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小佐野彈の虹の短歌日記

歌人集団「かばん」所属、台湾在住のゲイの歌人、小佐野彈(おさのだん)のブログです。

昨晩は、久しぶりにかなりお酒を飲みました。午前5時まで。


良くないこととはわかりつつ、酒を飲んでいると、ついつい煙草の量も増えてしまい、起きると喉がイガイガしてしまいます。


台北は、ようやく肌寒い日々が終わりを告げて、この週末からは毎日快晴、26度という、日本よりもずいぶん早い初夏を迎えています。


台北は南国台湾の中では北部に位置しますから、気候的には亜熱帯。以前にも書きましたが、熱帯雨林気候の南部と比べると、台湾の中では四季がしっかりあります。この「亜熱帯」というのは、ケッペンの気候区分には存在しない定義で、かなり恣意的に使われている言葉なのですが、概ね北緯25度~30度の、通常の温帯に比べて暖かい地域の気候を表すのに使われる言葉となっています。


亜熱帯気候は、1月~3月初旬の、いわゆる冬の時期の気温差が大きく、風邪をひきがち。台北も、真冬でも晴れれば25度以上の夏日となることも多いのですが、日本や大陸からの寒気団が南下してきたときに雨が降ると、夜の気温は、10度以下になることもあります。


今週も、木曜日は12度まで下がったのに、その翌日の金曜日が快晴で24度。そして今日土曜日は26度。この気温差の中で過ごしていると、どうしても身体が付いていけない。


ただ、一昨日までの寒さは、いよいよ冬将軍の最後の足掻きで、昨日からは本格的に初夏に突入したようです。


僕の寝室のカーテンは閉まりが悪くて、朝方になると外の光が隙間から差し込んで来るのですが、その光もすっかり初夏の日差しです。


お酒と煙草のせいでイガイガした喉の不快感と、カーテンから漏れる強い日差しのせいで、朝5時まで飲み明かしていた割には、今日も午前中に目が覚めてしまいました。


そんな手持無沙汰な朝は、ついついこうしてパソコンに向かい、ネットサーフをしてしまいます。


そして、そんなネットサーフィンの途中で、ふと、「あ、今年の宮中歌会始の御製・御歌・詠進歌読んでいないな」と思い立ち、宮内庁のホームページから、今年の宮中歌会始のPDFファイルを開き、読みました。


昨年まで選者を務められていた岡井隆さんが、今年より選者を退かれて、両陛下ならびに皇族方に和歌の指南やアドバイスをされる御用掛に専念されることとなりました。そして、すでに選者となられている三枝昂之さんの奥様の今野寿美さんが、新たに選者になられました。


今も選者を務められている「塔」の前主宰・永田和宏さんも、2008年から2010年にかけては奥様の河野裕子さんと共に選者を務められましたが、2010年に河野さんが64歳の若さでお亡くなりになってからは、おひとりで選者として残られました。永田さん・河野さんご夫妻につづき、また三枝さんと今野さんというご夫妻が共に選者を務められることとなります。


今野さんのご著書『短歌のための文語文法入門』は、文語歌を詠む若手歌人にとっては必携の書だと個人的には思っていて、僕も作歌の現場でずいぶん助けられています。また、今野さんの厳しくも切れ味のいい日本語で書かれたエッセイや、女性性と端正な古典文法が著しい魅力を放つ短歌も大好きですので、今野さんの歌会始の選者詠を読むのも楽しみでした。


しかしなんと言っても今年のハイライトは、昨年末に成年皇族となられた佳子内親王殿下が歌会始にはじめてお歌を寄せられたことかもしれません。


今年の詠題は「本」。


佳子さまが歌会始にはじめて寄せられたお歌は、



弟に本読み聞かせゐたる夜は旅する母を思ひてねむる /佳子内親王殿下



というお歌でした。


佳子さまは、昨年のご成年に際する記者会見でも、ご自分の言葉でとてもはっきりと意見を述べられ、ファッションやライフスタイルも独自の道を貫かれており、非常に開明的で意志の強い、新しいスタイルの内親王であられるとお見受けします。そして、その点が多くのひとを魅了しているようです。


母君の紀子さまがご公務でご不在のおりに、弟君の悠仁さまに本をお読み聞かせつつ眠りにつこうとしておられるという、非常に穏やかな日常の風景をお詠みになったお歌ですが、このお歌にも、そのお人柄がよくにじみ出ているように思います。


このお歌、「弟に/本読み聞かせ/ゐたる夜は/旅する母を/思ひてねむる」と、二句目から三句目にかけては句またがりになっているのですが、宮内庁ホームページで公開されている昭和22年以降の歌会始の記録を見るかぎり、宮中歌会始の詠進歌でこうした動詞・助動詞の句またがりを用いた皇族の方は、佳子さまが初めてであるように思います。


文語助動詞を巧みに使いながらも、斬新な現代短歌的な手法も使い、余計なことを言わずすっと下句を締められていて、ありのままを素直に一本気に歌われた、魅力的な一首であると感じました。


なるほど、来年からも佳子さまのお歌を拝読するのが楽しみだな、と思わせられます。



ちなみに、選者となられた今野さんの歌は、



秋の気の音なく満ちて指先に起こしては繰る本こそが本 /今野寿美



という歌。



結句の大胆な言い回しが魅力的です。秋の気配が音もなく満ちてくるころ、書斎あるいは居間で、1ページ1ページ捲っていく…という風景を呼び起こす描写のあとに、「本こそが本」! 和歌の総本山たる宮中での歌会ゆえ、正道の歌、言い方を変えればやや無難な歌が多い中で、「本こそが本」! 今野寿美さんらしい素敵な一首と思いました。



1993年以来、二十年以上に渡って宮中歌会始詠進歌選者を務められた岡井隆さんの名前がないことには、来年以降慣れてゆくでしょう。


岡井さんといえば、前衛短歌の三雄として、塚本邦雄・寺山修司とともに戦後の日本の歌壇を引っ張ってきた大人物です。


戦後、第二芸術論などが台頭する中で、短歌は前近代的な封建主義の残滓たる「奴隷の韻律」として徹底的に叩かれ、「短歌廃止論」まで喧しく叫ばれました。そんな中で、塚本邦雄・岡井隆・寺山修司らによる前衛短歌運動は、現代詩的なレトリックと、ナショナリズムや反権力などの思想性を短歌に導入することで短歌を前衛芸術にまで高め、ある意味では短歌を危機から救ったと言えます。


前衛短歌運動に対する是非は置いておくとして、現代の歌人のほとんどは、その存在や思想、あるいはその理論を意識するかしないかに関わらず、少なからずこの三人からの影響を受けていると思います。


そんな「前衛短歌の旗手」たる岡井さんが1993年に宮中歌会始の選者に就任するにあたっては、菱川善夫をはじめとした前衛短歌を評論・理論の面で支えた人々から、凄まじい批判がありました。


いうなれば、短歌を「奴隷の韻律」から解放した張本人が、「奴隷の韻律」の総本山たる宮中に仕えるとは絶対にならぬ、ということでしょうか。


しかし、僕は岡井隆さんが宮中歌会始の選者を務められたことは、平安以来の古典「和歌」と明治以降の近代「短歌」の分断の解消というテーマを投げかけたという点においても、非常に価値があったと思いますし、日本の歌壇の最も保守的な部分であり且つ日本の歌壇のコンプレックスの源である「宮中」に、前衛短歌の旗手たる岡井隆さんが、ある意味で「乗り込んで」行ったのは、とても大きな意味があったと思うのです。


今でも、Wikipediaの「短歌」の項目は、「和歌」とは別に設けられていて、近代短歌と古典和歌は「別モノ」として扱われているのですが、この31のモーラによって構成される詩形自体は1400年に渡って連綿と続く詩形であり、その手法やポジションあるいは背景にある思想が変わろうとも、やはり「短歌」は最終的には「和歌」であると考えます。


歌枕や縁語と言ったような和歌独特のレトリックが否定され、和歌が「近代短歌」として成立しはじめた明示以降、そこが完全に分断し、現代詩としての要素も包含した「短歌」としての決定的な完全独立(と言うのは正しくないかもしれませんが)を果たしたのは、やはり戦後の前衛短歌運動によるものと思います。


たしかに「短歌」が「和歌」と道を分かち始めたのは明治時代ではありますが、戦後、「奴隷の韻律」たるこの詩形を、廃絶の危機からなんとか救うためには、「宮中」という場所との縁を断ち切る必然性があり、そこで決定的な役割を果たしたのが前衛短歌運動であると思うのです。


以来、「短歌」の世界は、是非両面で、「宮中」という場所を意識しつづけ、その厳然たる存在感に対して時に刃向い、時に阿り、常に距離感を測り続けて様子をうかがっていたのではないかと思います。


その場所に、1993年に前衛短歌運動の旗手たる岡井隆さんが乗り込んでいった。


これはある意味で、たとえハレーションを起こそうとも、戦後の短歌が抱え続けた「宮中」という権威に対するコンプレックスを総決算しよう、という試みだったのではないでしょうか。


花鳥風月を古典文語調で詠う宮中の和歌の世界に、岡井さんは「短歌」のエッセンスを持ち込み、それが結果として上に掲げた佳子さまのお歌にもつながっている。


岡井さんが宮中に乗り込んだことによって、皇族方のお歌にも「短歌」的な手法やエッセンスが見られるようになり、和歌と短歌の分断が、少しずつ解消されつつあるのではないか、と思うのです。


それに対して是非はあるでしょうが、僕自身は、この分断の解消もまた、短歌が経るべきひとつの必要な過程なのではないか、と感じています。前衛短歌運動が、戦後の新秩序の中で短歌という詩形を「奴隷の韻律」という誹りから守るための必然であったように、この分断の解消という過程もまた、戦後の短歌史の中の必然となっていくのかもしれません。


僕自身は、ゲイであり、同性愛や同性婚といったテーマや、現代社会における性的マイノリティーの立場をテーマとした歌を多く詠むわけですが、岡井さんが宮中に乗り込んでいったことによって、今後こうしたテーマも宮中歌会始で詠進されるようになるかもしれないし、ひょっとしたら将来、オープンな性的マイノリティーの歌人が選者となる日が来るかもしれない。


かつての日本の古典和歌には、同性の小姓や同性の思い人に対する相聞詠ともいえる歌があったわけですし、今後の宮中で展開される「和歌」の世界にも、そうした潮流が再び起こることもあるかと思います。


最後は余談になりますが、岡井隆さんは、現代歌壇における、貴重な慶應義塾出身の歌人です。


我が母校、慶應義塾は、こと文学においては、完全にライバル早稲田の後塵を拝しています。完膚なきまでに。


数々の有名歌人を輩出し、歌壇の一大勢力となっている早稲田短歌会に対抗して、慶應でも慶應短歌会が作られたようですが、ウェブサイト等見る限り、完全に有名無実化してしまい、活動はしていないようです。


今の歌会始の選者も、五名中、内藤明さん、三枝昂之さん、篠弘さんの三名が早稲田のご出身のはず。


また、佐佐木幸綱さんをはじめ、俵万智さんや加藤治郎さん、道浦母都子さんや小島ゆかりさんや米川千嘉子さんなど現代を代表する歌人の皆さんも、ことごとく早稲田のご出身です。


歌壇を見渡してみると、本当に岡井さん以外は慶應義塾出身者がいない。


これは寂しい…。早稲田は早稲田短歌会という素晴らしいプラットフォームで、こうした今をきらめく歌人の方々のエッセンスを受け継いでいくという短歌にとって理想的な環境がありますが、我が母校慶應義塾はまずその構築からしていかなければならなそうです。


慶應義塾出身者として、頑張らなくては…と思います。