これはオレが若い頃から好きだった茨木のり子さんの詩です。

  【自分の感受性くらい】  茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたし


初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもがひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄




これは茨木さん51歳の時の作品で、彼女はその2年前に四半世紀連れ添ってきた最愛の夫を失くしている・・

なのに何という✨希望に満ちた詩であろう

若きオレは一つ一つの言葉にまるで「うん」「うん」と頷くように食い入ったものだった・・

しかし、年齢を重ね現在(いま)この作品を目の前にすると、何と茨木も若かったことか・・

いや、そもそもが詩人が詩を書くために文字を重ねた詩であることが手に取るように分かる。

あるいは彼女が自分自身に向けたエールだったのかも知れないが、ぱさぱさに乾いていく心に明らかに気づいても自ら水やりを出来ないことは茨木さん自身が誰よりも感じ分かっていたはずである。


そして、この歳になって若い頃はさほど気にも止めなかった茨木さん73歳の作品が胸に突き刺さる・・


  【倚(よ)りかからず】  茨木のり子

もはや

できあいの思想に倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教に倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問に倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの二本足のみで立って

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ




詩人ではなく人間・茨木のり子さんがそこにいる(それを詩人というのなら全く否定するつもりはないよ〜)

歳を重ねるということはどーいうことなのだろう?

全然分からないね〜

今日、朝ホッとした小さなことがありました。

それでいいんだよ・・ね