1985年7月31日付の朝日新聞夕刊の“フラッシュ”というコーナーに掲載された記事です。今回は全文をアップします。



沢田研二が帰って来た。東京、大阪でのコンサート再開に続き、近く新曲も出る。昨年大みそかの紅白から約半年ぶりの登場だ。「復活、でもないし、カムバックでもないし。やぁ、しばらく。ごぶさたしました、という感じかな。」
デビューから十八年、走り続けて来た。ドラマに映画にと次々に新しい顔を見せ、矢継ぎ早に新曲を出し、そのつど新しい意匠でファンを驚かせた。それは、最近はすっかり少なくなったスターらしいスター、ジュリーだった。しかし、昨日の沢田を今日の沢田が古くする。はた目にも、伸び切ったゴムの緊張があった。危機感の深まった昨秋、初めて自分から休養を決めた。
レコード大賞をはじめ、タイトルを総なめにした歌手の半年もの休養を、今の芸能界はほっておいてはくれない。「奇行」「心身症」といった記事が芸能誌をにぎわした。
「ちょこちょこっとマスコミの前に出てみて、おお、書かれたな、まだ忘れられてないな、なんてね。世間の様子を探って少し安心したりもした」
休養の間に長年所属したプロダクションから独立し、レコード会社も移籍した。再登場にあたっては綿密なプロジェクトを組んだ。出演番組を絞り、取材に応じる対象を選ぶ。「映画、テレビ、CMと、各方向から光が当たると、陰の部分がなくなってしまう。立体感を出すために、光は一本に絞りたい。せんえつですが」とスタッフ。
あえてイメージチェンジはしない。バラードを中心にし、古いヒット曲は歌わないというだけ。「昔のファンも、もうすっかりおばさんになってる。スポーツ的快感ではなく、じんわりと聴いてほしい」
三十七歳。同じ年の鈴木啓示は野球をやめた。「僕ならリリーフ専門になっても続けるんやけどなあ。」いや、沢田をリリーフに回すほど、この国のルーキーたちはまだ育っていない。



この当時のジュリーは、25年後のツアータイトル(ソロ)に“大運動会”という言葉が入るなんて想像しなかったでしょうね f^_^; 今年2010年のソロツアーのタイトルは“秋の大運動会・涙色の空”です。

注:鈴木啓示さんは、近鉄バファローズ(当時)に投手として在籍していました。