ストーリー・・・
ニューヨークの波止場に働く日雇い荷役たちは、酒場を経営している悪らつなボス、ジョニー・フレンドリー(リー・J・コッブ)によって支配されていた。
ある夜、日雇い荷役のひとりジョイが殺された。
直接の犯人はジョニーの子分チャーリー(ロッド・スティガー)であったが、チャーリーの弟でやはりジョニーの一味であるテリー(マーロン・ブランド)も片棒をかついでいた。
事件は波止場の正義派バリー神父(カール・モルデン)やジョイの妹イディ(エヴァ・エヴァ・マリー・セイント)の怒りをよそに、闇から闇へ葬り去られようとしていた。
神父は犯人の発見に躍起となり、それを快く思わないジョニー一味は教会を襲った。
ちょうどその場に居合わせたイディは、危いところをテリーに救けられた。
彼女は、テリーが兄の謀殺に関係があるのではないかと疑ったが、彼の意外な純真さに惹かれ、2人の気持ちは次第に接近し、それとともにテリーの心はジョニー一味から離れて行った。
そこへまたまた、白昼、日雇い荷役が1人殺される事件が起きた。
テリーはバリー神父の忠告に従って、イディに事件の真実を告白した。
チャーリーは、ジョニーに命じられて、テリーに一切の秘密を口外するなと脅したが、彼は聞き入れなかった。
テリーはイディをアパートに訪れ、激しく愛を求めた。
しかしジョニー一味に襲われて2人が危く逃れたとき、死体となったチャーリーの姿を見つけた。
テリーは怒って、1人ジョニーの酒場にのりこんだが、そこにジョニーの姿はなかった。
間もなくジョニー一味は、2つの殺人事件について法廷で尋問された。
テリーは彼の犯罪事実を証言した。
翌朝波止場にあらわれたテリーは、日雇い荷役仲間から卑怯者としてボイコットされた。
テリーはジョニーの本拠にのりこみ、彼を打ちのめしたが、自らも子分たちの暴行をうけて半殺しにされた。
しかしテリーは渾身の力をふりしぼって立ち上がり、日雇い荷役たちの中へ歩いていった。
日雇い荷役たちはテリーの真の勇気を知った。
労働者たちの先頭に立って仕事場へと歩を進めるテリーを、バリー神父とイディは明るい顔で見送った。
この映画を見てから、私の中での波止場のイメージが変わってしまいました。
波止場は、単に船が着く場所ではないということです。
出会いと別れの場だとばかり思ってましたが、ここでは闘いの場です。
ボクサーくずれの“ゴロツキ”をマーロン・ブランドが好演しています。
彼の目が、イディに出会ってからは澄んだ目に変わります。
多感な若者が、愛と正義に目覚めていく過程を自然な感じで演じています。(このあたりは、ちょっと出来すぎの感もありますが…)
ラストの殴り合い、その後傷ついた体で一歩一歩倉庫へ向かうテリー。
彼は、労働者たちのために歩いたように見えますが、決してそうではなく自分のためだと思います。
そして、テリーは自分のまだ暗くて見えない未来に向かって歩いたのです。
そこに何があるのかはわかりませんが…。
人が生きると言うことを象徴しているシーンではないでしょうか?
エリア・カザン監督と言えば、“赤狩り”問題での裏切り事件です。
ここでも組合における正義の戦いを描いているだけあって、共産主義的な色合いが濃い映画になっています。
それが、いい?悪い?はここで語るべきではないと思いますね。
今日のところは、こんなこったす!