勘違いエピソードとは違うような・・・(^ω^)
登場人物は、勘違いの塊みたいな男ですから、お許しくださいませ。



『阿弥陀池』という上方落語があります。
実在する大阪市西区にある和光寺のことを『阿弥陀池』と言います。
そして、その前の南北の通りを「あみだ池筋」といいます。



ストーリー・・・
男が隠居を尋ねると、隠居が何かを畳の上に置いたので、饅頭か何かを隠して食べている、と思い込んだ男は隠居を詰問する。
「わしゃ新聞読んでたんや」「新聞て読むもんか?下駄包んだり弁当包んだりする」
隠居はあきれ、「お前は新聞を読まんさかい、世間のことが何にも分からん。新聞読みや」と男を諭すが、男は「そんなもン、私、新聞読まいでも世の中のこと知ってるわ」と意地を張るので、隠居は堀江の「阿弥陀池さん」こと和光寺で起こった強盗騒動を知っているか、と男に尋ねる。
「あらあ尼寺やで。女の坊さんを尼というのじゃ」
「男の坊さんは西宮という」
「そないなこというかいな」
隠居は、次のような事件を語って聞かせる。
ある晩、和光寺に押し入った賊が、尼僧に「金を出せ」とピストルを突きつけるが、尼僧は落ち着き払って胸をはだけ、「過ぎし日露の戦いに、私の夫・山本大尉は乳の下、心臓を一発のもと撃ち抜かれて名誉の戦死を遂げられた。同じ死ぬなら夫と同じ所を撃たれて死にたい。さぁ、誤たずここを撃て」と賊に言い放った。
賊は尼僧に向かって平伏し、「私はかつて山本大尉の部下で、山本大尉は命の恩人とも言うべき人。その恩人の奥さんのところへピストルを持って忍び込むとは無礼の段、平に御免」と言うなり、ピストルをこめかみ(あるいは、のど)に当てて自殺しようとしたが、尼僧はそれを押しとどめて賊を諭した。
「おまえは根っからの悪人ではない。誰かが行けとそそのかしたのであろう。誰が行けと言うた?」「ちゅうたらこの盗人(ぬすと)、『へぇ、阿弥陀が行けと言いました』っちゅう・・・ははは、ちょっとよう出来た話やろ?」」
「にわかですかいな。もし、あんじょう言うてえな」「せやから、お前が新聞読まんさかい、こないして騙されるねん。新聞読んでたら『あんた嘘言うたらあかん。そんなこと新聞に載ってまへんがな』と言えるやろ」
それでも新聞を読もうと考えない男に対し、隠居は続けて「東の辻の米屋に盗人が入ったん知ってるか」と男に語って聞かせる。
「今度はピストルやない、長い抜き身をぶら下げて『金を出せ』とこう来た。ところがオッサン、びっくりせんわい。ちょっと腕が利いたねやな」
「腕が利いた?」
「腕に覚えがある、ちゅうことや」
「覚え、ちゅうと?」
「若い時に柔道の修業をして、柔の心得があり、手向かいをした、これがいかんがな。『生兵法は大怪我の元』や。切り込んできたところをパッと体をかわした。よろめいたところを肩にかついで、土間にドーンと叩きつけた。相手が刀を取り落し、仰向けになったところを、四つばいになって、馬乗りで押さえつけた。ところが盗人も抜かりがないわい、懐に手ェ突っ込むと、かねて用意の匕首(あいくち)を取り出して、下からオヤジの心臓をブスーッと突いた。『アーッ』と言うたンがこの世の別れや……死んでもたがな。この盗人、米屋のオッサンの首をかき落とすと、ぬかの桶へ放(ほ)り込んで、逃げていまだに捕まらん。こんな話、お前聞いたか?」
「いや、聞かん」「聞かんはずや、『ぬかに首』やがな」

再び冗談でからかわれた男は隠居宅を飛び出したが、気が収まらない。
誰かを「ぬかに首」でかついでやろう、と友人の家を尋ねるが、言葉をよく知らないため「腕が利いた」を「腕が切れて手がボロボロ」、「柔道で柔の修業」を「十三(じゅうそう)で柔らかい焼き餅の修業」、「生兵法は大怪我の元」を「生麩は焼き麩の元」「生煮えは半煮えの元」と言うなど、しどろもどろになって一向にうまくいかない。「盗人がパッと切り込んで来たとこをオッサンが・・・そう、西宮かわしよったんや」「あんなもンかわせるかィ」「ほれ、西宮に有名なもンがあるやろがな」「えべっさんか?」「えべっさんの手ェに持ったある……」「釣り竿や」「釣り竿の先の方」「テグスか?」「テグスのまだ先や」「浮き?」「まだ先や」「重り?」「もうちょっと先」「針か?」「針に付いてるもンや」「餌か?」「どつくで、ホンマに。餌に食らいついとる、赤い大きい魚が」「そら、鯛やろ」「・・・体をかわしよったんや。ほんで、盗人を土間へダーンと叩き付けて、仰向けにひっくり返ったとこ、オッサン、盗人のとこへ夜這いに行たんや・・・ところが盗人、懐へ手ェ突っ込むと、かねて用意のガマ口で……下から、おやっさんのシンネコついたんや。いや、そやあらへん。シントラでもなし、シンサルでもなし・・・ああ、お前、鼻の長いの知ってるか」「鼻の長いのなら天狗さんじゃろ」「シンテング。こらちゃうわ。それ、あの動物園におる」「あんじょう物言え。そら象やろが」「ああ。そうそう。心臓。ああ、しんど。この話、聞いたか?」ここで友人が「いや聞かん」と返せば、「聞かんはずじゃ、ぬかに首」と駄洒落を言うことができたが、「今、お前から聞いた」と言うので、男は言うことがなくなり、「ほなさいなら」と友人宅を逃げるように去る。

気が晴れない男は、今度は隣町の友人宅を尋ねる。
「東の辻の米屋へ、ゆうべ盗人が入ったんや」「うちの東の辻に、米屋なんかあらへんがな」「違う、西の辻や」「西の辻にもない」「北の辻」「北の辻にもないで」「……この辺に米屋ないやろか?」「お前米屋探して歩いてんのか? そやったら、うちの真ァ裏に『米正』があるがな」「その米正にゆうべ盗人が入ったんや……パッと切り込んで来るところを体をかわして……」「米屋のオヤッさんなら3年前から中風(ちゅうぶ)で寝てるがな」「息子はおらんのか」「居てるがな」「息子は腕に覚えがある……」「息子、まだ7つや」「そこの家には若い衆はおらんのか」「それやったら、ヨシやんいう威勢のええのがいてるがな」喜んだ男は、順調に米屋の冗談を語る。「……ヨシやん死んでもたがな。むごたらしい、首をかき落として、ぬかの桶へ放り込んで逃げていまだに捕まらん。こんな話、お前聞いたか?」すると隣町の友人は泣きながら男を見据え、「よう知らしてくれた!」と男をねぎらった。隣町の友人にとってヨシやんは妻の弟であり、「田舎へ電報を打て」「葬式の準備せえ」と急いで妻に命じる。
「ちゃうちゃう!嘘や嘘やがな!」「こら、世の中にはついてええ嘘と悪い嘘とあるぞ。洒落や冗談で人が死んだとか殺されたとか言うもんやない。おのれの知恵やあるまい(=お前の発案ではないだろう)。誰が行け、ちゅうたんや」「ええ……阿弥陀が行けと言いました」



桂ざこば師匠の『阿弥陀池』をご覧下さい。


けっこうわかりやすい爆笑噺です。
私の記憶では、三代目故桂米朝、二代目故桂枝雀さんが演じてたのが印象に残ってます。



今日のところは、こんなこったす!