このブログはSNSをほとんど更新しない男子大学生(22)が新年の思いつきで始め、大学卒業を目前にして思う事を書き連ねるだけの怪文書集である。卒業まで各月一回、第三回までを予定している。「誰も読むワケないし、もう卒業なので自由に書く。』そんな捻れた思い出書かれた若年期備忘録でもある。
第二回。
中畑弾です。
早いもので前回からもう一ヶ月。
前回のブログが、意外に好評で嬉しい。自分の自己満足が思いもよらぬ人にまで届いていたりしてさらに嬉しかった。
図に載る事なく、これまで通り行きたいと思う。
いよいよ残すところ最終回のみとなる。
次回の最終回の内容は、もちろん卒業について書こうと思う。卒業式の前後どちらに投稿するかはまだ未定で、ストーリー性的なものを考慮しようと思っている。
よろしくお願いします。
このブログではずっと、自分の好きなモノやら、価値観やらそういうものの押し付けにならないように文字を打っている。
自分に優れた何かがあるわけではない。
それは重々理解している。
SNSに何かを載せたりするときも同じ気持ちでいる。
投稿が自分のエゴになっていないかとか、そんなムダな事を考える。(またSNSの話)
「その割には演奏動画ばかりですが、その件についてはどうお考えですか?」
そんな質問が投げつけられそうな気がするが…
前回も行った通り、せっかくフォローしてくれた人への申し訳なさからくる、せめてもの投稿である。許してくれるとありがたい。(SNSなんて「ジコマンでいこう!」)
さて、ここで話は変わる。
最近、ちょっと本気で音楽と向き合おうかなというきっかけがあって、音楽を作る環境と機材をある程度、揃えた。
そのきっかけについて。
いつのまにか気づけば、自分より歳下のタレントや同じ歳のアーティストがテレビやら雑誌やらで活躍しているのを見て、「自分と生きた年月はあまり変わらんのにすごいな」と思うことはなかろうか。
おそらく、誰しもが一度は感じたことがあると思う。
それである。それが自分にとってはたまらなく悔しかった。悔しいのである。
もっとやれることはやらねば、何をしているのだ、突き詰めねばとそう思った。
大石昌良のように杉山勝彦のように、田淵智也のように…尊敬する音楽クリエイターみたくなりたいし、あのアーティストみたいになりたい。若いうちに出来る限り才能ある人たちに近づきたいと思った。
なんの映画だか忘れたが「才能があってもやる気のない奴は家でゴロゴロしてる。」
なんでセリフがあった。
正直に言うと、才能ある人たちがゴロゴロするのをやめて本気を出し始めたら…コワイ。
もう何においても勝つことができなくなる。
だからずっとゴロゴロしていて欲しいと思っているのは性悪だと思われるので、秘密なのである。
また、『音楽』というものは自分の中で、もう切り離せないくらい大きく育ってしまった。音大へ進むべきだったかなとか思う時もあった。
しかし、今の自分ができたのでは間違いなく今まで選んだ道の上で出会った人たちのおかげであって、さらに言えば全て正解の道を選んできたと心から感じている。
関わった人にはお礼を言いたいし、大学での卒業式は、お礼周りのための時間に使おうと思っている。楽しみだ。
またさらに言えば、もっと華のある世界に飛び込みたい気持ちがないわけではない。
音楽家への夢を諦めたワケでもない。
優先すべき事項が変わったのだ。
今でもあのアーティストと同じステージに立ちたいし、毎日クリエイティブに生きたい。今だって本気でバンドに誘われたら…ヨシ分かった!と内定を辞退して音楽家へ進路変更をする自分が居そうな気がする。というか居るだろう。
自分達で産み落とした音楽を売って、稼いだお金で買った白米に、博多明太子をのせてたべる幸せは如何程のものだろうか。想像するだけで無限に努力できる気がする。(アレルギーでTKGが食べられない!)
実は、前回書いた『自分の納得するギリギリのライン』というものは明確に定めている。
それは、「何事においても平均以上」であることであります。
それだけを目指してやってきた。(つもりでいる)
これは別に、他人の上へのし上がって見下してやろうだとか、優越感のお風呂に肩まで浸かって心の芯までぽっかぽかなんて事を言いたいわけではない。
そうしないと自分が何もできないクソ人間なのではないかと自暴自棄になってしまう気がするからなのだ。
音楽はそんなモヤっとした気持ちを埋めてくれてた。
そんなわけで、死ぬまで終わることのない旋律の旅路は、既に歩み始めているワケである。
まぁ兎にも角にも、いつか別の形で会えるように精進していこうと思う。(ただし、気は変わるものである)
さて、前回よりも個人的な話ばかりのこの内容に飽きずに文字を追う人たちはどれくらい居るだろか。
最後のなので全て書き残したいという気持ちから超個人的になった。(第一回目から超個人的ブログであるのに変わりはないが…)
ここまで読んでくれる人は、なんとなーーく見当がつく。
その見当のつく人達は、自分に刺激を与えてくれた人が思い浮かぶ。まさに、そこの君だ!ありがとう。🦑
さて、大学へ行くコトはもうないワケであるが、これは本当に寂しい。
何ヶ月も前に会った友達にはすでに「卒業式で会おう!」と言っていた。
これはキツい。こたえた。
大学にいる人達全員が同じ会社に就職する未来戦があれば面白いのになと思うこともある。(もちろん、そんなものはない)
あと少しの学生生活はトントコトコトン楽しまなければならん。
さてさて、ここでも話は変わる。
なぜなのかは分からない。
だが毎年、年に一度、その時期はやってくる。
変化を迫られる時期、このままではいかんと思わされる出来事が起こる季節が来る。
『夏』、である。
毎年なぜか、それも夏に、コテンのパンに自分の未熟さを思い知らされる出来事やきっかけがある。
圧倒的な力の差で、後ろから蹴り飛ばされるような
そんな悔しい思いをする、時期が来る。
しかしここ最近、特にこの二年間は自分でも凄まじい変化を遂げたと感じている。全てにおいて磨きがかかった。夏のおかげである。
酸いも甘いもの噛み分ける、夏。
うむ。嫌いではない。🦩
※『夏』にはいったい何があるのかと不思議に思われたかもしれないが、当人もあまり覚えていない。そういったきっかけがあるのが毎年たまたま「夏」なだけなのだと思う。
そんな時期が来るたびに、やはり自分の原動力は悔しさなのだと思い知る。
これからもずっと悔しさを武器に変えて、平均以上を目指して戦っていけたらと思う。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
その通りだと思うのだ。
しかし、ぶっちゃけたところ、そんなことはどうだっていいのだ。
結局、他人は他人で、自分が満足して死ぬことができるなら他人を気にする必要は全くないのである。常に自分が最高だと思えば人生、めちゃくちゃに楽しめるのは間違いないことだろう。
ノンストレスのままで死ぬまで生きたい。
終わりに…
長くなってしまった。無駄なことばかり書いている。だが、その無駄が「良い」のでもある。
無駄なことは楽しい。ドンドンしていきたい。
SNSやら動画サイトやらを巡りきってしまって暇している退屈な時間に、このブログがそっと入り込めたなら、嬉しい。
さぁいよいよ残すところは卒業。
また一ヶ月後に会おう。
パンデミックな世の中だ。十二分に気をつけてくれ。
では、また。