あんまり重たい話にならない程度に、父との思い出を少し書いてみようかと思う。
というか、自分のための覚え書きみたいなものかもしれない。
なので無理して読まなくて大丈夫な日記です。
ぼくは小さい頃の記憶があまりはっきりしない。
多分一番小さい頃の父の記憶は、車を運転している後ろ姿。
もう3歳は越えているはず。
喘息が酷くてね、発作を起こすたびに夜中でも点滴をしに連れて行ってくれた。
ぼくは後部座席で泣きながら母に抱きかかえられている。
泣くと余計苦しくなるんだけど、苦しくて怖いからいつも泣いてた気がする。
共働きだった両親は本当に大変だったと思うよ。
親だから当たり前ではないからね。
当時としては最先端だったはずの治療を受けたけど(母が看護師なので本当に出来る事全部してくれてたと思う)、結局喘息はずっと治らなくて今もお付き合いしてる。
これは誰のせいでもないから仕方ないのだ。
成人式を迎えた時、父が泣いていた。
「本当は医者から二十歳まで生きられないと言われていた。生きていてくれてありがとう」って言われた。
びっくりした。
そして「生きていて良かったんだ。迷惑じゃなかったんだ」って嬉しかった。
子供心に迷惑をかけているという後ろめたさを抱えていたのだ。
で、「あ、ぼく、ここから余生じゃん! 好きなことしていいじゃん!」ってなって、こんなやつになってしまった(笑)
父が亡くなったあと、母にこの話をしたら「聞いたことなかった」と言っていたので、ずっと自分の中にしまってあったんだね。
母に重荷を背負わせてはいけないと思ったのかな?
エンディングノートには「健康な体に生んであげられなくて申し訳なかった」と書いてあった。
ずっとずっと気に病んでたのかな?
「ぼくは大丈夫だよ。たくさんの素敵な人に囲まれて楽しく過ごしているよ」そう伝えれば良かった。
もう遅いけど、実家に帰る度たくさん話しかけるようになったよ。
入院してからは出来るだけ帰るようにしてたけど、どんどん弱って行くのを見るのは辛かった。
シャキッとして凄く頭の良い人で、入院中も漢検1級の勉強してて「来年受ける」って言ってた。
良くなって退院するって信念を持ってた。
でも少しずつ少しずつ体力が落ちて、意識も混濁し始めて。
こちらの話がだんだん理解できなくなって。
それでもぼくが行くと手を握って嬉しそうにしてくれた。
ぼくのこと、ずっと好きでいてくれた。
去年の父の誕生日。
本当はダメなんだけど、母も「来年の誕生日は迎えられない」って覚悟してたから、大好きな日本酒をちょっとだけ含ませてあげて、バースデーケーキの生クリーム1口食べさせてあげて。
凄く嬉しそうだった。
嬉しそうな父を見て、母もぼくも嬉しかった。
家族でお祝いしたことなんてほとんどなかったから、最後かもしれない誕生日に一緒にいられたことはみんなにとって凄く大切な思い出になったと思うよ。
そのあとは母から「もう来なくていい。これ以上お父さんが弱っていくのは見せたくない。終わったら連絡するから準備だけしておきなさいって言われて。
そこは母の気持ちを尊重しようと思った。
でも後悔してる。
行けば良かった。
もっとそばにいれば良かった。
わからなくても話しかければ良かった。
別れはいつか必ず来る。
親が先とは限らないしね。
だから後悔しないようにね。
もっと色々あるけど長すぎるな(笑)
