朝6時。
まだ外は、完全には明るくなっていなかった。
カーテンの隙間から、薄く差し込む光だけが、部屋の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。
「ダミアン、置いていくよ」
低い声が、すぐ近くで聞こえた。
夢の中にいたはずなのに、その声だけはやけに鮮明で、ゆっくりと意識が引き戻される。
目を開けると、そこにいたのはエリックだった。
もう仕事に行く準備を終えていて、
シャツもネクタイもきっちり整っている。
いつも通り、無駄のない、綺麗な姿。
「……ん、エリック……」
まだ寝ぼけたまま名前を呼ぶと、
エリックは少しだけ表情を緩めた。
「起きたなら、見送って」
そう言いながら、ベッドの端に腰を下ろす。
そのまま、軽く髪に触れてくる指先が、やけに優しい。
「……あと5分」
そう言って、もう一度布団に潜ろうとした瞬間。
「待って」
軽く腕を引かれた。
バランスを崩して、思わず体が前に出る。
そのまま——
エリックの胸にぶつかった。
「うわ……っ、ごめん」
慌てて離れようとするけど、
なぜかそのまま腕を掴まれたままになる。
「コーヒー、淹れるから」
誤魔化すようにそう言うと、
エリックは少しだけ息を吐いた。
「……そんな格好で動かないで」
低く、抑えた声。
「え?」
「コーヒーより先に、君に集中したくなる」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
でも、その距離の近さで、すぐに意味が追いつく。
「……朝だよ」
そう言って目を逸らすと、
エリックは少しだけ首を傾けた。
「だから?」
距離が、ほんの少しだけ縮まる。
逃げたほうがいいのに。
なぜか、動けない。
「……仕事、遅れるでしょ」
やっとのことでそう言うと、
エリックは小さく笑った。
「少しくらいなら問題ない」
そう言いながら、
ネクタイに指をかける。
ゆっくりと、緩める音。
さっきまで整っていたはずの空気が、
少しだけ変わる。
「ダミアン」
名前を呼ばれる。
それだけで、心臓が少しうるさくなる。
「……なに」
「ちゃんと起きて」
そう言いながら、
さっきよりも近くにいる。
触れているわけじゃない。
でも、触れるよりも意識してしまう距離。
「起きてるって……」
そう返した声が、少しだけ小さくなる。
「じゃあ、こっち見て」
見られているのがわかるのに、
視線を合わせるのが怖い。
それでも、少しだけ顔を上げると——
すぐ近くに、エリックの目があった。
「……ほんとに、ずるい」
思わずそう呟くと、
エリックは少しだけ笑う。
「どっちが?」
答えられないまま、
また距離が近くなる。
逃げる理由は、あるはずなのに。
逃げたくない理由も、ちゃんとあった。
窓の外は、少しずつ明るくなっていく。
仕事に行くはずの時間。
なのに——
「……5分だけ」
気づいたら、そう言っていた。
エリックは何も答えずに、
ただ少しだけ距離を詰める。
そのまま、静かな時間が流れる。
コーヒーの香りは、まだない。
でも代わりに、
朝の空気とは少し違う、温度がそこにあった。
仕事前とは思えないほど、
ゆっくりとした時間。
たぶんこの先のことは、
誰にも見せるものじゃない。
ただ——
こういう朝があるから、
また一日が始まるんだと思う。
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