦(あし)である」『パンセ』の一節です。
「人間の尊厳のすべては、考えることのなかにある」
「考えが、人間の偉大さをつくる」
とも書いていますが、パスカルは、物事を実に徹底的に考え抜いた人でした。
彼は、人間についてこう言います。
「すべての人間は幸福を求めている。
これには例外がない。
その手段がいかに 異なっていようとも、みなこの目的に向かっている。
意志は、この目的に向かってでなければ、一歩も前へ進まない。
これはあらゆる人間の、みずから首をくくろうとする人に致るまでの、あらゆる行為の動機である」
人生の目的は幸福であるとした上で、パスカルは真の幸福を考察していきます。
そして彼は、人間が幸福になるには、死の問題を克服し、来世での幸せが保証されなければならない、と確信します。
「死んだら死んだときだよ」
とウソぶき、まじめに死を考えようとしない輩は、
パスカルに言わせれば”人間じゃない”のかも知れません。