小野寺暖オフィシャルブログ『ザッツ暖show(笑)~雑談しよう♪~』

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楽観的で、どことなく暖かなブログを更新していきます。
見てくれた皆さんに感謝とほのぼのとした笑を提供したいでッス♪



本日は2月22日ですよね~



まぁ〜そーいうコトで、2月22日だもんで😸


月並みな投稿かも知れないですがo⁠(⁠(⁠*⁠^⁠▽⁠^⁠*⁠)⁠)⁠o



わが家も3ニャンの猫たちがいるもんでネ😸😺😼

癒やしになってくれています(=^・^=)


 #にゃーにゃーにゃー
#ねこの日  #猫の日 #ネコの日 
#ねこの日あるある投稿 #あめりかんしょーとへあ




お笑い第三世代、【とんねるず ダウンタウン ウッチャンナンチャン】に憧れて・・・。(長文になるので最後までご覧ください😅🙏)

ボクがまだ小学生の頃(現在46歳)、この3組が笑いのスター街道へと登りつめていきました。

ボクが小学生時代、テレビゲーム(ファミコン)が盛んになり始めていた。

ウチの家庭にもファミコンがやってきた。
しかしながら、テレビゲームがやって来た当初からボクはゲームが下手くそでした🎮

2つ上の姉や父親の方がゲームが得意でボクはなかなか上達せず…。

その頃、同級生の友人たちもファミコンに夢中になり、お互いの家を行き来していてもテレビゲームが当時の遊びの主流となっていた。

時には外で野球やサッカーやドロケイやペコポンといった遊びはするが、テレビゲームが多かったと記憶しています😅

前置きが長くなってしまいましたが、要するにテレビゲームが下手くそだったボクは、必然的にテレビ番組を観るようになっていきました📺

ボクがまだ小学校低学年当時、中学生や高校生を対象とした番組が放送されていた!

そう、それが夕方の帯の生放送伝説バラエティー「夕やけニャンニャン」でした!

そこで初めてとんねるずの存在を知り?その前かッ?(少し記憶が曖昧だが)、一気にハマっていった! 

その後、少し時は進みボクが小学生の高学年頃から土曜日の深夜にスタートした「夢で逢えたら」というコント番組が流行り始めた。

そこに出演していたのが、ウッチャンナンチャンとダウンタウンだった。
当時はまだウッチャンナンチャンの方が認知度もあり(夕ニャンにも出演していた為。)、関西弁を話すこの二人組(ダウンタウン)は誰だろう?と思っていた。

先にも述べたように、テレビゲームも主流でしたが小学生の高学年頃からは友人たちもテレビ番組も観るようになっていました。

その頃は、すでに「とんねるずのみなさんのおかげです」もスタートしており、学校中で人気を博していた。

そして、「夢で逢えたら」もあれよあれよと土曜日の深夜でしたが、人気沸騰の番組となり、とんねるず ダウンタウン ウッチャンナンチャンにボクは憧れる様になりました!

そこから先は、この3組の黄金時代へと突入することになっていった!
バラエティー番組だけに留まらず、ドラマや映画に歌手活動まで多岐に渡り影響を与えていった第三世代!

しかしながら、ある時を栄えにボクの中で憧れの存在が徐々に冷めていった。

それが、残念ながらダウンタウンだ。

20代前後、今となっては都市伝説的にまで広まった「とんねるず」と「ダウンタウン」の不仲説だ。

週刊誌やらテレビ業界がウッチャンナンチャンを除くこの2組のことを”不仲説“と勝手に広めて共演をさせない様にしていった。

その”不仲説“にボクも知らずにそう思い込んでしまいました。

ダウンタウン個々の書籍も読んだ。「ガキの使いやあらへんで」も(トーク)ビデオも持っていました。

そこまで影響されていたのになぜ?

とんねるずの二人は東京出身で、ボク自身も東京出身のためやはり最初に影響されていたのもとんねるずだったので、やはり自然ととんねるずに重きを置くようになっていった。

石橋貴明さんが中居正広さんとスタートさせた「うたばん」、ダウンタウンの2人がMCを務めた「HEY HEYHEY〜Music champ〜」と両者の番組でゲストが被る時には、ゲストがどちらが楽しそうに話すかと、明らかにライバル視の目線で観るようになってしまっていた。

しかしまだ、ダウンタウンが本当に嫌いになってはいなかったと思います。(その時はまだネ)

更に更に時代は進み、ボクが30代半過ぎにばになった頃、本格的に政治活動にも一生懸命に取り組む様になっていた時です。

世の中は安倍政権(当時:安倍晋三首相)が国民を分断して、「安保法制(通称:戦争法)」を強行採決しようとしていました。国会では連日の様に反対の声を上げる集会がおこなわれていました!
ボクもその反対集会には居ても立っても居られずに参加しました。(この集会は決して野党(政治団組織)の集団動員でも無く、個人がそれぞれ反対の声を上げるために、強制ではなく任意での参加でした。)

その頃、フジテレビ「ワイドナショー」がスタートしており、ダウンタウン松本人志さんがコメンテーターとして出演していました。

その「戦争法」の話題になった時、松本氏の口から、「僕は国会でシュプレヒコールを上げてるあの人たはちは意味がないと思ってる、あんな(反対集会を)やるなら、国を守る行動をした方がよい」というニュアンスで否定した。

その後も安倍政権を擁護するような発言をしたり、挙げ句「ワイドナショー」に安倍晋三(当時)首相も出演していた。

そこから一気にダウンタウン、とくに松本人志氏への憧れがボクの中では崩れ去っていった。

その後も同番組内では女性を絶するような発言やギャグとも捉えたくない発言を繰り返しするようになっていき、更に憧れの存在から、嫌いな存在へとなっていきました。

更には、維新の会が多額の税金でゴリ押ししようと企む大阪万博2025のアンバサダーまでに…🫣

ボクの中での「松ちゃん」は「一人ごっつ」で終わった。もう“松ちゃん”と呼ぶことは無い。

決別の思いを込めて「松本氏」と…。

とんねるずのお二人に関しては言わずと知れた、これまでの投稿を見て頂ければ分かる通り、憧れは大人になった今でも継続中です。

ウッチャンナンチャンのお二人や浜田さんの番組は時より観る感じです。

ダウンタウン松本人志氏の「文春砲」の真実云々はどちらにしても、もう先にも記述したように、ボクの中で松本氏への憧れは無くなりました。

残念にも感じますが···、憧れの存在であったことは確かなので、ボクの小学生時代からの娯楽のケジメを付けるために【お笑い第三世代】に憧れた事実を文章にしてみました。

とんねるずのお二人(石橋貴明さん 木梨憲武さん)は引き続き憧れのまま、ウッチャンナンチャン(南原清隆さん 内村光良さん) ダウンタウン浜田雅功さんの番組はたまに観てます感じで・・・、

さよならダウンタウン松本人志氏。