小佐野彈の虹の短歌日記

小佐野彈の虹の短歌日記

歌人集団「かばん」所属、台湾在住のゲイの歌人、小佐野彈(おさのだん)のブログです。

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気が付けば、一か月以上、ブログを更新できていませんでした。


といいますのも、この一か月は、とにもかくにも出張ラッシュ。


日本に二回、タイに一回、しかも日本国内は移動ばかり…とかなりハードでした。


僕は、台湾という海外に暮らしているにもかかわらず、台湾のことを詠った短歌があまり多くありません。


同性愛というテーマについて、ついつい優先して作品に取り入れてしまいがちで、自分にとっての第二の故郷である台湾についてももっと詠っていかなければいけないなぁ、と思う今日この頃。


僕が所属する「かばん」誌に掲載されている、ここ一年ほどの自分の発表作品を見てみても、台湾の歌はとても少ない。


ちなみに、2014年11月号に、



水槽の底の砂漠に憩ひつつ蛇はとぐろを左に巻きぬ 



という一首を載せたのですが、これはじつは台湾の光景を詠った歌です。


僕が暮らす台北市は、西側に龍山寺という古い有名な寺院があり、その近くに、「華西街夜市」という夜市(ナイトマーケット)があります。


この近辺には、男性向けの安価な性風俗店が数多くあるのですが、これらの店に行く男性たちの精力剤として、この夜市では多くの店が蛇料理を提供しています。


日本からの来客をつれて、この夜市を案内しているときに、蛇料理屋の前を通ると、砂が敷き詰められた水槽の中の、一匹の大蛇と目が合い、その大蛇について詠ったのがこの一首でした。


この大蛇は、おそらく食用ではなくて、あくまでも観光客へのアピールとして展示されているようでしたが、その姿がとても優雅で、心惹かれるものがあったのだとうっすら記憶しています。



クリスマスイルミネーションあかあかと死を待つひとの辺に影を生む 



という一首も、2014年12月号に載せました。この一首は、一見ではまったく台湾の要素はないのですが、これも我が家の近所の風景を詠ったものでした。


台北の我が家の近所には、国軍の総合病院があり、この病院は台北市でも最大規模の病院で、地域の中核医療を担っています。そして、我が家の近所の重篤な患者は、みなこの病院に担ぎ込まれ、この病院で息を引き取るひとが数多くいます。


この病院は、クリスマス近くになると、正門付近がきれいなクリスマスイルミネーションで彩られます。この歌が生れた日は、たしかクリスマス少し前で、車を運転して家に帰る途中でした。病院の正門の前を通ると、明るいクリスマスイルミネーションの横を、猛スピードで救急車が走り抜け、病院の中へ消えていきました。


日々命が生まれ、日々命が終わる病院という場所。その場所のイルミネーションの明るさと、その場所が孕む影というものを、どうしても一首に残したかったのだと思います。


もちろん、これ以外の多くの歌も、台湾という場所に暮らしていなければ生まれえなかった歌です。直接的に台湾という場所が明示されたり、あるいは暗示すらされていなかったとしても、やはり台湾に暮らしていなければ生まれえなかった歌がほとんどであると言えるでしょう。



さて、冒頭にも書いた通り、この一か月、僕は出張ラッシュでした。かなりの回数飛行機に乗り、さまざまな風景を見て来たはずなのですが、それぞれの土地の風景を旅の歌として残しているかと言われると、あまり多くはないのですが、たしかに残しています。


たとえばウィーンの歌。


照らされてオペラ座凛としてあれば隣に君がをらぬことなど 


君らしくあれと言ひすて旅立ちしわれを恨んでゐるかあなたは


大熊座小熊座ならびこの街の空がやうやく暮れてゆくなり 


海のない国なりここは淡水魚ばかりが泳ぐメニューも愉し 



あるいは、大好きだった前の彼氏と別れる直前、夏恒例のザルツブルク音楽祭へ行ったとき。出発前にはなんとなく別れの予感があったのか、妙に悲しい歌が多い時期なのですが、


汝がために歌をのこして去らむとす一首とびきりやさしい歌を 


という一首がありました。長い旅の前に、せめて彼に会いたくて、彼の家に行ったのだけれど彼はいなくて。そして彼のデスクの上に、鉛筆書きで一首の歌を残して旅立ったことを思い出します。今となれば、ちょっと恥ずかしくて赤面ものですが、前の彼に対しては、こうして折々に歌を残していました。なかなかいい歌だったような記憶があるけれど、その旅立ちのときの一首は彼に捧げてしまったため、もう一文字も思い出すことができません。


モーツアルトの故郷、ザルツブルクでは、


アマデウス少年微かにはにかみてザルザッハ川渡りてゆけり


身にしみてゆく音どれもゆふやみの似合ふ金管楽器のファ・ソ・ラ


という歌も生まれました。前の彼は昔ホルンを吹いていたので、僕はオーケストラやオペラを鑑賞するたびにホルンの音色ばかりを追ってしまっていたことを思い出します。


昨年の僕の誕生日を、前の彼氏が祝ってくれるというので、当時彼が暮らしていた福岡に一泊で行くときの歌は、それはもう顔から火が出るくらいの恥ずかしさです。


チケットを失くさぬやうに握りしむ君に会ふためのものと思へば


出発の遅延伝へる放送を恨めしく聞く 早く、早く飛べ


あの頃は幸せだったな(笑)



だいぶ本題から逸れてしまいました。


さて、元来、旅と歌というのは非常に相性がいいものです。


多少短歌を齧っている人だと、「旅」と言われて思いつく歌人は若山牧水でしょうか。


社会人になってからの人生の五分の一を旅に費やし、常に非日常を求め続けたと言われる牧水。牧水の数々の旅行詠は、僕も大好き。そして、写真を見る限りでは、近代歌人の中では最もゲイ受けしそうなイケメンでもある(笑)


一方、近代の女流歌人の中で、旅といえば、僕にとっては与謝野晶子です。


というよりも、晶子のあまりにも有名な一首、


ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟 /与謝野晶子


です。


フランスにいる鉄幹を追って、はるばるフランスにまで来てしまった晶子。一か月を超える航海を経て恋い焦がれる鉄幹のもとへとたどり着き、彼とフランスの燃えるひなげしの野に立った時の感動は、なけなしの貯金を叩いて飛行機に12時間乗ればフランスにたどり着けてしまう現代人のわれわれには、想像することすらできないほどの凄まじい感動であったことでしょう。


愛する人に会うため、一か月以上の時をかけて、船で会いにゆく。12時間の飛行時間ですらやきもきしてしまう現代人の僕にとっては、もし一か月以上もかかるとしたら、彼への思いが溢れすぎて、もはや一言のことばも出てこないかもしれません。


河野裕子さんは、たしか「作者の感動の大きさと歌の出来ばえは反比例!」と言っていたのですが、この歌は、感動の大きさと歌の評価が比例した、貴重な一首かもしれません。もちろん、それは与謝野晶子という類まれな素晴らしい才能を持った歌人であったからこそ、その凄まじい感動をこうして見事な一首に仕立てることができたのですが。



一方、僕の大好きな歌人である永井陽子さんは、実際にはゆくことのなかった場所の光景を詠い、その場所への深い愛慕をあらわしました。これまたあまりにも有名な一首、


ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり /永井陽子


です。2000年に48歳の若さで突如この世を去ってしまった彼女にとって、肉体的にも経済的にも、おそらくアンダルシアはとてもとても遠い憧れの地であったのでしょう。その遠さ、手の届かさなゆえに、このとてもそぎ落とされた一首からは、アンダルシアのひまわり畑へのとてつもない思いが迸ります。


しかしやはり、上掲の晶子の雛罌粟の歌は、群を抜いて輝きを放ちます。


おそらく、この歌を超えるほどの旅行詠は、もう生まれないのではないか、と思えるほど。


携帯電話があり、インターネットがあり、ジェット旅客機がある世を生きる我々にとって、もはや「旅」は非日常ではなくなってしまったのでしょう。そして、世界はあまりに近くなりすぎた、とも言えるでしょう。


かつてはその地に赴かなければ決して見ることができなかったアンダルシアのひまわりは、永井陽子の頃には、書店で写真集や旅行ガイドを購えばカラー写真が見られるようになっていたし、そして現代のわれわれは、Googleで「アンダルシア ひまわり」とでも画像検索すれば、おそらく高解像度のアンダルシアのひまわり畑の画像が五万と出てくる。


言葉の切れ味が勝負の俳句と違って、短歌にはどうしても、熟成のためのある程度の「時間」が必要だと思うのですが、言葉が熟成されるための「時間」が、現代には、足りないのかもしれません。


だって、それがデジタル画像であるとしても、やはり「アンダルシアのひまはり」の画に、1秒で辿りつけてしまう時代なのですから。


たとえどんなに僕の作歌技術が奇跡的上達を達成したとしても、僕が詠むフランスの歌が、晶子の詠んだフランスの歌を超えることはあり得ません。だって、そこにたどり着くまでの、さまざまな「時間」の次元がまったく異なるのですから。


もしこれから先、この晶子の歌を超える旅行詠が生れるとしたら、それはひょっとしたら・・・月、火星あるいはスーパーアースへの旅の歌、になるのかもしれません。


火星で研究活動に勤しむ彼に会いに行く…なんて歌が、そう遠くない未来に、「実感」と「リアリティ」がある歌として、評価されるようになるのかもしれません。