
地図と連動して旅先の紹介や読んだ本の紹介をしようとブログを立ち上げたものの、忙しくて旅に出たり本を読む時間がなかなか取れません。
で、ちょっと古いのですが今年の1月21日に訪れた「大和ミュージアム」についてご紹介します。
私が稽古で通っている大和流柔術の師範や先輩の方々と、広島県呉市にある「大和ミュージアム」に行ってきました。正式には「呉市海事歴史科学館」というそうです。
私は前の晩から実家の広島に戻っていたのですが、他の人たちは朝早くに宝塚を出発してお昼前頃に到着。ミュージアムの玄関前で集合しました。
ミュージアムは呉港のすぐそばにあり、寒い日でしたが天気もよく海もきれいでした。母方の実家が江田島なので、子供の頃はよくこの呉港からフェリーで江田島の小用桟橋まで渡った思い出があります。
ミュージアムの隣にあるスーパーのレストラン街で昼食後、ミュージアムに入館。
ちょうど映画「男たちの大和」をやっている時期でもあったせいか、館内はものすごい人であふれていました。
館内はいくつかのブースにテーマごとに分かれていて、建物真ん中の吹き抜けのフロアー(大和ひろば)に10分の1の大和が飾られていました。
ミニチュアとはいえ26メートルもあるので、子供の頃に作ったプラモデルの大和とは段違いの大きさに圧倒されました。
吹き抜けの上の階から大和を眺めると、まるで芸術品のような美しさなのです。無駄なものを排除した美しさというか。
でも、しばらくじっくりと見ていると、左舷や右舷にある高射砲のあたりには敵の弾を防ぐ覆いがまったくないことに気がつきました。
一緒に見ていた先輩が、「人は大事じゃなかったみたいだな」ってぽつり。
そう思ってあらためて眺めていると、美しさより無機質な鉄のかたまりに思えてきました。
最初のブースは、明治から終戦までの歴史の流れの中で大和が誕生したいきさつと、大和の技術、そして沈没地点から回収された遺品や写真、乗組員の手記など。
手記を読んでいると、書かれているのは勇ましい言葉や淡々とした内容ですが、言外にひとを想う心を感じました。ブースの反対側にある大和に使われた新技術の展示との対比がいっそうそう思わせるのではないかと思います。
次のブースは大和で培われた技術が現在の呉の産業に息づいている内容。
造船技術で使われた溶接、加工、塗装などのほか、繊維や果てはお酒まで、実に多彩な産業の元となっていました。
よく、戦争で工業・産業は進歩すると言われますが、まさにそのとおりの内容でした。ただ、その犠牲を天秤にかけるとあまりに多大な代償だと感じました。
次のブースは大型資料展示場。特殊潜航艇、ゼロ戦、大和の46センチ砲弾が並んでいました。その中で注目したのは「回天」。
「回天」は小型の潜水艦というか魚雷に人の乗る場所をつけたもので、人が1人乗り込み敵艦に向けて航行し体当たりして魚雷を爆発させる兵器です。
子供の頃に話は聞いたことがありましたが、実物を見るのははじめて。回天の潜望鏡も展示されておりのぞいてみると、狭い視野にくすんだ景色が見えるだけです。これを見ながら敵艦に体当たりした人が本当にいたとはどうしても信じられない気がしました。
乗組員が最後に家族にあてた肉声のテープが聞けるのですが、雑音の中でしゃべる声が遠くかすんでいるようでした。
周りにいた観客の人が話しているのを聞くと、回天は乗り込むと中からハッチを開けれないのだそうです。その黒いコールタールのような色の船体を眺めながら、しばしその場に立ち竦んでしまいました。
あまりにたくさんの展示物のためかここまでで2時間半以上かかってしまい、時間切れ。まだ見れていないブースもあったのですが、既に見終わった道場の先輩方が待ちぼうけされているので、今回の大和ミュージアム見学はこれで終わりました。
またぜひ訪れてみたいと思った場所の1つになりました。