読みました。「弓と禅」。

金曜日の仕事の帰りに本屋さんに寄って、買いました。
「どのコーナーにあるのかなぁ?」と探し回って、武術書、外国文学書、果ては哲学書のコーナーを探してもなし。最後に探した「宗教書」のコーナーにあるのを見つけたときには、ちょっと感動...

台風4号のせいで自宅待機中のため、時間もたっぷり。
コーヒー(缶コーヒーだけど)とタバコも準備して、さっそく読書開始。



いかにも訳したって文章なので、確かに読みにくい。
100ページほどなので、普通ならあっという間に読み終わりそうなボリュームなんですけどねぇ。
事前にインターネットでいろいろと調べた予備知識もあり、「まあ弓道と日本人の精神世界を外国人が理屈っぽく書いてるんだろうなぁ」ってくらいの気持ちで読み始めたのですが...

ところが、しばらく読んでいくうちに、今までの稽古で経験したり感じたりしたことそのままに思えてきました。

「弓を引いているとき、師範の肩や腕をさわっても、筋力は感じなかった。」
「何か教えてもらっていない”コツ”があるのではないか。」
「今までの経験で、技が効く理屈を考えてしまう。」
というのは、つい最近まで思っていたことだし。

「どういう順番で足を動かそうかと考えたら全く動けなくなったムカデのように、考えれば考えるほどできなくなった」
というのは、毎回経験していることです。

「あまりに意志的な意志をもっていることが、邪魔になっている」というのは、よく弐号道場で吉本先生に「効かそうと思っていることが相手に伝わって効かない」と言われているとおり。

そして、「自分にそれができるだろうかと自問している間は、いつまでたってもできない」というのは、金○不○法そのものです。

読み進めていくうちに、先日の弐号道場の稽古で、終了5分前に口師範に掛けた技のことを思い出していました。
あの日、稽古の途中で、出来てた技が急にできなくなって、「何が悪いんだろう」とああでもないこうでもないとやってるうちに、もう何が正しくて何が間違っているのかわからなくなってきました。
頭の中がパニックになったとき、ほとんど無意識に掛けた技が、今まで経験したことのないほどすっと効いていました。

あれから、その時どうやったのかを思い出そうとしているのですが、さっぱり思い出せません。
吉本先生から「口師範は身体が柔らかいから、もっと送り込まないと効かない」って言われて、確かにこれまではそのとおりだったのですが、最後に掛けた時は、ほとんど手を動かした記憶かないのです。
それなのに、目の前の口師範が一瞬で下に崩れ落ちたんです。その後3回ほど連続で掛けてみたのですが、3回とも同じようにクチャって潰れるように口師範の身体が落ちて行きました。
でも、その時どのような姿勢でどのように身体を動かして、またどのような意識で技を掛けたのか、記憶がないのです。

この本は、まるでdmap@admin自身の今の心境を代弁してくれているように思えてきました。

いつの間にか、タバコを吸うのもコーヒーを飲むのも忘れて、読み終えていました。